在日琉球人の王政復古日記

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《慰安婦映画列伝》東映「大日本帝国」(1982)~ナワピー(琉球人慰安婦)~お先に参ります。天皇陛下万歳!

台湾、慰安婦問題で「韓国と同対応」要求へ (産経新聞) - Yahoo!ニュース

台湾の外交部(外務省に相当)は27日までに、日韓両政府が慰安婦問題の決着を目指し協議していることについて、動向を把握した上で、台湾人の元慰安婦にも韓国と同様の対応を取ることを日本政府に求めるよう対日窓口機関、台北駐日経済文化代表処に訓令した。
中央通信社が同日、伝えた。台湾には元慰安婦と名乗り出た女性が4人、存命している。

 

あのー、ナワピー(琉球慰安婦)はどうなるのでしょうか(笑)?

 

朝鮮人慰安婦も、台湾人慰安婦も、当時は民族の違いを超えて日本臣民だったわけで、立場は私のお婆さんたち琉球慰安婦も同じはず。しかも数は台湾人よりは多かっただろう。

 

まあ、思いやり予算がその代わり、と言われれば、返す言葉はないですが(笑)。

 


大日本帝国(プレビュー)

  

日本の戦争映画には「慰安婦映画」とも呼ぶべきジャンルがある(と勝手に決めた)。

 

(まとめ)昭和銀幕絵巻★慰安婦映画列伝 - 在日琉球人の王政復古日記

 

売春は、基本的には、金を持った男が、貧乏な女を買う行為である。 他の商売と同じくマーケットメカニズムで動く。 古今東西、平時戦時を問わず、普遍的な法則である。

近代において、朝鮮半島は、日本列島より、相対的に貧しかった。よって、朝鮮人売春婦が日本人男性にセックスサービスを売る。市場経済的には何もおかしなことはない。

 

「貧しい」という点では、我が琉球もライバル朝鮮に負けてはいない。よって貧しい琉球も昔からの(今も)売春婦輸出国である。

ただ、私の祖母・曾祖母たちの売春ビジネスを描いた映画はあんまりない。
その中で東映映画「大日本帝国」は貴重な一本である。

 

今まで紹介してきた「慰安婦映画」は支那大陸での話だが、これは東南アジア、南洋諸島が舞台だ。

佳那晃子演じる、サイパン島の酌婦(ピー)が、まさしく琉球慰安婦である。佳那晃子が琉球人であることは、わざわざ琉球装束を着るシーンを描いてまで、露骨に強調される。

脚本は「仁義なき戦い」の笠原和夫
彼は脚本を書く前に凄まじいまでに事前調査することで知られる。
よって、サイパン島に、ヤマトの慰安婦でもなく、朝鮮の慰安婦でもなく、琉球慰安婦を出したのは、そういう史実があったと思われる。

 

そうはいっても、この映画の主題はナワピーではない。 

監督が監督だけに、全体的にいかにも東映らしい、無駄な部分に力を入れた、丁寧さの足りない、大味大作(笑)映画だ。決して名作ではない。

「マッドマックス怒りのデス・ロード」は人類の9割くらいには絶対の面白さを保障できる映画だが、東映大日本帝国」は、あんまり面白さを保障できない(笑)。

 

それでもガマンして最後まで見て欲しい。

クライマックスに、脚本・笠原和夫の怨念が爆発する。

 

映画終盤、日本敗戦で西郷輝彦篠田三郎BC級戦犯として海外で捕虜収容所に収容される。死刑はほぼ確実だ。

 

しかし西郷は、牢屋の中で、自分は死なない、必ず助かる、と言い出す。

西郷は、なんとカメラ目線で、比喩ではなく、スクリーンのこっち側の観客に向かって、語りかける。 

 

大元帥陛下が我々を見殺しにされるはずがなかでしょう!

私らは天皇陛下の御盾になれと命じられて闘うてきたとです。

そう命じられた方が、我々を見捨ててアメリカと手を結ぶなんちゅう事は絶対ありません!

日本政府はポツダム宣言を受諾したとしても、天皇陛下は例えお一人になられたとしても、必ず私らを助けに来てくださるはずです! 

 

若い頃アイドル歌手だった西郷が、あの健康的で爽やかで快活な口調でそう言い切るのだ。

表面上、尊皇のフリをして、言外の真意に不愉快な人ほど逆に反論が難しい「正論」をぶつけてくるのである。

 

映画の最初で、徴兵されて出征する、当時は(今も)日本では絶対少数派のクリスチャンで、しかも大学生のインテリ、という役の篠田三郎は、反戦平和主義者っぽく、ボクは死ぬ時でも「天皇陛下万歳」だけは言わない、キミの名前を呼ぶんだ!、恋人役の夏目雅子に宣言する。

 

しかし最後、原住民殺害の戦争犯罪で、銃殺刑になる時、篠田は、キリスト教徒なのに、神へ祈りを口にしない。 

柱に縛られ、目隠し(つまり、彼は誰も見られないし、観客も彼の目が見えない)された篠田は、こう絶叫して絶命する。

 

お先に参ります! 天皇陛下万歳!

 

表面上、尊皇のフリをして、言外に「後から来いよ。待ってるから」と、誰かに向かって、言ってるわけだ。

 

西郷はカメラ目線なので、観客は、西郷のどアップは真正面で見ながら、セリフを聞くことになる。

篠田は目隠しなので、観客は篠田の表情を見ることができないまま、セリフを聞くことになる。

  

最後の最後で、この映画が、なんで「大日本帝国」なんていう、ストレートな、右翼っぽい題名だったのか?が、「反転的に」解る仕掛けだ。

 

さすがは「仁義なき戦い」。

戦中派・笠原和夫の怨念の深さを味わう凄まじい脚本である。