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スポーツを、可能な限り、理屈で考える「スポーツ形而上学」。
一応、最終章。
★カテゴリー間の相関関係。
C「内部・自立」型スポーツ
D「内部・他立」型スポーツ
G「外部・並立・非計量」型スポーツ
H「外部・並立・計量」型スポーツ
I「外部・対立・交代」型スポーツ
K「外部・対立・同時・均衡」型スポーツ ※格闘技
L「外部・対立・同時・不均衡」型スポーツ ※球技
この順番には意味がある。カテゴリー間の相関関係を表す。
◎C「内部・自立」型←→「内部・他立」型←→「外部・並立・非計量」
例えば、ダンス。
個人が自由に踊る場合、
・成文化されたルールが「ない」。
・自己完結「している」。観客は不要。
C「内部・自立」型スポーツである。
ショービジネスとして踊る場合、
・成文化されたルールが「ない」。
・自己完結「できない」。観客は必要。
D「内部・他立」型スポーツである。
複数の競技者が優劣を競う場合、
・成文化されたルールが「ある」。
・競技結果が計量「できない」。物理的に計量不可能な「質」で表現される。計量不可能な「質」を、計量可能な「量」に変換して、勝敗判定する。
G「外部・並立・非計量」型スポーツである。
C、D、Gは近接したカテゴリーである。
◎H「外部・並立・計量」型←→I「外部・対立・交代」型
ボウリング・ゴルフ・アーチェリーは、
・競技者間で物理的なやり取りが「ない」。
H「外部・並立・計量」型スポーツである。
もしも、
ボウリングで「同一の」レーンに投げて、同じピンを狙い合う。
アーチェリーで「同一の」的を撃ち、自分の矢で、相手の矢を弾き飛ばす。
ゴルフで「同一の」グリーンを使い、自分のタマで、相手のタマを弾き飛ばす。
以上のルールに変われば、カテゴリーが変わる。
カーリングは、ボウリング・ゴルフ・アーチェリーを、競技者間で物理的なやり取りが「ある」形式に変えたものとも言える。
カーリングは、
・競技者間で物理的なやり取りが「ある」。
I「外部・対立・交代」型スポーツである。
H、Iは近接したカテゴリーである。
◎野球という難問。
野球は、スポーツ形而上学上、最も厄介なスポーツである(笑)。
一般に、野球(ソフトボールも含む、以下同様)は球技(L)とされる。
しかし他の球技(L)とは大きく異なる部分が多い。
サッカー・テニスなど球技(L)は、
攻守時期:競技者は攻撃と守備を「同時」に行う。
同時にプレーに参加する競技者人数は攻撃と守備で同一(対称)。
野球は、
攻守時期:競技者は攻撃と守備を「交互」に行う。
同時にプレーに参加する競技者人数が攻撃と守備で異なる(非対称)。
サッカー・テニスなど球技(L)は、ボールを支配する競技者が有利優位であり得点に近い。
野球は、タマを支配するピッチャーのほうが得点の可能性が無い「守備側」であり、タマを支配してないバッターの方が得点の可能性がある「攻撃側」である。
サッカー・テニスなど球技(L)と、野球とでは、ボール支配権の意味がサカサマになっている。
※ここで、スポーツ形而上学を一時離れ、スポーツ史を見る。
現在の野球は、ピッチャーが最重要の主役である。運動量もケタ違いである。
しかし、歴史的に黎明期の野球は、三振が無かった。
ピッチャーの役割は、バッターを打ち取ることではなく、バッターに打たせることであり、ピッチャーはバッターの指定するコースに投げていた。
ストライクとは「バッターが指定した打ちやすいコース」、ボールとは「指定から外れた打てない(打つ必要がない)コース」の意味から始まる。
つまりピッチャーの役割はバッティングピッチャーまたはトスバッティングに近かった。ピッチャーの重要度は他の守備選手と変わらい。
現在の野球のプレーはピッチャーの投球からスタートする。
黎明期の野球のプレーはバッターのヒッティングからスタートする。
黎明期の野球では、タマの支配権は攻撃側のバッターにあった。
現在の野球の主役は、守備側のピッチャーである。
黎明期の野球の主役は、攻撃側のバッターである。
歴史の経過によって、三振ルールが生まれ、変化球が生まれ、ピッチャーの重要性が加速度的に上昇する。
タマの支配権もバッターからピッチャーに移る。
野球の歴史はピッチャーとバッターの主役交代の歴史である。
黎明期の野球の方が、サッカー・テニスなど他の球技(L)とやや類似点が多かったが、野球の発展によって、どんどん球技(L)の定義から逸脱していった。
※スポーツ史から、スポーツ形而上学に戻る。
サッカー・テニスなど球技(L)では、ボール支配権は頻繁に移動するが、
野球では、ボール支配権はイニングでピッチャー側と決まっており、バッター側が奪取することはできない。バッターの行為は、ボール支配権の奪取ではなく、ピッチャー側のボール支配権の妨害である。
野球のタマは、所有者がいない独立した存在ではあるが、球技(L)のボールではなくなった。
野球(ソフトボールも含む)は、
・成文化されたルールが「ある」。
・競技者間で物理的なやり取りが「ある」。
・競技者数は2者(1者対1者)(個人/グループ)。
・競技者2者のプレーが「交互」。
I「外部・対立・交代」型スポーツとなる。
野球・ソフトボールは、サッカー・テニスではなく、カーリング・カバティと同じカテゴリーである。
◎棒倒し・騎馬戦という難問。
棒倒し・騎馬戦は、スポーツ形而上学上、野球の次に厄介なスポーツである。
棒倒し・騎馬戦は格闘技(K)だが、定義に外れる部分がある。
K「外部・対立・同時・均衡」型スポーツ
・競技者間で物理的なやり取りが「ある」。
・競技者2者のプレーが「同時」。
・勝敗判定が「ある」。
・ボールが「ない」。
ここまでは、カテゴリーの定義に合致する。
しかし、
・競技者数が「1人対1人のみか/複数対複数も可能か」、
が異なる。
棒倒し
騎馬戦
棒倒し・騎馬戦は、格闘技(K)だが、複数対複数で行われる。
このズレの原因は何か?
棒倒し・騎馬戦が、
・成文化されたルールが「ある」。
の部分が、未成熟であり、ルール、反則、戦術などが、まだまだ完成していないと考える。
K「外部・対立・同時・均衡」型スポーツ
不均衡要素:ない。競技者は均衡状態にある。
物理的圧力=暴力:競技者に集中する。
競技者数:2人(1人対1人)。グループ対グループは不可(※例外あり)。
競技目標:相手競技者の支配権を奪取する。
競技結果:原則として、物理的に計量可能な「量」で表現される。ただし副次的に、勝敗判定がある。
棒倒し・騎馬戦は、【未成熟な】【例外的な】格闘技(K)であると考える。
スポーツ形而上学の解説、一応の終わり。
「意味不明だ」というご苦情は、前もって、お詫びしたい。
一応、まだ、頭は狂ってない、と信じたい。