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在日琉球人の王政復古日記

NATION OF LEQUIO

田中邦衛60年代映画地獄巡り(その2)~東宝「若大将」VSフジテレビ俳優座「若者たち」VS東映「網走番外地」

21.映画

映画「若者たち」3部作。

その後70年代から80年代にかけてドラマで活躍する俳優さん女優さんの若い頃の演技がたっぷり見られるので、そういうのが好きな人にはたまらないだろう。

  

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 田中邦衛60年代映画地獄巡り(その1)~東宝「若大将」VSフジテレビ俳優座「若者たち」VS東映「網走番外地」~ #土曜の若大将 - 在日琉球人の王政復古日記

の続き。

 

主演・田中邦衛の佐藤太郎は、そのまま「北の国から」黒板五郎の原型だ。

「若者たち」の貧乏人・佐藤太郎=田中邦衛は、なけなしの財産80万円を詐欺師に騙し取られて、あまりのショックで胃痙攣を起こす。

全く同じ時期に「若大将」の金持ち・青大将=田中邦衛は、時価600万円のレジャーボートをポンと即金で買う。

当時の金銭価値は、工場のアルバイトが日給520円、おんぼろアパートの家賃が7000円と出てくるから、平成との落差が想像つくだろう。

 

しかし、興味深いことに、当時の歯ブラシの値段も100円なのだ。

現在でも、100円ショップに行けば、歯ブラシは100円で買える。

バイト日給520円の50年前と、

バイトが1日8時間働いて最低でも7000円程度は貰える2014年で、

歯ブラシの値段は同じ100円なのだ。

つまり、ここ50年の、工業製品の生産コストの下落、第三世界新興国の生産力向上による輸入の急増、そして「平成デフレ」の価格固定は、それだけ強烈だということだ。

 

大学生・佐藤三郎役の山本圭。さすがは血筋、左翼インテリを演じさせたら問答無用で「日本一」である(笑)。どこから見ても、どこを切っても、左翼以外の何者でもない。左翼思想の擬人化といっても過言ではない。彼を超える役者はいないだろう。

「若者たち」山本圭は、大学に行って「学生運動」ばっかりやってる。

「若大将」加山雄三は、大学に行って「学生スポーツ」のエースである。

昭和の「運動」と「スポーツ」は、かなり違うモノなのだ(笑)。

 

やはり時代か、当時の左翼用語もポンポン出てくる。

「ボルだのアナだの~」

ボルは、ボルシェビキ(ソヴィエト共産主義者)、

アナは、アナキスト(無政府主義者)のこと。

両者は、

社会主義国家建設を是とするか、

社会主義だろうが国家はすべて悪だ!とするかで、

激しく対立する関係である。

「トロだマグロだ~」

トロは、トロツキスト反スターリン主義者のこと。

1950年代までは社会主義運動においてスターリンは絶対的存在だったが、56年のスターリン批判以降、その評価はガタ落ちとなり、代わってスターリン最大の政敵トロツキーが復権する。

 

意外にも「若者たち」と「若大将」に共通するのが食事シーンの多さである。

 

貧困を描く「若者たち」だが、すでに時代は高度経済成長時代、すいとん、雑炊、麦飯、雑穀というわけではなく、銀シャリをドンブリ山盛りで食っている。貧しくとももはや飢えの時代は終わっていた。ただ、おかずに肉は出てこない。焼いたアジに豆腐にシュウマイだ。栄養のある食い物はずばりバナナという時代だ。

 

とはいっても、リッチな「若大将」はやはり別世界である。銀座の洋食屋、ホテルのラウンジ、避暑地の別荘、レジャーボート、禅寺、さらにハワイ(!)のビーチ、などなどで、ステーキだバーベキューだすき焼きだと、肉ばっかり食っている。

 

先に書いた通り、同じ惑星の、同じ生物の食生活とは思えない(笑)。

 

「若者たち」の時代、60年代にはすでに、都会(東京)の過密、地方(青森)の過疎の問題が深刻化している、平成の安倍内閣の課題「地方創生」そのままである。つまりこの50年、何にも解決してないのである。

「海の若大将」にも、八丈島近辺の離島の過疎問題が登場する。島の網元も「島から若いもんを奪う東京は嫌いだ」とは言いながら、結構オシャレな格好をして東京へ旅行に来たりして、深刻さに薄い。

 

「若者たち」では、5人兄弟の紅一点オリエは靴工場で機械を動かし、友人は倒産寸前の工場の商品を行商し、青森の実家を飛び出した少女は働くために夜行列車で東京へ向かう。その表情はまるで死刑場に向う囚人である。

 

対して「若大将」のヒロイン星由里子の職業はどんどんカッコ良くなる。

「ハワイの若大将」では(当時の日本ではまずありえない)ハワイに出張する化粧品会社のビジネスガールだし、

「海の若大将」 でも東京青山に出来たアメリカ型高級スーパーマーケット(50年前の成城石井だ)のレジ係り。そのレジの前にはアメリカ雑誌「リーダーズダイジェスト」がさりげなく売ってあるオシャレさだ。

 

そのモダンな「若大将」も女性の扱いはやはり50年前である。

 

青大将・田中邦衛はちょくちょくヒロイン星由里子をモノにしようとするのだが、その方法は完全に「強姦」未遂(当時の表現なら「手篭め」)であり、完全な犯罪なんだが、ヒロイン星由里子は青大将がちょっと謝っただけで簡単に許す上に、その後になって踊ったり、ドライブしたりするのである。澄ちゃんは鋼鉄の神経である(笑)。

 

じゃあ左翼な「若者たち」は女性を平等に扱ってるか?といえば、無意識に抑圧しっぱなしだ。5人兄弟の紅一点オリエは当然であるかのようにいつも食事担当だし、ガチガチの人権思想運動家・山本圭も自分たちのやってる女性差別に気付いていない。

 

それでも、「若者たち」(1967)、「若者はゆく・続若者たち」(1969)、「若者の旗」(1970)、はたった3年の間だが、時代は急激に変わっていく。

1作ごとに、街にビルディングが増え、道が舗装され、住居が明るくなり、服装も貧乏ながら垢抜けていくのだ。

「若者の旗」では末っ子は高価な商品である自動車のセールスマンであり、過酷なノルマに追われながらも、当時の最先端情報機器であるポケットベルを持ち、白いワイシャツにネクタイを締め、男性化粧品を使い、ベッドに眠るのである。もはや貧困からは脱却しかけている。

 

ここでガチ左翼・ 山本圭はとんでもない発言をする。

「これから10年15年は経済が上向きのままだろう。そうした『元禄ボケ』の空気の中で労働者は飼い慣らされてふぬけていく」

元禄ボケ』というのは、当時の景気を「昭和元禄」と呼んでいたところからの造語だろう。

しかし、山本圭は何が不満なのか? 長期にわたって景気が良いのなら、人民の生活も向上し、歓迎すべきことではないか?

しかし、好景気が続けば、人民にもカネが回り、大人しくなり、革命は遠のく。革命実現ためには、恐慌が起こって、人民が飢えなければならないのである。

 

ここで、目的(人民の幸福)と手段(革命)の転倒がおき始めている。 

手段(革命)のためには、目的(人民の幸福)を犠牲にしてもいい、革命思想の腐敗が始まりつつあった。

 

そして、その「若大将」「若者たち」と同時期に、田中邦衛東映の「網走番外地」で高倉健の相棒である。

「若大将」は「親米保守・資本主義バンザイ」の政治映画。

「若者たち」は「反米左翼・社会主義革命」映画。

じゃあ網走番外地」は右か左か?・・・極右+極左である(笑)。

「若大将」が近代(モダン)なら、網走番外地前近代・反近代、

「若者たち」が社会主義なら、網走番外地」はアナキズムだ。

東映は、特にヤクザ映画は、資本主義にも社会主義にも牙をむく、アウトローアナキズム映画なのである。

ヤクザ映画に関しては、またの機会に。