在日琉球人の王政復古日記

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#コロナ #トリアージ #トロッコ問題 ~孟子~以羊易牛~君子遠庖廚~他人を見殺しか?家族を見殺しか?

#コロナ #トリアージ #トロッコ問題 #臓器くじ #重症 #中等症 #入院 #自宅療養 #不殺生 #一殺多生 - 在日琉球人の王政復古日記

の続き。 

 

「5人が小学生で、1人が老人」だとか、「5人が他人で、1人が知人」だとか、そういうIF条件を持ち出す人もいるが、本来の「トロッコ問題」はそういう話ではない。

 

ただし、本来の「トロッコ問題」はそうではないが、 「5人が他人で、1人が知人」または「1人が他人で、5人が知人」という哲学問題もありうるだろう。

そうなれば、もはや人数の問題ではない。

「他人の死か?家族の死か?」ならば、誰でも答えが決まってくるだろう。家族を見殺しにする人は少ない。

 

しかし、いったい、どの範囲までが「家族」なのか?、という問題もある。

 

支那古典「孟子」(人名でなく書名)の「梁恵王章句」章。

古代支那戦国時代、斉国宣王が孟子に昔の出来事を語る。

ある日、宣王の面前を一匹の牛が通り過ぎる。宣王は牛引きに声をかける。

宣王「その牛をどこへ連れていくのか?」

牛引き「鐘堂落成式で、この牛を生贄に捧げます」

宣王「私はその牛の怯えた目を見てしまった。生贄に屠るのは忍びない。放免せよ」

牛引き「御意。落成式は中止します」

宣王「儀礼中止には及ばず。以羊易牛(羊をもって牛に代えよ)」

宣王は牛を放免され、代わりに、宣王の見知らぬ羊が屠られた。

後日、宣王は、孟子に、自分の行為の意味と是非を問う。

孟子「陛下の以羊易牛を下賤は『高価な牛を惜しんで、安価の羊で間に合わせた』と誤解するでしょう」

宣王「私はそれほど貧乏吝嗇ではない」と苦笑する。

孟子「私も存じております。下賤の誤解は無視すればよろしい。陛下は正しい判断をなさった。大事なのは、その時陛下の心に灯った『惻隠の情』であり、その延長線上にわれら儒教が貴ぶ類的共感性『』が宿るのです」

宣王「私は、自分であの時の自分の判断を説明できない。牛を助けて、代わりに羊を屠って、命を奪ったことは同じなのに、意味があったのか?」

孟子「陛下は牛を御覧になった。その目に怯えを見た。陛下は牛と関係を持ったのです。陛下は羊は御覧になっていない。陛下は羊と関係を持っていない。
 陛下が見た瞬間、牛と羊は陛下にとって等価では無くなったのです。
 畜生の生前を見れば、その断末魔を聴けば、哀れでその肉を食することが出来なくなる。よって、君子遠庖廚(君子厨房に入らず)なのです」 

 

一読して、「牛の命を助けるのなら、羊も殺さず、儀礼を止めればいいじゃん」と思われる方が大半だろう。 

しかし、儒教には、儀礼を止めるという選択肢は最初から無い。生命よりも儀礼の方が大切なのだ。

 

新大陸マヤ、アステカ、インカ文明(生贄/食人/人肉食)VS旧大陸支那文明(孔子/論語/儒教)その1。 - 在日琉球人の王政復古日記

子貢欲去告朔之饋羊、子曰、賜也、女愛其羊、我愛其禮。(論語・八佾第三-17)

子貢、告朔の饋羊を去らんと欲す。子曰く、賜や女はその羊を愛む、我はその礼を愛む。 

 

孔子の直弟子でも一二を争う大秀才・子貢が「毎月毎月やっている告朔の祭礼で、毎回毎回羊を生贄にするのは止めませんか?」と孔子に進言した。 

しかし孔子は「お前は羊という財産を失う事を恐れている。私は祭礼という文化を失う事を恐れるのだ」と返答した。

 

なぜ、子貢は羊の生贄に反対したのか?
前近代の人間である子貢が、人権思想のなれの果てである動物愛護に目覚めたとは思えない(笑)。
子貢は学問だけでなく商才に長けた経済人でもあったらしいので、おそらくは「羊を殺すのはコストパフォーマンスが悪すぎる」という経済合理性からの意見であろう。

子貢は「羊の生命」ではなく「羊の値段」を重視したのだ。

対して孔子は、われわれ人類には経済合理性を超えた価値があると主張する。

それが儒教の「礼」、人間と人間、人間と神、人間と自然、の間を破綻なく管理するプログラム=文化、と呼ばれるものだ。

人間の礼を守るためなら、羊の値段は惜しくない。

 

儀礼が絶対だとしても、牛は助けろ、羊はしょうがない、と言う孟子を屁理屈と思うだろう。

 

再度誤解のないように書くが、これは「いわゆるトロッコ問題」ではない。条件が大きくズレている。

しかし、まったく別の問題でもない。

 

ロッコ問題に倣って書けば、孟子の思想は、

もしも、「レバーを動かせば、5人が助かる。しかし、1人が死ぬ」という文章ならば、文章上で先に出会った5人に惻隠の情を起こし、レバーを動かす。1人は殺す。

もしも、「レバーを動かせば、1人が死ぬ。しかし、5人が助かる」という文章ならば、文章上で先に出会った1人に惻隠の情を起こし、レバーを動かさず、5人は見殺す。

ということかもしれない。

 

そりゃ、不合理だろう。ダメだろう。やっぱ孟子はおかしい。と皆さんはお思いだとは思う。 

でも、われわれの実生活は、孟子の論理に近いのだ。

 

殺処分されるワンコ・ニャンコが可哀想だと助けるが、助かった犬猫が食うエサは、生きたニワトリや生きたサカナをぶっ殺して作ったペットフードである。

目の前の犬猫と、見たこともない鶏魚は、生命の価値が異なる。

動物愛護の皆さんは、斉国宣王の以羊易牛(羊をもって牛に代えよ)と同じなのである。

 

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この世には貧困問題がある。

あなたの近所にシングルマザーがいて食うモノにも困ってる。そして子ども食堂が出来た。無償で食料を募集している。あなたに余裕があれば、寄付するかもしれない。

しかし、アフリカでは飢餓寸前の難民もいる。同じ額の日本円を送れば、日本のシングルマザー親子より多くの、十数人の難民が救える。

シングルマザーは貧困といっても餓死までは至らない。アフリカ難民は本当に餓死する。

さて、どちらに寄付すべきか?

 

ここで孟子なら、「あなたは、街でその親子と挨拶したでしょう。知人のシングルマザーと遠方の見たこともないアフリカ難民を同一視するのは、一種の欺瞞だ。あなたが救うべきは、目の前のシングルマザーなのだ」と言うだろう。

 

牛の目を見てしまった。シングルマザーの貧困を知ってしまった。

その惻隠の情を、あえて無視して、見てない羊や、ニュースで見ただけのアフリカ難民と、一緒くたに考えることは、「合理的」だとしても、「正しいこと」なのか?、と孟子は問うているのだ。

 

日本を含む先進国は、アフリカ諸国に届くはずだったワクチンを、自国民を救うために、買収している。

日本も、先進国も、以羊易牛の斉国宣王や、惻隠の情の孟子と同じなのである。

 

自国民と外国人は価値が異なる。ナショナリズムである。

戦前の日本を見る如く、現在の韓国を見る如く、ナショナリズムは危険だ。

しかし、危険だからといって、ナショナリズムは排除できない。

もしあなたが左翼だとしても、アナキストだとしても、あなたは日本語で生活している。日本語無しにあなたは表現できない。ナショナリズム無しにあなたは表現できない。

だからといって、ナショナリズムに溺れれば、南京事件や広島長崎原爆が待っている。

どうやって、危険なナショナリズムを飼い慣らすのか? アルコールや性欲と同じだ。

 

関係を持った牛と関係のない羊は違う。この孟子の思想に、儒教のライバル・墨家が立ち上がる。

 

孔子の後に生まれ、孟子より前の時代に活躍した思想家・墨子は、兼愛交利(無差別の博愛)を説き、儒教の仁を「近親を愛し、他人を避ける」別愛(差別)だと批判した。

 

後代の孟子の時代、戦国時代の支那は、世界最古のリバタリアン・楊朱と並んで、世界最古の共産主義墨家も大流行しており、孟子は「楊朱墨翟之言盈天下」(楊朱思想と墨家思想が天下に満ちている)と嘆いている。

そして「楊氏爲我、是無君也。墨氏兼愛、是無父也。無父無君、是禽獸也」(楊朱はエゴイズムでありアナキズムだ。墨家は家族制度を解体する。人間社会から国家と家族を排除すれば、禽獣と同じだ)と、双方を批判した。

 

孟子の時代、既にリバタリアン共産主義者もいた。

ゾロアスター教の中東や釈迦のインドに比べて、宗教思想は未熟だったかもしれないが、支那の政治思想は、想像以上に進んだものだったかもしれない。

 

現代の我々から見て、孟子思想は、相当に穴が多いように見える。

儒教が抱える弱点も欠点も露呈している。

 

可哀想な気持ちが起きないように、家畜をさばく厨房には近づかない。これは臭いモノにフタではないのか? 食事を作る婦女子はどうなる?

 

しかし、これも、儒教だけの論理ではない。

これも誤解が多いが、仏教はヴィーガン(完全菜食主義)ではない。大乗だけでなく、釈迦の時代の出家者も、肉は食っていた。

出家の食事は托鉢だ。出されたものは、コメだろうが野菜だろうが肉だろうが有り難くいただく。

しかし、不殺生戒を守らねばならない。

・その畜生が殺されるところを見ていない。
・その畜生が自分に供されるためにさばかれたと聞いていない。
・その畜生が自分に供されるためにさばかれたと知らない。 

この3条件に合致した「浄肉」だけは食って良い。屠畜を知っていたら、食ってはいけない。

当然、釈迦時代の出家僧も、厨房には近づけないし、見てもいけないことになる。孟子思想の君子と同じなのだ。

 

故意に現場を無視する。これが、儒教の弱点・実学軽視を生んだ。

苦しむ民衆を見て見ぬ振りをして、政治を行っていいのか?

しかし、死刑は可哀想だと、極悪人を許していいのか?

という難問が儒教には降りかかってくる。

 

そういう、グラグラ揺れる不合理な仁に立脚する儒教ではなく、法律で全てを裁け!と、墨家とは異なる、儒教のもう一つのライバル・韓非子は叫んだ。

 

日本とアフリカのコロナワクチンを見るように、愛犬家・愛猫家を見るように、ナショナリズムを見るように、合理的ではない我々の日常は、孟子を否定しきれない部分が、今でも、確実に、ある。

そこが、儒教という厄介な宗教の、弱みであり、強みでもある。

 

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