中国、対アフリカ巨額融資を見直し 一帯一路が曲がり角 - 日本経済新聞
2022年8月18日
【カイロ=久門武史、北京=川手伊織】中国が、アフリカのインフラ整備に向けた巨額融資が軸の経済協力の見直しに着手した。官民協力で高速道路を建設し、債務再編の交渉に応じる。成長鈍化で「大盤振る舞い」が難しくなり、融資先の「焦げ付きリスク」も警戒する。返済能力を超える貸し付けを巡る国際社会の批判をかわす狙いもある。中国が主導する広域経済圏構想「一帯一路」は曲がり角を迎えた。
いくら鉱物資源が豊富で、潜在的に巨大な労働力と市場が期待できる、といっても、アフリカにはこの問題がある。
映画「ホテル・ルワンダ」(04 英伊南ア/日本公開06)予告編
1994年、アフリカ中部の小国ルワンダで勃発した大虐殺は、たった100日で、500,000人から1,000,000人が殺されたといわれる。
問題は被害者の人数だが、それは「多さ」だけの話ではない。
上限と下限の「ブレ幅のひどさ」こそ、アフリカの問題である。
資料や証拠に乏しい大昔の考古学の話ではない。映像もデータも山ほどそろってる、たった20年前の事件なのに、正確な数が出せない。
なぜなら国家が国民の人口を把握できていない。
これでは、いくら労働力を期待できるか、いくら消費者を期待できるか、なかなかに計算が難しい。
ムルアカ氏 「アフリカ丸ごと中国化」の手口を語る (NEWS ポストセブン) - Yahoo!ニュース
豊かな天然資源に加え、人口増加で市場の魅力が高まるアフリカ。中国は今、200兆円とも言われるアフリカ市場を侵食している。『中国が喰いモノにするアフリカを日本が救う』(講談社+α新書)著者で国際政治評論家のムウェテ・ムルアカ氏がリポートする。
(略)このように中国は「道路を造るから鉱山を開発させろ」「空港を建設してやるから油田の権利をよこせ」「金を貸すから港を自由に使わせろ」と金と力にモノを言わせて、取引を迫ったのです。
(略)
しかも成功者が本国から一族を呼び寄せて、サイドビジネスを任せる。そこで資本を手にした中国人がまた別のビジネスを手がけ、さらに親族を呼び、中国人の人口が増えていく。数十年後、気付いたときには町も文化も、そして国土も、中国に支配されているとしても不思議ではないのです。
ムルアカさんの主張に虚偽はないだろう。しかし、バイアスは掛かってる。
さすが、日本で長く暮らし、テレビタレントで活躍し、帰化して正式の日本人となっただけあって、よく解ってらっしゃる。
日本人がデフォルトで持ってる「支那への対抗意識」をくすぐって、さらに「日本ヨイショ」もてんこ盛りにして(笑)、アフリカ大陸における支那の経済侵略の脅威を訴えているが、よくよく読んでみれば、世界史の教科書で学ぶ常識的な話を端折ってしまってまるまる語っていない。
だってさ、なにも支那が、史上初めて、アフリカ大陸を侵略した国家である、というわけでは全然ない。
カネにモノを言わせてアフリカ大陸を食い物にする、なんてことは、ヨーロッパこそが何百年も前からやってきたことだ。
しかも、ヨーロッパは、カネだけでなく、リアルに軍隊を送り込んで侵略した。アフリカ黒人をバンバン殺しまくり、奴隷にしてアメリカへ売った。
支那は、今のところ、まだカネだけで、人民解放軍は送っていない。支那人が殺したアフリカ黒人の量は、現時点で、ヨーロッパの何千万分の一以下である。
大航海時代以降、ヨーロッパがアフリカでやってきたことに比べれば、支那なんかまだまだ幼稚園レベルなのだ。
ただし、ヨーロッパと異なり、支那の真の脅威は、カネの圧力ではなく、ヒトの圧力つまり「移民」だ。
ヨーロッパ全体さえ超える13億人もの人間がいれば、アフリカに移住して、そこで子孫を増やし、最後はアフリカの大地に骨を埋める、そういう移民の数も下手したら1000万人単位になり、将来のアフリカ諸国における「チャイニーズ・アフリカン」の政治的・経済的影響力はバカにならないだろう。
しかし、それだって、アフリカが初めてでもないし、中国共産党が初めてでもない。
彼らのご先祖が東南アジアやアメリカ大陸で何百年も前から実践してきたことだ。つまり「華僑」と「チャイナタウン」である。
東南アジアで華僑がいない国はないし、経済力を持ってない国もない。
ニューヨークのチャイナタウンができたのは、日本では井伊大老が暗殺されたような時代であるそうな。
アメリカの映画やドラマなどで量産されてきた西部劇の99%には、白人とメキシコ人とインディアンと、たまに黒人しか登場しない。
しかし西部の大平原を横断する鉄道線路を建設した労働者の中には支那からの出稼ぎがたくさんいたのである。
だからガンマンと保安官が活躍する西部劇には、たとえ通行人であろうがツルハシを担いだ支那人が登場しないと不自然なのだ。
しかしほとんど全ての西部劇では、彼ら支那人の姿は、インデアンや黒人以上に「見えない人間」として処理されてきた。
どっちも清時代からの話であって、その時点で誕生すらしていない共産党の陰謀ではない。
外部からアフリカへの大量移民だって、支那人が初めてじゃない。
南アフリカの白人たちは、何百年も前からのイギリスやオランダから移民の子孫であり、もはや彼らに帰る故郷はない。そして、ついこの前までアパルトヘイトで南アフリカの政治と経済を独占していたわけだ。
アフリカーナに匹敵する支那人集団なんて、今のところは、まだ存在しない。
あらゆる分野で、あらゆる意味で、支那がアフリカで、やってること、やろうとしていることは、しょせんはヨーロッパの後追いでしかない。
だからアフリカにおける支那の存在は大したことはない、と言いたいのではない。
それどころか、支那の存在は、いや広く東アジアという存在は、アフリカという大陸を考える上でとても大きいのである。
映画「ホテル・ルワンダ」その2~アフリカ代理戦争~アジアVSアフリカ。 - 在日琉球人の王政復古日記
へ続く。