在日琉球人の王政復古日記

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貢がないオスはメスの「餌」 クモの世界の厳しい現実(その1)~仏教「生老病死」、儒教「生命の連続性としての孝」。

CNN.co.jp : 貢がないオスはメスの「餌」 クモの世界の厳しい現実

(CNN) オスがメスに求愛の贈り物をする習性で知られるクモは、贈り物の有無がオスの生死の分かれ目になりかねない――。そんな観察結果が生物学会誌に発表された。
ヨーロッパキシダグモという種類のクモは、オスがメスに求愛のプレゼントをする習性で有名。大抵の場合はハエなどの昆虫を、網で丁寧に包んで贈る。
研究チームによると、一見愛情表現にも思えるこの行動に、実はオスがメスに共食いされる危険をかわす効果があることが判明した。中には贈り物が大きいほど交尾の時間が長くなるケースもあった。
観察したのはクモのつがい280組あまり。オスから贈り物をもらえなかったメスは、贈り物をもらったメスの6倍の確率で、オスを餌にした。
「贈り物の有無は、メスがオスを共食いするかどうかを左右する最も重要な要因だった」と研究チームは解説する。
プレゼントなしで求愛しようとしたオス15匹は、交尾する間もなく食べられてしまったという。
オスが贈り物をしなくても、メスが餌を食べている最中に交尾すれば共食いされるリスクは減ることも分かった。
ただし贈り物をすれば共食いされる危険を完全に排除できるとは限らない。プレゼントを贈ったのに、交尾の後に食べられてしまったオスも1匹いた。

 

手段が単純すぎて、事態を余計に複雑にややこしくしてしまうことはよくある。 

 

今や、冠婚葬祭以外ではあんまり見かけない、電報というモノは、文字数で課金されるので短ければ短いほど安く済む。
なので「お父さんが脳梗塞で入院した。死ぬかもしれないから、息子のキミは早く帰郷しろ」という内容を「チチキトクカエレ」と短縮して送ることになる。

今ならtwitterやLINEか。文字数制限があるので、文章をなるべく短縮する。
だから電報やtwitterドストエフスキーを翻訳するのはかなり大変である。

 

同じように、生物が自分の遺伝子に乗せられる情報量というのも、そんなに大容量は困る。
理由は2つあって、
まず、遺伝子は有限なので、物理的な容量が限られる。冗長な情報は無理だということ。

そして、生物は永遠に生きるわけではないので、その遺伝子情報は、必ず子孫に受け渡すことになるし、また自分自身も成長=変化するので、どうしても遺伝子情報のコピーが行われる。コピーにはコピーミスが付き物だ。つまり遺伝子情報が長ければ長いほど、コピーミスの可能性も増える。 

 

ベッキー」という名前を「ローラ」に間違う可能性は低いが、 

寿限無寿限無五劫の擦り切れ・・・」という名前では、途中で「海砂利水魚」を「くりぃむしちゅー」と、写し間違う可能性が高い。


しかし、短けりゃイイというわけでもなく、短ければ短いで間違いが起こる。
「金欠で困ってます。お金を送ってください。お願いします」のつもりで「カネオクレタノム」と電報したら、「金をくれたら(酒を)飲む」と誤解するなんていう、(かなり作りすぎの)笑い話がある。


われわれホモ・サピエンスを含む、世俗に生きる生物全体(なんて主体があるかどうかは、個人的に疑問だが)の大目的・第一目標は、生物という存在が、どういう形態であろうが、どう変化しようが、とにかく生き残る、生存する、継続し続けることである。

生物の目的は、個々のわれわれの生き残りではない。生物の中にある「遺伝子」という存在の生き残りなのである。

 

単純な理屈で言えば、不老不死の生物が1個あれば、目的は達成される。

しかし、生物の外部にある環境は必ず変化するので、たった1個の生物だと、ある環境では有利でも、ある環境では不利になって滅亡する危険性が高い。高温に強い生物も、環境の温度が低下したら、死んでしまうわけだ。

もしもたった1個の生物で目的を達成しようと思えば、高温に強い、低温に強い、乾燥に強い、湿気に強い、酸に強い、アルカリに強い、ナンにでも強いスーパー生物になる必要がある。

 

何でも対応して、何でも平気な、たった1個の生物。つまりは「神」だ。

 

しかし生物は神じゃないので、1個の個体で全てに対応することはできない。

となれば、複数、それも、それぞれ得意不得意の異なる、高温に強い、低温に強い、乾燥に強い、湿気に強い、いろんな個性の生物を用意する必要がある。

 

とはいっても、最初から、あらゆる環境に想定して、全てに対応する種類を用意するのは、まず環境がどんな変化をやらかすかを前もって予測することが出来なし、何でもかんでも用意するのは、有限な資源・環境において無駄が多すぎる。

現実的には、実際の環境変化に合わせて、徐々に適応する種類を用意していく、対処療法しかない。

そして種類の増やし方は、何もない空間に突然ポンと新生物が登場するのはムリなので、既存の生物を資源として、ベースにして改造・変化させることになる。

つまり生物は変化する。 

 

不老不死で変わらない1個の生物よりも、変化する雑多な生物のほうが、生き残りには確実性が増す。 
しかし、1個の生物個体が生きていくということは、ある程度内部が安定してる、つまり不変だから可能なのである。

生まれてこの方4本足だったのに、急に6本足にするのは、1個の生物では無理だ。

ある朝、起きてみたら、突然、頭が2つに増えていた、なんてことになったら、すぐにシャンプーが足りなくなるし、ワイシャツも2つ首用に買い直しである。 
よって変化するためには、安定が必要な今の個体を捨てて、遺伝子を乗せる個体を新しく作り直すことが必要となる。

 

生物の生き残り=遺伝子の生存戦略は「個体の死」と「子孫の再生産」だ。

「生老病死」の仏教と、「生命の連続性としての孝」の儒教だ。 

 

「カネオクレタノム」~虫けらの恋文電報(その2)~プラトン「イデア」、アリストテレス「形相」。 - 在日琉球人の王政復古日記

へ続く。