夏になって、暑さと生活に、時間も、体力も、気力も、枯渇した(号泣)。
よって、書きたいことは山ほどあるのだが、ブログが止まっている。
良い映画を見た。
「新世代の三谷幸喜」とか言われてるが、それは三谷を誉め過ぎだ(笑)。
三谷の主戦場である舞台演劇は知らないが、こと映画に関しては、「カメラを止めるな」は、すでに三谷幸喜を完全に凌駕している。
「2018年ベストワン」という呼び声も高いが、それも過小評価である。
あんまり本数は見てないが、ここ数年、映画館で見た中では、
「映画館で見るべき映画」として、
「シン・ゴジラ」(2016年)をアッサリ抜き去り、邦画1位。
今や、私の中では、
製作費12,200,000,000円の「マッドマックス 怒りのデス・ロード」(2015年)と、
製作費3,000,000円の「カメラを止めるな!」(2018年)、
どっちが映画として優れているのか?、をホンキで悩んでいる(笑)。
女にうといボンクラ野郎+荒ぶるフェミニスト=奇跡のジェンダー・コラボ映画「マッドマックス怒りのデス・ロード」 - 在日琉球人の王政復古日記
映画「マッドマックス怒りのデス・ロード」~ニュークス&ケイパブルの「キス」。マックス&フュリオサの「授乳」。 - 在日琉球人の王政復古日記
「カメラを止めるな!」は、この「映画の奇跡」と互角の勝負である。
Mad Max: Fury Road (2015) - The chase begins (1/10) (slightly edited) [4K]
鼻の差でやっぱり「怒りのデスロード」か?、というのが現時点の結論。
「カメラを止めるな」はそのレベルの映画である。
イロイロ書きたいのだが、筆が動かない。
・・・と思ってる内に、スキャンダル勃発。
『カメラを止めるな!』はパクリだ!原作者が怒りの告発(SmartFLASH) - Yahoo!ニュース
和田氏が怒りをぶつける。
「僕の舞台を原案というけど、僕は案を出したわけじゃなく、実際に舞台を作り上げて、何度も公演もして、上田監督はそれを観ているわけです。
その脚本をもとに作られた『カメラを止めるな!』が、さも完全オリジナル脚本のように絶賛されているのは、クリエイターとして到底承服しかねますね。多くの元劇団員からも同じ声が上がっています。僕たちが納得して、映画が作られたと思われているのは心外です」
どういう結末になるのか知らないが、
そもそも「カメラを止めるな」(だけには限らず、全ての映画)は、過去の映画(やそれ以外の作品)が無ければ、生れていない。
よって 「カメラを止めるな」のパクリ元、じぇねえや、インスパイア元、いやいや、ライバルたちを、思いつくまま、挙げていく。
★「ロッキー」1976年。
映画の命は「テク」や「表面」ではない。重要なのは「魂」の部分だ。
「カメラを止めるな」は、
シルベスター・スタローンの「ロッキー」にソックリなのだ。
「ロッキー」とは「ヒザをつくな!」「リングを降りるな!」「タオルを投げるな!」という映画なのである。
やるか、やらないか~映画「ロッキー」~国家の優劣・勝敗と、個人の優劣・勝敗は、全く別の話。 - 在日琉球人の王政復古日記
★「SR サイタマノラッパー」2009年。
「カメラを止めるな」は最初が長回しワンカット。
「SR サイタマノラッパー」はラストが長回しワンカット。
そして、映画の言いたいこともまったく同じだ。
青春の季節が過ぎ去り、夢を捨て地道に土方になるか?
居酒屋でバイトしながら、ヒップホップを続けるか?
★「レスラー」2009年。
あらゆる意味で正反対。アンチ「カメラを止めるな」映画の代表作。
「カメラ」を止めなかった!からと言って、幸せになれるわけではない。
逆に、早いうちに「カメラ」を諦めた方が、マシな人生(特に金銭面)が送れる可能性は高い。
人生は、一度きりにして、残酷である。
「カメラを止めるな」の重要なエピソードにも、確実に「レスラー」からインスパイアされた部分がある。
★「浅草キッド」1986年。
映画を絶賛した漫才師の水道橋博士、ではない。ビートたけしの歌の方。
映画「火花」は観てないが、その主題歌こそ、もう一つの、まったく違う結末の「カメラを止めるな」である。
「カメラを止めるな」と、言葉は簡単だが、「カメラを回し続ける」人生は生半可ではない。
挑んだ人間の99%は、「カメラを止めるな」ではなく、「浅草キッド」で終わる。
★「さよなら人類」 1990年。
「カメラを止めるな」を見た後、このバンドを思い出した。
運と実力に選ばれし残りの1%が「カメラを止めるな」に到達できる。しかし、それがゴールではない。スタートなのだ。
1%の中の、さらに99%は、「カメラを止めるな」の「次」を出せずにもがき苦しむ。
「たま」が登場した時、天才出現!と誰もが思った。彼らも「カメラを止めるな」には到達した。しかし、続かなかった。
読んではないが、この本も同じだろう。
「カメラを止めるな」を絶賛する人に、役者やお笑い芸人が多いのは、これが理由だろう。彼らの大半は、「カメラを止めるな」の《直前》と《直後》を、日々生きている。
「カメラを止めるな」に対する、最も感動した的確な批評はこれだった。
『カメラを止めるな!』、熱狂に役者陣も困惑「早く忘れなければ」 | ORICON NEWS
2018-08-10
(略)
大沢真一郎『カメラを止めるな!』に出てた人だと、この後も言われるでしょうから。逆に大きすぎるハードルになっていますね。役者としては、なるべく早く忘れないといけないことだと思います。
(略)
映画ではいい加減なプロデューサー役だったが(笑)、さすがに本人は「判っている」。部外者ながら安心した。
観客は、映画ファンは、いつまでもいつまでも「カメラを止めるな」の余韻に浸っていても構わない。 しかし、監督や役者は違う。
映画ファンにとって「カメラを止めるな」は一つの到達点=ゴールだが、
監督や役者にとって「カメラを止めるな」はゴールではない。通過点なのだ。
次の作品も「カメラを止めるな」にしなければ、この道で生きていけない。
★「日本の夜と霧」1960年。
長回しという意味では、この映画も思い出した。
予算的理由ではなく、政治的理由(笑)で、公開までの時間がなく、ほとんど一発取りに近かったため、途中で明らかにセリフを噛んでる部分もあるのだが、そのまんま公開した。これも大島渚の「カメラを止めるな」なのだ。
政治的には正反対(笑)に行き着いた津川雅彦も出演している。
★「祭りの準備」1975年。
どこが関係あるの?と思われそうだが、
この映画は「カメラを止めるな」《前夜》、「オレもカメラを回すぞ!止めないぞ!」と決断した青年の物語。
atg「祭りの準備」(1975年)原田芳雄VS日活「南国土佐を後にして」(1959年)小林旭、ペギー葉山。 - 在日琉球人の王政復古日記
ラストの原田芳雄の「バンザイ」は、日本映画史に残る名シーン。
「馬鹿なオレは自業自得で《人生のカメラ》を止めてしまった。
でも、オマエは《人生のカメラ》を回し続けろ!オレの分まで!」
原田芳雄は、失敗するのが怖くて「カメラ」を手に取らなかった、「浅草キッド」にすらなれなかった、人生を勝負しなかった、その他大勢、つまり、そこのあなたと、この私、なのである。
「逃げた」われわれにできることは、オレは「カメラ」を止めない!と決断したチャレンジャーへの「バンザイ」しかないのだ。
映画 #カメラを止めるな! の凄みはラストの父娘の無言の笑顔~ #カメ止め フランスでリメイク。 - 在日琉球人の王政復古日記
#デカレンジャー VS #カメラを止めるな! ~デカブレイクが浅草キッドを選んだから、デカピンクと結婚できる。 - 在日琉球人の王政復古日記