在日琉球人の王政復古日記

NATION OF LEQUIO

馬鹿と煙は高い所へ登る~99%は地べたで、1%が登る。99%が落ちて死に、1%が新世界を見る。修験道は極限で神仏に出会う。

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温泉に入る猿。

 

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焚き木に当たる猿。

 

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芋を海水で洗う猿

 

伊勢神宮前の常夜灯、男性がよじ登る 警察が厳重注意:朝日新聞デジタル

2019年1月2日
 初詣客でにぎわう伊勢神宮三重県伊勢市)内宮(ないくう)前の「おかげ横丁」で1日午前0時ごろ、若者らが石灯籠(どうろう)の形状をした常夜灯によじ登る騒ぎがあった。三重県警はこのうちの1人の20代男性を厳重注意した。
 伊勢署によると、横丁の入り口にある高さ約3メートルの常夜灯に20代男性がよじ登り、衣服を脱ぎ捨てたり、紙幣をばらまいたりした。さらに別の数人もよじ登ったという。当時は初詣客で混雑していて、雑踏警備にあたっていた警察官が20代男性を厳重注意した。

 

こういうニュースがあると、「近頃の若い奴らはなっとらん」「最近の若い者はマナーを知らない」と言い出す人たちがいる。

世の中で、一番尊敬できないタイプである(笑)。

尊敬できないのは、若い馬鹿ではない。愚痴をこぼしてる老いた馬鹿だ。

 

こういうことを言い出す連中に限って、ご本人も大して人生経験を積んでなかったりする。

しょせんは昭和生まれで、戦争経験すらない、飢えたこともない、戦後のぬるま湯にどっぷり漬かってきた連中なのだ。

平成生まれの馬鹿と、その人生も、おそらく知性も、大して違いは無い。

 

そもそも、近頃とか、最近とか、いつからの話なのか?

「馬鹿と煙は高い所へ登る」という諺?があるが、いつ作られたかは知らない。平成ではなく、戦後でもなく、おそらくは戦前からある言葉だろう。

 

近頃でも、最近でもなく、昔から、馬鹿は高い所に登る。

 

なぜ、高い所に登るのは馬鹿なのか? それは危険だからだ。

人間は空を飛べない。重力に縛られて生きている。

このタイプの生物は、地べたにいるのが一番安全だ。なぜなら、墜落の心配がないからだ。

高い所に登れば、リスクも上がる。墜落して怪我する、死ぬ可能性が出て来る。

 

99%の人間は安全な地べたから離れない。しかし、必ず、高い所に登る1%が出て来る。

なぜなら、生物の遺伝子は、必ずコピーミスを発生させるからだ。人間は皆同じように見えて、必ず違う部分がある。

99%がやらないことを、やらかす1%=馬鹿が出て来る。

 

高い所に登る1%の馬鹿の内、その99%は落ちて怪我する、または死ぬ。

リスク計算をすれば、確かに馬鹿である。

しかし、1%の中のさらに1%は、落ちないで、地べたからは見ることの出来ない、誰も見たことがない新しい風景を見る。

 

近代になって、高層ビルもでき、展望台もでき、高い所から見る風景なんて、誰でも見られるようになった。

高い所に置いたカメラの映像を、テレビで見ることもできる。最近はドローンで撮影もできる。

 

しかし、昔は、地べたの99%は、高い所の風景なんて見ることが出来なかった。

もちろん、中には権力者がいて、豊臣秀吉なんかは、大阪城天守閣から、天下を一望することもできた。バベルの塔も同類の話だろう。

 

高い地位にある者は、高い所を作って、遠くの風景を見る特権があった。

じゃあ、権力者以外絶対不可能か?といえば、そうではなく、山に登れば見ることができる。

 

修験道などの山岳信仰は、そこから生まれたのだろう。

彼ら山伏は、体力の限界に挑み、苦労と危険を重ね、峻厳な山頂を目指す。

 

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その途中、少なくない仲間が、谷に墜ち、凍えて動かなくなる。

残った少数が、やっとのことで、天上と天下を間に立ち、地べたからは見る事の出来ない風景を見るのである。

 

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達成感と興奮と疲労と低温と酸欠の中で、彼らは、神と、仏と、出会う。

ここで誤解してはいけない。

彼らは興奮と疲労と低温と酸欠の異常心理で幻覚を見たのでは断じてない。

彼らは本当に神仏と出会ったのだ。

これが、真の意味での信仰だ。

 

修験道の山伏も、煙と同じで、高い所に登る馬鹿なのか? その通り、彼らも馬鹿なのだ(笑)。

馬鹿じゃなければ、神や仏と出会えるわけがない。

 

高い所に登る1%の馬鹿、さらにその1%の馬鹿が、新しい風景を見る。

何にも変わり映えのしない灰色の村の、1%の馬鹿が、高い所へ登る。

そして、山の向こうに、海の向こうに、取り切れないほどの、果実が実る森や、獲物の群れを見つける。

そして、高い所から降りて、地べたの99%から馬鹿にされながら、荷物をまとめて、99%の地べたの村を出て、遠くに見えた新天地を目指す。

その内の99人は途中で野垂れ死ぬだろう。しかし、残りの1人が果実と獲物の桃源郷にたどり着く。

 

蒸気機関を作った人間も、白熱電球を作った人間も、コンピュータを作った人間も、地べたの99%ではなく、高い所に登った1%の中のさらに1%の馬鹿だった。

彼らは、誰も見たことのない新しい風景を見たのである。

そういう馬鹿を、イノベーターとかパイオニアとか先駆者とか発明家と呼ぶ。

ノーベル賞を取る科学者も、高い所に登った馬鹿の1%なのだ。

 

温泉に入る猿も、焚火に当たる猿も、芋を洗う猿も、最初の最初から、群れとして、種として、そういう行動をとっていたのではない。

99%の猿は、温泉にも入らなかったし、焚火にも近づかなかったし、芋を洗わなかった。

しかし、たった1匹=1%の猿(だいたいは、年齢がまだまだ幼い猿)が、猿の常識、猿のマナーを逸脱して、温泉に入り、焚火に近づき、芋を洗った。

猿も、おだてりゃ、木に登る、のである。

もちろん、その1%の猿の99%は、温泉に溺れ、焚火で火傷し、芋を流してしまう。そして群れのボス猿から馬鹿猿と怒られる。

しかし、1%のさらに1%の猿は、冬季の保温に成功し、塩味の付いた美味しい芋を食えた。

その1%の1%の成功が、群れ全体に広まっていく。人間の蒸気機関白熱電球やコンピュータと同じだ。

これを、文明の進歩、文化の発展と呼ぶ。

 

誤解の無いように書けば、別に、焚火に当たらなかった99%の猿を馬鹿にしてるのではない。

 

もし、99%がいきなり焚火に当たるような、そんなアバンギャルド(笑)な破天荒な猿の群れがあったら長続きしない。リスクが上がって、全滅する可能性が高い。

 

火の危険性に全く無知のまんま、

もっと暖かくしようと、焚火に大量の木材を放り込み、大炎上させて、山火事を引き起こし、群れ丸ごと焼死する。それがカンボジアポルポトだった。

密閉空間の洞窟の中で焚火を始めて、一酸化炭素中毒で全滅する。それが連合赤軍だった。

焚火は暖かい。しかし危険なのだ。それを熟知するまで、99%の猿が全員参加してはいけないのである。

 

日常を平穏に生きる、個体が生き延びる、種を保存する、先祖の血を子孫に繋ぐ、そういう大目標にとっては、マナーを守って冒険しない、高い所に登らない地べたの99%こそが正しいのだ。

これが、儒教をはじめとする、保守思想である。

世の中にあるモノの99%は保守なのだ。だから保守思想は多数派で強い。

 

しかし、環境の変化があった時(必ずある)、こういう冒険しない99%しかいないと、その種は滅亡する。氷河期が来たら、焚火に当たらない99%は凍死する。

しかし、普段からリスクてんこ盛りの馬鹿をやらかす1%が100匹出てきて、その99匹は無駄に死に、残った1匹が、なんとかかんとか、激変した新しい環境に適合して生き残るのである。

これがダーウィン進化論だ。

 

死を覚悟して山を登らなければ、神仏には出会えない。

これが、革命思想、左翼思想である。

左翼は世の中にあるモノの1%でしかない。だから左翼思想は常に少数派なのだ。

 

自分と異なる1%の存在を許さず、根絶やしにしようとする、自称・保守はウンコである。

ホンモノの保守とは、左翼(その内99%はポルポト連合赤軍みたいにダメだが、1%には可能性が秘められている)1%の存在を許容する、懐の深さ、思慮の深さを言うのである。

  

もちろん、伊勢神宮の石灯篭に登るボンクラ小僧は間違いなく馬鹿である。99%は確実に迷惑だし、いつか大怪我して、くたばる。

しかしそういう馬鹿が100人くらい出てこないと、1%の1%も出てこない。

1%の1%が出てこないと、蒸気機関白熱電球やコンピュータもこの世に誕生しない。

1%の1%が出てこないと、猿は、暖かい冬や美味しい芋に出会えない。

1%の1%が出てこないと、人間は、神や仏に出会えない。

 

新年明けましておめでとうございます。

 

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