在日琉球人の王政復古日記

NATION OF LEQUIO

キラキラネーム(DQNネーム)は「日本そのもの」である。

紫陽花、女郎花、向日葵、蒲公英、馬酔木・・・読めますか?

時今也桔梗旗揚、盟三五大切、再茲歌舞伎花轢、青砥稿花紅彩画、国性爺姿写真鏡、、、読めますか?

 

キラキラネームは深夜の受診が多い? 医学論文に反響、著者の狙いは - withnews(ウィズニュース)

「『キラキラネーム児』の親が、病院という公共空間に対する配慮に欠いているために深夜に救急受診している可能性を示唆している」

  

確かに、 わが子にキラキラネームをつける親は、アレな傾向が高いと思う。

 

しかし、「親バカ」というか「バカ親」は、平成または21世紀になって、突然、発症・増殖したものではない。

そして、「キラキラネーム」または「DQNネーム」も、戦後になって始まった狂気ではない。

もちろん憲法9条の責任でもない(笑)。

 

キラキラネームの反対に「シワシワネーム」というのもあるそうだ。

要は、時代劇に出てきそうな古臭い名前ということなのだろう。

しかし、この「古臭い名前」という感覚こそが、まさに「日本らしい」感覚なのである。

 

ロミオ、ジュリエット、アントーニオ、ヘンリー、リチャード、ジョン、、、

16世紀末のシェイクスピアの戯曲に出てくる名前を、欧米人はシワシワネームとは呼ばないだろう。今でも普通の名前だ。

マリア、パウロ、ペテロ、マタイ、ルカ、マルコ、、、

2000年前の聖書に出てくる名前も、

マリー、ポール、ピーター、マシュー、ルーク、マーク、、、

と、21世紀でも普通に命名されている。

欧米人は、1000年前、2000年前の名前を、今でも使っているのだ。

 

しかし日本は欧米とは異なる。

たとえば「日本人らしい名前」とは、いったい、どういう時代の、どんな名前を指しているのか?

与ノ助だの、松吉だの、平蔵だの、五右衛門だの、久兵衛だの、大膳だの、式部だの、次郎三郎(次郎と三郎、じゃないよ。「次郎三郎」で一人の名前)だの、が「日本人らしい名前」なのか? 300年前には普通にあったこれらの名前が、現在はもちろん、昭和にはすでに使われなくなっていた。

逆に1960年代に流行っていた、今では普通の、誠だの真梨子だの達也だの小百合だの和彦だのは、江戸時代から見れば十分変わった名前だ。 

ヒロシだのススムだの、平凡だと思われてる一字名前も、古代や中世にはほとんど無かった。例外的に渡辺氏や源氏の一部に一字名前はあるが(渡辺綱、源護など)、極々少数派である。

 

つまり、「日本人らしい名前」なんてもんは基本的に無い。時代によって大きく変わるからだ。キラキラネームなんか無かった昔から、日本人の名前は、非常に流行り・廃りが激しいのである。

民族が興亡し、国家の滅亡や革命を繰り返しながらも、2000年前から同じ名前を使い続ける欧米。

同一民族なのに、100年くらいで名前の流行が入れ替わる日本。

日本は文化の断絶の無い、古来よりの文化を継承している、というけれど、「文化の継承」とはそもそも何を意味するのか?簡単な話ではないようである。

 

たとえば日本人の名前で「鬼怒鳴門」というのがある。これをどう思うか?

しかもこれは無教養で馬鹿な親が付けたのではなく、日本文学研究の第一人者であるドナルド・キーン本人が自ら命名したのである。

泡姫(ありえる)、今鹿(なうしか)がダメならば、鬼怒鳴門(キーン・ドナルド)だってダメだろう。 

しかし付けた当人は、一般のヤマト民族以上に、日本文化に精通してる教養人なんだけどね(笑)。

 

日本プロ野球読売ジャイアンツは、闘魂ならぬ「橙魂」(オレンジ色のスピリットってことか?)なるキャッチフレーズを使っている。

黄熊(ぷぅ)、心愛(ここあ)が日本語の破壊なら、橙魂(とうこん)だって日本語の破壊だろう。 

日本一の発行部数を誇る読売新聞は美しい日本語を破壊しているのか?

 

逆だ。

 

鬼怒鳴門(キーン・ドナルド)も橙魂(とうこん)も、日本固有の言語文化に沿った、日本語らしい言葉の使い方なのである。

 

考えれば判ることだが、マトモに読めない当て字の名前は、この21世紀の地球では唯一、日本(属領・琉球を含む)でしかありえないことなのだ。

こんな問題は、アメリカやヨーロッパやイスラム圏ではまずありえない。なぜなら彼らは基本的にアルファベットしか使わないからだ。アルファベットに当て字なんぞない。

支那でもないわけではないが日本より少ない。逆に彼らは、表音文字が無く、表意文字の漢字しか使わないからだ。
朝鮮は、漢字を常用していた昔はともかく、ハングル専用になった今では、日本と同じ問題は起こりにくいだろう。ハングルは結局アルファベットだからだ。

 

10月9日は「ハングルの日」~ハングルは、モンゴルのパスパ文字であり、アルファベットである。 - 在日琉球人の王政復古日記

 

つまりキラキラネームという漢字への当て字名前は、日本独特の現象であり、日本独特ということは「日本を日本たらしめている何か」がその背後にあると推測できる。

それを深く考えもせず、安易に否定・制限すれば、かえって、そっちが「日本文化の破壊」になりかねない。

 

キラキラネームに怒ってる、主観的には日本文化擁護のつもりの方々は、

たとえば紫陽花、女郎花、向日葵、蒲公英、馬酔木などの日本語をどう考えるのか? つーか、あじさい、おみなえし、ひまわり、たんぽぽ、あしび、と正確に読めただろうか? 

これらはかなり無理やりな当て字だ。江戸時代や明治時代に作られた元祖キラキラネームなのである。じゃあ、これらの、過度に難解な名称を廃止すべきか? それって古き(笑)良き(笑)美しい(笑)日本語の破壊ということになるわな。

 

また、時今也桔梗旗揚(ときはいまききょうのはたあげ)だの、盟三五大切(かみかけてさんごたいせつ)だの、再茲歌舞伎花轢(またここにかぶきのはなだし)だの、青砥稿花紅彩画(あおとぞうしはなのにしきえ)だの、国性爺姿写真鏡(こくせんやすがたのうつしえ)だの、歌舞伎の外題はどうか? キラキラじゃないか。

他にも、和歌や短歌の掛詞、落語などの話芸、洒落や駄洒落などの言葉遊び、などなど、日本語特有の「当て字システム」無しに成立するわけがないのだ。

 

なぜ日本語にこういう問題が起こるのか?といえば、 

・「支那文字=漢字」を日本語の記述方法に採用した。

・日本語は母音と子音の種類が少ない。
という2つが大きい。

そして、おそらくだが、この2つは同じ事の両面である。

 

漢字という名の地獄~この空を飛べたら(中島みゆき/加藤登紀子)~昔者蒼頡作書、而天雨粟、鬼夜哭(淮南子)。 - 在日琉球人の王政復古日記

 

そして、世界の大半が使用するアルファベットとは異なり、漢字にはその一文字一文字に「意味」と「読み」がある。そして、その「意味」と「読み」を分離することができる。

たとえば支那人はドイツの人名「Marx」を「馬克斯」と書く。
別に「Marx」は馬に関係はないんだが「読み」だけ借りたわけだ。
もうこの段階でキラキラネームに近いモノが作られている(笑)。

支那人支那文字を使っても、こういう奇怪な使い方ができる。ましてや、支那人ではないのに支那文字を使うようになったら、ますます奇怪な使い方が可能だ。その代表が日本語である。

 

昔々、日本人は支那語をしゃべるわけでもないのに、支那文字=漢字を使い出した。
もともと漢字には「意味」と「読み」が別々に備わってる上に、そこへ日本独自の意味も追加し、読みも、呉音、漢音、唐音、と複数の音読みを取り入れ、さらには日本語で訓読みもつけた。

よって、日本語における漢字には、意味(支那バージョン&日本バージョン)、音読み(呉音、漢音、唐音)、訓読み、とこれだけの要素が構成される。しかもバラバラに一機能だけの使用が可能だ。

 

日本語は母音と子音の種類が少ない。なぜか?

だいたい、寒い地方の言語は発音が多くて複雑だ。暖かい場所の言語は発音が少ない。英語や北欧の言葉は母音が多いが、スペイン語やイタリア語は日本語同様アイウエオしかない。日本より寒い朝鮮の言語は母音が多い。日本語は少ない。

そして漢字の使用で、ますます日本語の発音が少なくなったと思われる。

漢字の影響、発音の少なさで、日本語には同音異義語がたくさんある。

同じ読みでもイロイロな漢字が使用できる。この「シヨウ/使用」だけでも、私用、仕様、試用、枝葉、止揚、などなど。しかもこれは意味がある組み合わせだけで、意味を無視すれば、師夜有でも、死誉兎でも、当て字なら何千パターンも作れる。

そもそも平仮名片仮名もこういった当て字から作られたのである。

 

また日本語は擬声語が豊富。

どんどん、にゃーにゃー、めそめそ、しーん、などなどいわゆるオノマトペね。意味は度外視して、語感や言葉の響きだけで言葉を使用することに慣れているのだ。

 

・命名の流行り廃りが激しい。
・「Marx」を「馬克斯」と書ける漢字の便利さ/としか書けない不便さ。
・意味と読みの分離、読みの不統一。
・母音・子音が少なく、同音異義語だらけ。
・意味を無視した当て字の伝統。
擬声語好きで言葉の響き重視。

 

使用する言語にこれだけ条件がそろえば、奇怪な名前を作らないほうが不自然だ。

キラキラネームこそが、日本語、日本文化、いや日本そのものなのである。