あからさまに「釣り」な見出しを付けるのは、自分でも下品で恥ずかしい(馬鹿)。
自然災害のデパート、荒ぶる神々の国・日本は、自然災害の死者を弔うために、仏教を必要とした。ゆえに日本では仏教が浸透した。
まあ、その日本仏教が、釈迦オリジナル仏教からどれくらい乖離しているかは、まあこの際、目をつぶって(笑)。
#地震 #台風 #噴火 #豪雨 #豪雪 #津波 #洪水 #雪崩 #土砂崩れ~天と地に呪われ、そして愛された日本列島。 - 在日琉球人の王政復古日記
誰のせいでもない雨が~地震、台風、噴火、そして【原爆】~日本は「和御霊・荒御霊」八百万の神の国。 - 在日琉球人の王政復古日記
の続き。
こういう自然災害の場合、アジアが生んだもう一つの有力宗教である儒教は、あんまり役に立たない、というか余計な混乱を招く。
まず、孔子は「怪力乱神」を語らない。神や魔や自然を語らない。
儒教は徹底して人間社会の複雑怪奇に目を向けた宗教なので、もともと自然災害への対応が得意ではない。
また孟子は革命理論を確立する。「世の中に悪いことが起きる原因は為政者が悪いからだ」と言い出した。
大学は「格物、致知、誠意、正心、修身、斉家、治国、平天下」、個人の正しい行為が天下を正しくすると説く。逆に「天下が乱れるのは個人が間違ってるせいだ」ということだ。
ゆえに儒教の考え方では、台風で豪雨になるのは、火山が噴火するのは、地震が起こるのは、政府や為政者が悪いことになる。
日本列島のような毎年のように自然災害が発生する場所で、儒教を本気で信仰すれば、時の権力つまり天皇制や大和朝廷は崩壊するしかないのだ。
日本は自然災害多発地帯ゆえに、儒教を本格的に受け入れることが不可能だった。
逆に、日本列島に比べて、台風も噴火も地震も洪水も豪雪もはるかに少ない朝鮮半島は、その自然災害の少なさゆえ、厳格な責任追及を行う儒教が受け入れやすかったし、不運な死者を弔う仏教をそんなに必要としなかったのかもしれない。
ただし、儒教な韓国は、普段はあんまり起こらないはずの大災害や大事故がいったん発生すると、一気に政治に直結する。
日本仏教では、何か凶事が起こったのは、誰々の責任だ!と激しく追及はしない。
「諸行無常」は、イヤな言い方をすれば「泣き寝入り」の言い換えである。
しかし儒教では、凶事は、たとえ隕石落下でも、地上の為政者の責任なのである。為政者の不徳が天を怒らせたのだ。
韓国には、朝鮮半島には、自然の凶事が少ない。日本列島のような荒れ狂う神々がいない。神々がいないんだから、何か悪いことが起こったら、それは必ず人間が原因なのである。
先日韓国で起こったセウォ号沈没はどう考えても単なる「事故」である。
確かに悲惨な事故だし、韓国政府の船舶行政や安全管理の不備や失敗も何パーセントかはあるかもしれないが、第一義に悪いのは馬鹿な案内をした船長以下の乗組員であり、次に積載オーバーと無茶な内装改造をやった船会社であり、その次に朴政権の監督行政であろう。
就任して間もない朴槿恵大統領が船舶行政を悪化させるヒマはないし、さらには朴姐さんがすすんで沈没を仕組んだはずもない。
仮に朴姐さんが全身全霊を賭けて船舶行政に専念してても、現場があの無責任船長じゃ事故を防ぎようがない。
しかし韓国では、民間の無能船長と不正企業が起こした事故が、政治の問題となる。
儒教的には異常な事故が起こったのは必ず政治が悪いのである。
セウォル号の遺族が特別法の制定を求めている。捜査権と起訴権を持った独自の真相調査委員会を設立せよ、というのである。つまり遺族直結の検察権力を新しく設置するということだ。しかも世論でも支持者が少なくないのだ。
そりゃ遺族直結の検察権力を作れ!なんていう要求が普通に出てくる法感覚なら、産経新聞ソウル支局長が名誉毀損で起訴されるくらいのことはあってもぜんぜんおかしくない(笑)。
過猶不及也~過責任の日本VS無責任の韓国~JR福知山線脱線VSセウォル号沈没 - 在日琉球人の王政復古日記
過猶不及也~過責任は無責任、過反省は無反省、厳罰は免罪と同じこと~韓国セウォル号沈没事故船長死刑求刑。 - 在日琉球人の王政復古日記
もちろん贈収賄だのクーデタだの政府や軍部の不祥事ならば、政府やその検察が正当に捜査するかどうか信用できない!独立した捜査委員会を作れ!という意見も判るが、今回の事故で朴政権や既存の検察が事実関係を隠蔽したり曲げてまでして不正な捜査をする理由も必要もない。自分たちとは無関係な船長と船会社に当然の罪を問えばいいだけの話である。
しかし一部ではあれ韓国世論は、原則として事故と利害関係のない、中立な立場の朴政権を信用しないのだ。
どうも韓国においては、大規模な事故で死んだ人間は「聖なる死者」になる。
「聖なる死者」には「聖なる死因」が必要になる。
歴史に刻まれるような「聖なる死」なのに、マヌケで無名な雇われ船長ごときの単なる無責任な凡ミスで無意味に殺された、、、なんてことは、たとえ「事実」でも、【あってはならない】。
その責任は、「聖なる死」に釣り合うくらい相応しい大物、つまり韓国のトップ・大統領あたりが背負ってくれないと、許せないのだ。
セウォル号の「聖なる死者」は、チンケな三流船長が殺したのではない。巨大なる大韓民国政府そのものが殺したのだ。
つまり、セウォル号の「聖なる死者」は、大韓民国全体と互角の価値を持つ、ということなのだ。
対して、日本では原爆の被害者ですら、悪魔の兵器を使ったアメリカ合衆国への報復を要求しない。
原爆すら、アメリカという人間集団の責任=人災であるとは見ないで、台風や地震のように一種の自然災害=天災として扱うのである。
日本の被害者は、殺人者への復讐を考えず、天災のごとく泣き寝入りするのだ。
「人間(アメリカ軍)の落とした原爆の被害者慰霊」と
「自然が起こした震災の犠牲者慰霊」の
内容がほとんど変わらない、というのも、これまた日本独特であろう。
日本の左翼は、朝鮮日報、中央日報、ハンギョレを糾弾せよ~広島長崎の原爆を免罪符だと思ってるのは日本人ではなく韓国人。 - 在日琉球人の王政復古日記