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在日琉球人の王政復古日記

NATION OF LEQUIO

誰のせいでもない雨が~地震、噴火、台風~日本は「和御霊・荒御霊」八百万の神の国。

12.ヤマト/天皇制


誰のせいでもない雨が‐中島みゆき Cover XXkurage

 

台風19号ついに日本列島上陸。2014年10月12日

台風19号 月曜は東海にかけて最接近(日直予報士) - 日本気象協会 tenki.jp

 

台風19号。御嶽山噴火。広島市土砂災害。冬になれば大豪雪に大雪崩。

 

古来より日本列島はありとあらゆる自然災害と生きてきた。

 

 天と地に呪われ、そして愛された日本列島。 - 在日琉球人の王政復古日記

 

日本の山々には神々がおわす。

神々がいるから山々には神社がある。

富士山、浅間山、白山、出羽三山阿蘇山三輪山、あらゆる山には神が祭られている。

噴火した御嶽山も例に漏れず、というか、典型的な信仰の山であり、御嶽神社があり、御岳教もある。

山だけでなく、川にも神がいるし、湖にも神がいるし、滝そのもの、島そのものが神であり、どこにも神社がある。

 

山や川は神であり、路傍の石ころにさえ生命が宿るというアニミズム

八百万の神。これが日本の信仰である。

 

しかしだ、御嶽山は神なのに、なんで噴火して人々を殺すのか?

神が人を殺すのか? 何も悪いことをしてない人間を。

 

そう、殺すのだ。なぜなら御嶽山は神だからだ。神だからこそ人間を殺すのである。

 

山や川は、自然の恵みをもたらす「有り難い」存在だから神であり、ゆえに信仰されるのであるが、同時に、災害をもたらす「恐るべき」存在だからこそ、ますます信仰される。 

 

日本の神道にいう「和御霊」と「荒御霊」は、善神と悪神の別々の2柱の神ではなく、1柱の神が、あるときは善神となり、あるときには悪神と化すその姿である。日本の神は1柱で善悪吉凶禍福両面を持つ存在なのだ。日本に絶対の善神も絶対の悪神もいない。

 

雨の神は、田畑を稲穂を慈しみ、そして、土砂で全てを押し潰す。

噴火は神であり、台風は神であり、地震「荒御霊」なのだ。

 

日本に仏教が定着したのは、その神道の混交して、土地に根ざしたからだ。

天台宗最澄比叡山真言宗空海高野山に登ったが、よくよく考えてみれば、本家本元の釈迦の出家集団はわざわざインドの山の上に住んだりはしなかった。 

本来、政治や社会を考慮せず、自然や環境にも関心を持たず、極端なまでにただただ個人救済のためだけの宗教であったはずの仏教も、この極東の果てまでやってきたときには、個人救済ではなく、山の神や川の神を仏のパワーでコントロールする役割を期待されたのである。

 

「草木国土悉皆成仏」。ありとあらゆるモノには仏性が宿り、成仏の可能性を持つ。

釈迦が聞いたら「なんだ、そりゃ? そんなもん、俺と何の関係があるの?」と不思議な顔をしそうだが(笑)、本覚思想ゆえに仏教は日本で生き残ったわけだ。 

 

さらに、本来は別々のお話である「成仏」や「解脱」と「死」が混同されて、仏教が葬礼を管轄するようになると、起こってしまった神のお怒り(自然災害)による被害者の救済(死者の弔い)に関して、仏教は必要不可欠の役目を演じるようになる。

 

人間が人間を殺した場合は、殺した人間を恨んで復讐すればいいが、

自然が人間を殺した場合は、殺した自然=神を恨むわけにもいかないし、復讐することもできない。

持って行き場のない悲しみは、仏教が「諸行無常」と癒やすことになる。

 

雨は降る。川は溢れる。土砂は流される。じゃあ、その雨は誰のせいなのか?

 

「誰のせいでもない雨が(c)中島みゆき」降るだけなのだ。

 

だからこそ、この神の国は「誰のせいでもない死」を弔う仏教を必要としたのである。

 

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