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在日琉球人の王政復古日記

NATION OF LEQUIO

妖怪ウォッチとアベノミクス~「平清盛VSポルポト」の5000年戦争(その2)

04.社会/文化/経済

そもそも社会主義の最終段階・共産主義の世界では「貨幣」は存在しないことになっている。
なぜなら貨幣が存在する限り、人間同士の貧富の格差は絶対に消滅しないからだ。
それは商売の上手い下手というような純粋な経済合理性の話だけではない。

 

チョコパイとマルボロ~「平清盛VSポルポト」の5000年戦争(その1) - 在日琉球人の王政復古日記

の続き。

 

例えば、貴方が好きな人に愛を告白して、気持ちを表すためにと日本円をプレゼントしたら、相手は気味が悪いだろう(笑)。 

しかし、その日本円をいったん花束や指輪に交換してから渡せば、愛の証明となる。

恋人同士だけではなく、家族や友人に感謝の気持ちを伝えるために日本円を渡したら、なんだか変である。 

なぜなら貨幣は、愛情、友情、家族など無償で分かち合うべき人間の関係性を壊してしまうのだ。

 

世界全体が家族のように愛し合うようになれば、貨幣は不要だ。
逆に、貨幣を使ってる限り、世界全体が家族のように愛し合う事は不可能だ。

 

そこで左翼思想は、なんとか貨幣を退治しようと躍起になる。

そして、実際に「貨幣無き社会」を実行した連中もいる。カンボジアポルポトだ。
その壮大な実験の結果は、餓死、病死、獄死、戦死、処刑、世界史に残る規模の大量虐殺の死体の山であった。

モノとモノとを交換できない、つまり他人と交流できない、つまり経済上の他者が抹殺された「貨幣無き社会」では、生身の人間は生存できなかったのである。

 

愛する同士、家族だけで生きる分には貨幣は不要だし、逆に邪魔だ。

しかし、そういう自給自足は別にして、他者と生きる世界では、正反対に、自己と他者とつなぐ貨幣という媒介が必ず必要になるのである。

恋人同士、家族同士、究極的には「言葉」も要らない。言葉は他人が存在するから必要なのである。

「言葉」も「貨幣」であり、「貨幣」は「言葉」なのだ。

 

というわけでポルポトほどの覚悟というか狂気(笑)が足りない場合、他人と生きる人間社会には「貨幣」が生まれてくる。ただし貨幣は国家が発行するものとばかりは限らない。

貨幣というのは面白いもので、その土地では生産されないモノ、外部からやってくるモノを貨幣にする事例が多い。 

古代、内陸の部族が海岸で取れる貝殻をわざわざ持ってきて貨幣にしたり、北朝鮮は休戦ラインの向こう側からやってくるチョコパイだったり、ソ連はアメリカ産タバコだったり。

どうも貨幣は、原則として、人間関係の外側にしか存在しない、できないモノらしい。

 

日本も同様である。

あんまり人気のなかったNHK大河ドラマ平清盛」では、日本で鋳造してない支那経由の「宋銭」をわざわざ輸入してまで日本の通貨にしていく過程が描かれていた。

それから数百年後を描いた、これまた不人気だった大河ドラマ花の乱」でも、若い頃の松たか子演じる足利将軍御台・日野富子が「宋銭」による売買の仕組みを理解するシーンが描かれていた。

このシーンはドラマとはいえ日本史の本質を捉えている。

鎌倉幕府室町幕府や戦国時代、日本の中世を「武士の時代」と見るのが一般的ではあるが、貨幣から見れば中世は「外国産貨幣=宋銭の時代」であった。

徳川幕府になってやっと自国産通貨である小判や丁銀が経済を支配する時代となる。同じ幕府でも、中世の鎌倉幕府室町幕府と、近世の徳川幕府が決定的に異なる一例である。

 

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日本史上初めて、実質的な貨幣経済を始めようとした人物が12世紀の平清盛であった。「武士の時代の幕開け」とは本来はそういう意味である。

そして、史上初ではないにしろ、本格的に貨幣経済を終わらせようとした人物が20世紀のポルポトであった。共産主義とは本来そういうことだ。

 

12世紀の平清盛と20世紀のポルポトは、文明開始以来、貨幣誕生以来、ずっと戦い続けているのだ。

 

この話は、アベノミクスにも当然繋がる。

もし北朝鮮でチョコパイが不足すれば、交換できるコメの量は増える。つまりチョコパイの価格は上がり、コメの価格は下がる。これがチョコパイ・デフレである。

もしソ連マルボロが大量に出回れば、交換できるウォッカの量は減る。つまりマルボロの価格は下がり、ウォッカの価格は上がる。これがマルボロ・インフレである。

日銀は日本のチョコパイ・マルボロである日本円を増やして、日本円の価格を落として、インフレを発生させようと頑張っている。

 

貨幣は、なにも国家なんていう大げさな世界だけの話ではなく、他人同士が集まるという意味では同じ環境の小学校にもある。

よっぽど貧しかった人は別だが、貴方だって子供時代、学校や子供社会で、何かを集めることが流行していたはずだ。ビックリマンだったり、ポケモンだったり、最近のヒットは「妖怪ウォッチ」とかいうらしい。どういうものはか知らないが、「それ」は、友達同士で交換したり、もっと広く売り買いしたりしているはずだ。

日本の小学校の「妖怪ウォッチ」は、北朝鮮のチョコパイ、ソ連マルボロ、日銀の日本円と変わらない、貨幣なのである。

 

いつの日にか、小学生が妖怪ウォッチに飽きてしまえば、妖怪ウォッチの価値は暴落し、ハイパーインフレになって、紙くずとなる。

心配しなくとも、「次の妖怪ウォッチ」が誕生するだろう。

 

他人同士は付き合うには、そういうモノ=貨幣、がどうしても必要になってしまう。

それを人間の「悪」と見るか、「必要悪」と見るか、「天才的発明」と見るか、そこらへんから政治思想の対立も生まれるわけだ。