What A Lovely Day !
「マッドマックス怒りのデス・ロード」・・・あらためて、良い映画だ。
「マッドマックス怒りのデス・ロード」(MMFR)は、もはや全てを語りつくすことが不可能になってしまった映画だ。
「スター・ウォーズ」や「仁義なき戦い」のように、ファン側で勝手に2次創作・3次妄想(笑)を始めてしまって、全体が無限に膨れ上がっていく。
女にうといボンクラ野郎+荒ぶるフェミニスト、奇跡のジェンダー・コラボレーション~映画「マッドマックス怒りのデス・ロード」 - 在日琉球人の王政復古日記
の続き。
よって思いつくまま、雑感を。
MMFRは恋愛無用映画だ。
フェミニズムもその要素だが、登場人物は誰も男女の恋愛関係が無い。
イモータン・ジョーは、妻たち《ワイブズ》に貞操帯を強制してるが、あれは「好きな女に変な虫が付かないように」というより、「確実に俺の血を受け継いだ子孫を残すため」であろう。
ジョーは《ワイブズ》に出産を期待してるのであって、愛しているわけではない。ひょっとしたら、セックスしたいわけでもないかもしれない。
ジョーが逃亡する《ワイブズ》を追跡するのも、ジェラシーではなく、「腹の中のオレの子を返せ」ということだ。
で、《ワイブズ》の中で唯一死ぬのが「妊婦」なのだ。
普通のハリウッド映画は、成人男性はバンバン殺しても、女性はあんまり殺さない、成人女性は殺しても、子供は殺さない。ましてや赤ん坊や妊婦は殺さない。
しかしMMFRはま逆に、妊婦を、つまり赤ん坊を殺してしまう。
女性は生殖のために「産む機械」として存在するのではない、という、これもある意味フェミニズムな要素である。
当初、フュリオサの目的は「イモータン・ジョー的秩序」からの脱出であった。「統治体制」「政治的なるもの」からの脱出だ。
希望の世界(無政府共産社会)が幻だったと知らされたあとも、塩の海の向こう側に逃げようとする。事実上の集団自殺である。
そうまでして、ジョー的秩序=政治から逃げようとするフュリオサに、マックスが「生き残るため、反対にジョーの王国を奪ってしまえ(クーデタ、革命)」と助言する。「おまえが、みんなにとって少しでもマシな《新しいジョー》になれ」ということだ。
この映画、マックスが主人公なのか、フュリオサが主人公なのか、わからないところがあるが、ここでは、「スター・ウォーズ」のルークと、オビワンやヨーダとの関係と同じで、フュリオサが悩める主人公、マックスがお師匠さん、導師役である。
MMFRで好きなシーンはラストだったりする。
昇降機で城砦の《上》へ登るフュリオサ。
地べたで人ごみ(本当にゴミのような民衆たち)の中に消えていくマックス。
その気がなくとも、すでに「睥睨する、見下す」立場になっているフュリオサ。
見上げてうなずき、背を向けるマックス。
養うべき仲間がたくさんいる、タネを育てて食料を得るという仕事があるフュリオサ。
たった一人生きていくだけのマックス。
お互いの同志的友情は変わらないが、もう政治的立場は違う。
ジョーは死んでも、政治は死なない。
ブルボン王朝は倒しても、フランスは残る。ナポレオンも出てくる。
フュリオサはジョーの黄泉帰りであり、ジョー=政治は、イモータン(不死)なのだ。
まあ、フュリオサに政治を押し付けておいて、自分は政治からフリーなマックスは、ずるいといえばずるいんだが(笑)。
見事な「政治映画」である。
ウエスタンの「シェーン」、日活・小林旭の「渡り鳥」シリーズもそうだが、事件を解決したヒーローは、映画の最後に、その現場からただ一人、荒野へ去っていく。孤高の人である。カッコイイ。
しかしマックスは人ごみの中に消える。無名のワン・オブ・ゼムに戻っていく。
マックスは、名無しの無名で登場して、名無しの無名で去っていく。
マックスがマックスを名乗ったのは、フュリオサへの輸血シーンだけだ。
映画は、男と女が登場すると、どうしても「恋愛」を見てしまう。
フェミニズムまる出しのMMFRでも、ファンは「恋愛」の存在を欲望する。
しかし、私はこのシーンは「ラブシーン」ではなく、「授乳」だと見た。
「授乳」だとすると男と女の立場があべこべだが、そこがフェミニズム的なのだ。
男性が「男性的」に女性を救うのではなく、「母親的」に人間を救うのだ。
じゃあMMFRに恋愛要素はゼロかといえば、みなさん大好き(笑)ニュークス&ケイパブルのカップルがいる。
彼らの関係は恋愛なのか? 確かに恋愛に限りなく近い。ほぼ恋愛といっていいだろう。
しかしニュークスは、樹木を「でっぱり」と呼ぶ。樹木という存在を知らないのだ。
同じように、ニュークスは自分の心のうちに芽生えた感情を「恋愛」とは思っていない。「恋愛」という存在を知らないからだ。
マックスとフュリオサの輸血を、友情であって、男女のラブシーンとは見ない私にとって、この映画唯一のラブシーン、キスシーンは、
眠るケイパブルの肌を這う《虫》を、ニュークスが摘み上げて、じっと眺めながら、パクッと食べてしまうシーンだ。あれがこの映画唯一の「キス」シーンだと思う。
この映画の冒頭、マックスが速攻で双頭の奇形トカゲを食べてしまうシーンがある。この世界の食糧事情を表現したワイルドなシーンだが、ニュークスの「虫パク」も同じくこの世界の食糧事情からして普通の行為なのだが、一瞬だけ虫をじっと眺めるという行為に、それが「ただの虫」ではなく、「ケイパブルの肌を這っていた虫」という食料以外の意味が付加されている。
ニュークスは「ただの虫」と「ケイパブルの肌を這っていた虫」の違いには気が付いてたが、それを恋愛と呼ぶモノだとはまだ言語化・観念化できないまま、とりあえず栄養補給(笑)を優先したのだ。
思いつくままランダムに書いてみた。
まだまだ語るべきことがたくさんある。
これが私のMMFRだが、貴方のMMFRはまた別にあるだろう。