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在日琉球人の王政復古日記

NATION OF LEQUIO

李舜臣の亀甲船VS織田信長の鉄甲船~架空戦記「日系イスラム王朝VS朝鮮系征夷大将軍」

とはいっても、ベタベタのリアリズムだけで、夢を語らないのも、野暮な話である。

 

織田信長だったら朝鮮出兵は成功させていたと落合信彦氏指摘│NEWSポストセブン

 また、鉄で船を覆うというアイディアも、ヨーロッパの戦争の歴史で登場するより早く信長が考えつき、実現させたものだった。そんな世界最高レヴェルの能力を持つ信長が、1582年に48歳の若さで命を落としていなかったら、日本の歴史は全く違ったものになっていたかもしれない。

 信長の死から18年後の1600年、関ヶ原の戦い徳川家康率いる東軍が勝利し、その後の徳川幕府治世下では「鎖国」が進められた。対照的に、同じ年にイギリスは東インド会社を設立。七つの海の制覇に向けて、大英帝国が立ち上がったのだ。
 もし17世紀を迎える時、日本のリーダーが信長だったら……。
 信長が、中国大陸への進出を計画していたことは多くの史料に残されている。晩年の秀吉の朝鮮出兵はひどい失敗に終わったが、信長であれば成功を収めていたかもしれない。
 世界が帝国主義に傾いていく時代に、日本も肩を並べて足を踏み入れていったのかもしれない。少なくとも、海外との接触に対し堅く扉を閉ざして、亀の甲羅に引きこもるような時代が270年も続くことはなかっただろう。
 欧米では1600~1700年代にかけて市民革命が相次いで起きた。日本でそれに近い明治維新(1868年)が起きる100年以上も前のことである。欧州の100 年先を進んでいた信長が死に、逆に100年の後れを取った。
「内向き志向」と揶揄される今の日本人の姿勢の遠因が、本能寺にあったのかもしれない。私には、そう思えてならない。
SAPIO2011年10月5日号 

 

李舜臣の亀甲船VS織田信長の鉄甲船VSペリーの黒船~そんなもんが動いたら大東亜戦争もなかった。 - 在日琉球人の王政復古日記

の続き。

 

もしも、織田信長が本能寺で死ななかったら?、日本史のIF話の定番である。

そういう架空戦記もたくさんあるようだが、彼が長命だったからって、歴史が大きく変わったとは思えない。事実、彼の後継者・豊臣秀吉が信長のグランドデザインをほぼ踏襲しているからだ。信長が本能寺で死ななくても、その後の歴史は秀吉とほぼ同じだろう。

 

もしも、信長がラッキーだったら?

天下統一がなった暁には、秀吉と同じく海外出兵はした可能性はある。目標は?となれば、やっぱり朝鮮だろう。

それ以外の国は遠すぎるのだ。それこそ、信長の鉄甲船はベタ凪の瀬戸内海を航行できたかどうかも怪しいし、たとえば台湾、フィリピンとなると当時の日本の造船技術では大兵力を送ることは難しい。

蝦夷が唯一近いのだが、結局は西国人である信長は、瀬戸内海の向こう側を見ていて、まず奥州のその果てには目が向かないだろう。

 

さて、ラッキー信長の朝鮮出兵は成功したか?

これも秀吉とあんまり変わらなかったとしか言えない。そもそも秀吉だって何か戦術的にチョンボしたから朝鮮征服に失敗したわけではない。普通に当時で可能な限りの軍事力を行使して、普通に苦戦しただけの話だ。

「大阪湾に浮かんだまま動けない要塞」でしかない鉄甲船が、玄界灘の荒波を渡ることはまず不可能で、朝鮮出兵の役には立つまい。

 

もしも、信長がスーパーラッキーだったら?

戦争というのは相手次第の話で、もし明国に内政問題があったり、満州族の南下が史実よりも早かったり、李氏朝鮮の主要メンバーが立て続けに戦死したりして、朝鮮半島が手に入った可能性はないではない。それは信長がスゴイというわけではなく、同じ条件なら秀吉でも成功しただろう。

 

しかし、そこからは、まったく新しい日本史の始まりだ。

朝鮮の抵抗を抑えきって統治したとしても、軍事力の継続使用が前提となる。明国との間には地上の国境線がある。その後は活発化した満州族の侵攻も防御しなければならない。

つまりスーパーラッキー信長の日本には、落合さんの言う通り、平和で鎖国の江戸時代はやってこない。

 

「江戸時代がない」ということを、落合さんはなにか素晴らしいことのように考えているが、もし江戸時代がなくなったら、日本人が普通に「これが日本」と当たり前に思ってる文化や風俗や風習の半分以上は生まれていない。

たとえば「江戸時代がない」ならば、家内制手工業の大発展はないわけで、後の明治維新を支えた日本の産業基盤、職人気質、商人道徳は存在しない。 

江戸時代のモノ作り重視の「農本主義」は発達せず、海賊と変わらない貿易商人マインドつまりは「重商主義」の日本となっていただろう。

「苦労してちまちまモノを作るくらいなら、別の場所から持って来い(買って来い、または、奪って来い)」の世界だ。

 

スーパーラッキー信長の日本は「戦国時代の延長」かつ「開国による海外文化の大量流入」となる。

日本列島のバランスも大きく西に傾く。京大坂は日本の「東」の中心である。「西」ではない。琵琶湖より東はただの農村だ。関東は奥州と変わらない田舎である。

軍事力の継続使用は、江戸時代と違って、海上輸送能力・造船技術を大きく伸ばす。今度こそホンモノの鉄甲船や亀甲船が実現したかもしれない。そのうちフィリピン遠征くらいはやっただろう。

日本に流入する文化は支那・朝鮮だけではない。海洋アジア文化、ポルトガル文化、ひょっとしたらイスラム文化もやってくる。 

比叡山本願寺を潰したスーパーラッキー信長も、今度はカトリックイスラムに対抗しなければならない。切支丹大名どころか、イスラム大名である。

逆に日本列島からも日本人が大量に流出する。

インドシナには100人の山田長政が生まれるだろう。その後イスラムを信仰する日系王朝がマラッカ海峡に誕生してもおかしくない。

 

インドネシア人傭兵を引き連れた日系イスラム大名「羽柴・ムハンマド2世」が大船団で瀬戸内海に侵入する。

朝鮮王族から信長の家臣になり、やっぱり本能寺に宿泊してしまった(笑)主君・信長を討ち取って天下を握った切支丹大名「サンチョ・ジョバンニ・李」が、朝廷より征夷大将軍を拝命、ポルトガル軍と連合して、迎え撃つ。

 

瀬戸内海に「アラー・アクバル!」「ゼウスの御名を称えよ!マンセー!」と、ときの声がこだまする・・・「東洋のツールポワチエ」と後世に名高い、天下分け目の大海戦の始まりだ。

 

こういうのを「こうあるべきだった日本」と呼ぶのなら、私にも異存はない(笑)。