花川戸の助六。
歌舞伎十八番の一『助六由縁江戸櫻(すけろくゆかりのえどざくら)』より。
「さいぼし」か「油かす」か~天皇制と部落差別は「親子」ではなく、同じ母から産まれた「兄弟」である。 - 在日琉球人の王政復古日記
の続き。
西日本、特に関西に、部落差別や在日朝鮮人や琉球人が多い、からといって、これらを「一緒くた」にする、困った日本人が多い。
前回書いたように、部落差別も在日朝鮮人も琉球人も、広くシルクロードが産み落とした副産物ではあるが、「一緒」ではない。出自というか系統はぜんぜん異なる。
ネットでは、朝鮮人と部落差別を同一視するバカが多い。
それは差別したがる右方向の人だけではなく、
彼らの味方のつもりの左方向の人も、「差別」という粗雑過ぎるカテゴリーだけで、本来まったく別々の存在である部落差別と在日朝鮮人と、さらに琉球人やアイヌまで、一緒くたにするのである。
たとえば、在日朝鮮人問題は、日本列島の原住民である日本人から、外来者・移民である朝鮮人へ、の差別であり、
アイヌ問題は、外来者・移民であるシャモ=日本人から、蝦夷地の原住民であるアイヌへ、の差別なのだから、
ベクトルが正反対だ。
「移民は出て行け!」というのは、在日朝鮮人差別だが、アイヌにとっては原住民の権利表明になる(笑)。これだけでも一緒にはならない。
近代になって、朝鮮人も、琉球人も、出稼ぎで大阪にやってきた。
そこは同じだが、だからといって、朝鮮人と琉球人が民族的に同一になるわけではない。
お互いにお互いを同一視した歴史もない。住む場所も一緒にはならなかった。
在日朝鮮人問題は明治以降の話であるが、部落差別の源流は明治の話ではなく、江戸時代の話でもなく、中世、古代まで遡る。
「部落異民族説」というのもあるが、学問的証明は何もない。部落に百済や新羅など古代朝鮮文化が残ってる、なんて話もない。
というか、20世紀や平成の感覚で、歴史をみると、大きく間違う。
日本で朝鮮人が蔑視された(されている)のは、明治から平成までの新しい話だ。
それ以前は、朝鮮人への異人視はあったが、朝鮮人蔑視は(ないわけではないが)少なかった。
豊臣秀吉の朝鮮出兵で数多くの朝鮮人捕虜を拉致したが、大名たちは朝鮮人を奴隷・賤民扱いしたわけではない。数十年後には日本に馴染んだので帰国したくないという朝鮮人が多くなり、そのうち日本に同化した。朝鮮人の意識が後代まで残ったのは陶工などの特殊技能者であり、彼らは蔑視どころか技能者として保護される存在だった。
古代の渡来人も、一般人より格上の扱いであり、要は王朝貴族の一員である。
乱暴に言えば、明治より前において、日本における朝鮮人は、異人ではあっても、差別対象ではないのだ。
しかし、同じ時代には、すでに部落差別の源流は厳然として存在している。
よって、朝鮮半島出身者が被差別部落になった、被差別部落は朝鮮半島出身だ、というのは、まず、ありえない。
ありえるとすれば、どっちかというと、半島ではなく北方、アイヌである。
古代より大和朝廷は蝦夷地を征服していった。今でいう関東、東北、北海道だ。
スターリンのソ連もそうだが、統治政策として、原住民を強制移住させる手段があった。「蝦夷の俘囚」というやつだ。
たとえば、平安時代に、東北地方の蝦夷と朝廷(というか清和源氏)の間で戦争になり、負けた蝦夷の棟梁は西日本各地に流刑となった。前九年の役である。
この敗北した蝦夷の名前が「安倍」氏であり、それを出自とする系譜を持つのが山口県人である内閣総理大臣「安倍」ちゃんだ。その安倍ちゃんが清和会、というのも、皮肉と言えば皮肉である
蝦夷の王者・安倍の血を誇る家柄もあるくらいなので、完全に蔑視されたわけではないが、比較で言えば、蝦夷は、朝鮮人と異なり、文化が低いとみなされていたので、明らかに蔑視はあった。
彼ら「蝦夷の俘囚」の言い伝えと、被差別部落の分布が重なるのではないか?という説の方が、根拠は薄いが、まだ検討の余地があるだろう。
在日朝鮮人がほぼ皆無の時代から、部落差別の源流はあった。
彼らは宗教的存在であったが、産業的に重要だったのが「皮革加工」だ。
近代になって石油精製加工が始まる前まで、皮革は最重要の戦略物資だった。他に代替品が無いからだ。
鉄や銅などの金属はある。陶器も木材もある。絹や綿や麻などの植物繊維もある。しかし鉄より柔らかく、綿より丈夫な素材は、木材を除けば、皮革くらいしかない。
これを一手独占で引き受けたのが、部落差別の源流となった社会集団である。
部落のソウルフード、獣肉のさいぼしや油かすは、その副産物というわけだ。
この社会集団・経済組織の歴史で、最も著名なのが、関東の総元締めとなった「浅草弾左衛門」だ。
彼らのネットワークは、一般の農民たちを超えて、全国組織だったようだ。
例えば、江戸の弾左衛門宗家が養子を上方(関西地方)から招いたりしている。
江戸時代なのに幕藩体制を超えた人的交流があったのである。 どういうシステムだったのか、不勉強で知らない。おそらく江戸時代よりも前、中世時代における宗教的ネットワークを維持していたのだろう。
しかし、何千と作られている時代劇で、彼の名前は出てこない。
蝦夷の英雄・アテルイはテレビドラマになっても、浅草弾左衛門はチョイ役ですら出てこない。200年以上に渡って江戸町民なら誰でもその存在を知っていたのに。これが本当の意味でタブーであり、差別なのだ。
皮革加工は水を大量に必要にするし、臭気もあるので、集落から離れた、農業に不向きな、河川敷で行われることが多い。そこは所有者が明確に決まっていない場所であり、要は神仏の場所だ。彼らは「河原者」と呼ばれたりもした。
彼らは寺社に所属したので、神事仏事つまりは芸能にも通じる。農楽、猿楽、田楽、能狂言も彼らの芸能である。芸人を侮蔑して「河原乞食」と呼ぶのはそういうことだ。
そこから生まれた江戸時代の歌舞伎も同様である。
皮革産業の独占企業家・浅草弾左衛門は、芸能の統括者つまり「江戸のジャニーズ事務所」でもあったわけだ。
しかし、江戸時代、近世は、宗教の地位が低下する。宗教の付属物だった芸能が、芸能だけで発展するようになる。寺や神社を離れて、ショービジネスとして成立するわけだ。
そこから、庶民から熱狂される人気商売の出自が、庶民から蔑視された河原者、という矛盾を抱えるようになる。
寺社からも、皮革加工からも、関係が無くなった歌舞伎関係者からは、身分や所属の独立を求める機運が高まる。
賎民階級からの脱出をもくろむ歌舞伎と、管理しようとする弾左衛門の戦い。
それが歌舞伎の演目となったのが、いわゆる「助六」モノだ。
主人公の助六は、正体は武士となっているが、やってることは無頼の徒、要はヤクザである。
敵役・髭の意休は、まさに正体不明である。
農民にも坊主にも見えない。武士なのか?大名にも旗本にも見えない。富豪なのか?何の商売か?なんで刀を持っているのか?
金はたくさん持っている。しかし遊女からは嫌われている。
普通、ドラマなら、悪役がさんざん悪いことをして、主人公がガマンして、ついに主人公が反撃する、というのは筋書きである。
しかし助六由縁江戸櫻では、善玉・助六は一方的に意休を攻撃し、悪玉・意休の方がガマンにガマンを重ねるのである。
とにかく助六のやることなすこと、今なら完全なヘイトスピーチ、ヘイトクライムである(笑)。意休に対する悪口雑言は、現在のテレビではとても放送できない。たとえ放送できても逐一翻訳できない。
特に、このシーンは下品極まる。
いくら敵かは知らないが、他人の頭に下駄を乗っけるのだ。正義の主人公が。
どうだなどうだな、なぜモノを言わネエ、唖か、聾か、(刀を)抜きゃれな抜きゃれな、ハテ張り合いのないヤツだ。猫に追われた鼠のように、チュウの音も出ネエな。可愛や、コイツ死んだそうな。よしよし、俺が引導渡してやろう。如是畜生発菩提心、往生安楽どんくゎんちん、ハハハハハ、イョ乞食の閻魔さまメ!
「頭に履物」というのは古今東西、万国共通の侮蔑行為である。
イラク戦争でフセイン政権が崩壊した時、フセインの銅像が引き倒されて、民衆が靴で銅像の頭を叩いていたのが思い出される。
「畜生」も「乞食」も河原者を連想させるキーワードであって、意休の正体は、歌舞伎を支配していた、武士でも坊主でも町人でもない、見えない大富豪・浅草弾左衛門なのだろうと推測される。
天下泰平の江戸時代に、ダンとダンの暗闘があったのだ。
部落差別を考えることは、日本の芸能を考えることでもあり、日本史そのものを考えることでもある。