在日琉球人の王政復古日記

NATION OF LEQUIO

《スポーツ形而上学》格闘技(K)の不可能性と球技(L)の不均衡性。

東京五輪2020記念《スポーツ形而上学》すべてのフィジカル・スポーツは7種類に分類される。 - 在日琉球人の王政復古日記

 

《スポーツ形而上学》夏季・冬季五輪競技の分類~BMXレーシング、BMXフリースタイル、空手・形、組手は異なる競技 - 在日琉球人の王政復古日記

 

《スポーツ形而上学》球技(L)のボールは、誰の所有物でもない、競技者から独立した存在である。 - 在日琉球人の王政復古日記

 

スポーツを、可能な限り、理屈で考える「スポーツ形而上学」。

前回の続き。

 

★スポーツのカテゴリー体系

A「内部規範(不文)」
  C「内部・自立」 
  D「内部・他立」 
B「外部規範(成文)」
  E「外部・並立(競争)」
    G「外部・並立・非計量」
    H「外部・並立・計量」
  F「外部・対立(対戦)」
    I「外部・対立・交代(非対称)」
    J「外部・対立・同時(対称)」
      K「外部・対立・同時・均衡」
      L「外部・対立・同時・不均衡」 

 

球技(L)のボールは、大きく2つの意味がある

・故意に、競技者間に有利不利・優位劣位・不均衡を生じさせる。

・試合の物理的圧力=暴力を、競技者の代わりに、吸収する。

 

★格闘技(K)と球技(L)。

 

格闘技(K)は、
・成文化されたルールが「ある」。
・競技者間で物理的なやり取りが「ある」。
・競技者数は2人(1人対1人)のみ。ダブルスは原則不可能(例外あり)。
・競技者2者のプレーが「同時」。
・勝敗判定が「ある」。
・ボールが「ない」。
K「外部・対立・同時・均衡」型スポーツである。

 

球技(L)は、
・成文化されたルールが「ある」。
・競技者間で物理的なやり取りが「ある」。
・競技者数は2者(1者対1者)(個人/グループ)。ダブルスも可能。
・競技者2者のプレーが「同時」。
・勝敗判定が「ない」。
・ボールが「ある」。
L「外部・対立・同時・不均衡」型スポーツである。

 

格闘技(K)と球技(L)の本質的な相違点は、
・ボールが「ないか/あるか」、である。

 

残りの相違点
・物理的圧力=暴力が「競技者に集中するか/ボールに集中するか」、
・勝敗判定が「あるか/ないか」、
・競技者数が「1人対1人のみか/複数対複数も可能か」、
はボールの有無から派生する。

 

◎球技(L)のボールは、故意に、競技者間に不均衡が生じさせる。

 

球技(L)のボールは、誰の所有物でもない、競技者から独立した存在である。

球技(L)の最終目標は、ボールを特定位置に到達させることである。ボールを支配しないと、ボールを特定位置に設置できない。そのため、球技(L)の中間目標はボールの支配権を奪取することになる。

競技者は、ボール支配権を巡って争い合う。支配権を奪取した競技者が有利になる。支配権を失った競技者は不利になる。

球技(L)は、ボール支配権の有無によって、常に、不可避に、競技者間に有利不利・優位劣位・不均衡が生じさせる。

 

逆にいえば、球技(L)のボールは、故意に、競技者間に有利不利・優位劣位・不均衡を生じさせるために存在する。

球技(L)は、故意に、競技者間を不均衡にしたスポーツである。

 

◎なぜ、スポーツに、不均衡を生じさせる必要があるのか?

 

競技者間に有利不利・優位劣位・不均衡を生じると、得点しやすくなる。試合の決着がつけやすくなる。試合は活性化し、停滞しない。

ボールの存在によって、やっていて面白く、見ていて面白い、スポーツになる。

 

◎格闘技(K)は、競技者間が均衡する。そして停滞する。

 

球技(L)以外のスポーツ、格闘技(K)は、故意に不均衡を生じさせる要素がない。

球技(L)とは逆に、勝敗が不公平にならないように、均衡を維持しようと努める。

そのため、試合は公平になるが、競技者間に有利不利・優位劣位が生じ難い。試合の決着が付きにくく、停滞する。

  

◎全てのスポーツは物理的である。全ての競技者は物理的である。

 

競技者の行為は物理的であり、物理的圧力=暴力となって現れる。

E「外部・並立」型スポーツの場合、競技者間で物理的なやり取りが「ない」ため、競技間で物理的圧力=暴力の影響はない。

F「外部・対立」型スポーツの場合、競技者間で物理的なやり取りが「ある」ため、競技間で物理的圧力=暴力の影響を与え合う。

 

格闘技(K)「外部・対立・同時・均衡」型スポーツ、

球技(L)「外部・対立・同時・不均衡」型スポーツ

は、共に、F「外部・対立」型スポーツに含まれる。

 

格闘技(K)は、試合中の物理的圧力=暴力が競技者に集中する。

球技(L)は、ボールが存在するため、物理的圧力=暴力がボールに集中する。

 

◎あらゆるスポーツの競技者は、自分の肉体と意思の所有者にして支配者である。

 

格闘技(K)は、自分の肉体と意思の支配権を守り、相手競技者の肉体と意思の支配権を奪取するスポーツである。

たとえば、ボクシングは、2人の競技者が、お互いに、相手をダウンさせたい。自分はダウンしたくない。

格闘技(K)は、試合中の物理的圧力=暴力が競技者に集中する。

格闘技(K)の競技者は、試合経過で、どんどん危険になっていく。

 

球技(L)は、競技者同士の肉体と意思の争奪ではなく、ボール支配権の奪取を目指す。

たとえば、サッカーの競技者は、相手競技者ではなく。ボールのキープに向かう。

球技(L)は、ボールが存在するため、物理的圧力=暴力がボールに集中する。

球技(L)の競技者は(比較的)安全に保たれる。

 

球技(L)のボールは、試合の物理的圧力=暴力を、競技者の代わりに、吸収する。

 

◎なぜ、スポーツに勝敗判定があるのか?

 

勝敗判定があるカテゴリーは、2つある。

 

G「外部・並立・非計量」型スポーツ ※例:フィギュアスケート・体操鉄棒  

競技結果が物理的に計量不可能な「質」で表現される。計量不可能な「質」を、計量可能な「量」に変換して、勝敗判定する。原理的に勝敗判定しかできない。絶対に必要となる。

 

K「外部・対立・同時・均衡」型スポーツ ※格闘技

競技結果が、原則として、物理的に計量可能な「量」で表現される。ただし副次的に、勝敗判定がある。本来なら、勝敗判定は必要ない。

 

◎格闘技(K)には、なぜ、勝敗判定があるのか?

 

格闘技(K)は、ボールが存在しないため、物理的圧力=暴力が競技者に集中する。

競技者が(比較的)危険となるため、決着まで(ボクシングで10カウントダウンまで、柔道で1本まで)試合を続行することが難しい。試合を「途中で中断する」しかない。勝敗判定が必要になる。

競技者が(比較的)危険となるため、競技者は1人対1人のみ、ダブルスは不可能であり、体重別階級制も必要となる。

 

◎球技(L)には、なぜ、勝敗判定がないのか?

 

球技(L)は、ボールが存在するため、物理的圧力=暴力がボールに集中する。

競技者が(比較的)安全であるため、決着まで(サッカーならPKでゴールが決まるまで)試合を続行できる。勝敗判定が必要ない。

競技者が(比較的)安全であるため、競技者は複数対複数、ダブルスも可能であり、体重別階級制も必要ない。

 

◎「格闘技(K)の相手競技者」=「球技(L)のボール」

 

球技(L)の最終目標はボールを特定位置に設置することである。中間目標はボールの支配権を奪取することである。

球技(L)は、ボールを支配するからこそ、勝利できる。

格闘技(K)の最終目標は相手競技者の支配権を奪取することである。

格闘技(K)は、相手競技者を支配するからこそ、勝利できる。

格闘技(K)とは、相手競技者を「球技(L)のボール」のように扱うスポーツだと言える。

 

◎格闘技(K)という難問=不可能性。

 

格闘技(K)は危険を回避するために、禁止事項が多くなる。

しかし、禁止事項のほとんどすべては、格闘技(K)から攻撃性を奪う方向にある。攻撃性を奪えば、決着がつかない。試合が停滞する。勝敗判定が増える。

停滞を回避するために、ルールを活性化すれば、禁止事項を減らせば、危険が増える。

 

格闘技(K)は、不可避に、「危険」というジレンマを抱える。

この矛盾の解消・軽減に試行錯誤が行われる。


◎K「外部・対立・同時・均衡」型スポーツに留まった改革。

 

複数ある。

 

#技の限定=危険技禁止、ポイント制

 

本来、格闘技(K)は、自分の肉体と意思の支配権を守り、相手競技者の肉体と意思の支配権を奪取するスポーツである。

ボクシングなら、相手競技者をダウンしないと勝利にならない。

空手も、テコンドーも、フェンシングも、剣道も、本来は同じである。しかし、ダウンするまで打撃を加えることは危険である。

そこで、当たったことをポイントとして計算する。当たればいいので、タッチでいいことになっていき、相手競技者をダウンさせることが無くなっていく。 

当たる手前で止める「寸止め」も同様である。

 

#相手競技者の限定=体重別階級制

 

格闘技(K)は、体格・体重によって強さが異なる。体重の重い競技者と体重の軽い競技者では危険が大きくなる。体重別で階級を分けて、安全を図る。

バスケットボールも身長が大きな要素だが、危険なわけではないので、身長別階級制はない。

 

#空間の限定

 

相撲は、「場外=負け」としたため、勝敗が付けやすく、試合時間が短い。勝敗判定しなくて済む。

 

#肉体の限定

 

腕相撲は使用する肉体の部位を限定して、安全を図る。


#時間の限定=計量の放棄=勝敗判定

 

試合時間を決めて、決着がつかなくても試合を終える。勝敗判定を行う。

 

ルールを変えすぎて、K「外部・対立・同時・均衡」型スポーツから逸脱する場合もある。

 

◎L「外部・対立・同時・不均衡」型スポーツへの移行。 

#均衡の放棄=ボールの導入

 

綱引きは、

・成文化されたルールが「ある」。
・競技者間で物理的なやり取りが「ある」。
・競技者2者のプレーが「同時」。

内容的に、格闘技(K)に非常に近いが、「例外」部分がある。

 


www.youtube.com

綱引き


綱引きの綱は、誰の所有物でもない。競技者から独立した存在である。

競技者が所有する「道具」ではない。

競技者は綱の支配権を争っている。綱引きの綱は、球技(L)のボールに該当する存在である。球技(L)のボールは丸いとは限らない。綱引きの綱はボールであり、ゆえに、綱引きは球技(L)である。

 

綱引きは球技(L)なので、競技者数は2者(1者対1者)(個人/グループ)、ダブルスも可能である。

ただし、それでも綱引きはケガが多い、危険なスポーツである。

バスケットボールのジャンプボールの部分のみを競技化した球技(L)とも言える。

 綱引きは、格闘技(K)と球技(L)の境界線上にある。限りなく格闘技(K)に近い球技(L)と言える。

 

◎I「外部・対立・交代」型スポーツへの移行。

#同時の放棄=対称の放棄

 

競技者人数を「非対称」に、プレーを「交互」に、変更する。

南アジアで人気のカバティは、攻撃側1人・守備側複数人でプレーする。

 


www.youtube.com

カバティ

 

カバティは、カーリング、野球と同じカテゴリーとなる。 

 

◎H「外部・並立・計量」型スポーツへの移行。

#対立の放棄=対象の変更

 

対戦を止めて、競争に変える。

重量挙げは、対象を人間から道具に変えた格闘技(もはや格闘技ではないが)と言える。そのため、格闘技(K)と同じく体重別階級制がある。

空手の瓦割も、対象を人間から道具に変えた格闘技(もはや格闘技ではないが)と言える。

 

◎G「外部・並立・非計量」型スポーツへの移行。

#計量の放棄=勝敗判定

 

空手の形・演武は、対戦を止めて、競争に変え、さらに、計量も放棄する。

カテゴリーとしては、

空手の組手・テコンドー・柔道・フェンシングなどの格闘技(K)ではなく、

新体操・フィギュアスケートスケートボード 馬術・アーティスティックスイミングと同じになる。

 

◎D「内部・他立」型スポーツへの移行。
#外部規範(ルール)の放棄

 

ルールを放棄する。勝敗も放棄する。ただし、観客を必要とする。

プロレスは格闘技(K)ではない。「内部・他立」型スポーツである。

 

プロレスによく似たスポーツにローラーダービーがある。昔はローラーゲームと呼ばれた。

 


www.youtube.com

ローラーダービー

 

ローラーダービーも、ルールはあってないようなものだ。

ガチンコでやれば、怪我人続出だろう。 

 

プロフェッショナル・レスリングが「プロレス」に進化?したのには、ちゃんと、合理的理由があるのだ。

 

《スポーツ形而上学》野球という難問。棒倒し・騎馬戦という難問。 - 在日琉球人の王政復古日記

に続く。