在日琉球人の王政復古日記

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庵野「シン・ゴジラ」(2016)~花森麗子VS金慶珠~日の丸なき「この国」~またも天皇御動座は不明。

※ネタバレ画像注意

シン・ゴジラのキーポイントは、ここだ。

 

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花森麗子防衛大臣余貴美子

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金慶珠東海大学教養学部国際学科専任教授

 

モデルは、小池百合子東京都知事、とか言われてるが、余貴美子さんは台日混血だから、同じエスニシティ蓮舫のほうがアタリじゃないか?

しかし、なんといっても、一番の注目点は、見た目が韓流熟女・金慶珠女史ソックリなところではなかろうか?

映画の前半、「あ、韓国人学者が日本の防衛大臣やってる」というタブーなイメージに、ちょっと性的興奮を覚えた(馬鹿)。

 

どうせ、ファンが山ほどいるだろうから、特撮としての、サブカルとしての、詳細のレビューはマニアにお任せするとして、素人の雑感を。

 

1954年の初代ゴジラは、

南方戦線で餓死・病死したまま骨も拾われぬ「護国の英霊」と、

圧倒的物量の空襲と原爆で列島を焼け野原にした「アメリカ軍」と

いう、お互い不倶戴天の敵同士でありながら、どちらも、戦後日本人が忘れてしまいたい2つの禁忌の合体であった。

 

《靖国映画列伝》東宝「ゴジラ」(1954)~復員か?復讐か?参拝か?参内か?~高天原から神武天皇東征VS南洋からゴジラ襲来。 - 在日琉球人の王政復古日記

 

1954年の初代ゴジラは、表面上はアメリカ軍が不在だった。しかし実は真正面に「アメリカ軍」は映っている。ゴジラこそ、放射能をまき散らして日本の手には負えない、アメリカ軍のメタファーなのだ。

ゴジラ(=南方で眠る英霊+日本を焼いたアメリカ軍)VS憲法9条の戦後日本」の戦いだ。

 

2016年のシン・ゴジラは、

日本人なら誰でも判る、津波原発、「3.11」のオマージュだ。

アメリカ軍がそのまま登場する。ゴジラを攻撃する。だからこっちのゴジラアメリカ軍ではない。

ゴジラ津波原発)VS集団的自衛権の平成日本(VS味方でかつ背後の敵・アメリカ)」の戦いだ。

 

1954年にはアメリカの核実験に文句ひとつ言えなかった弱小な日本政府は、60年たって、「無茶言うよなあ。アメリカさんにも困ったもんだ」とようやく愚痴が言えるレベルまでは成長したのである。

2016年時点でもアメリカの属国であることに変わりはないが、アメリカを拒否することなんてまったく不可能だが、それでも「この国はアメリカの属国だ」と正しく自己認識と自嘲ができるレベルまで成熟したのである。

マッカーサーの「12歳の少年」は、21世紀になって、ようやく高校卒業くらいまではオトナになった。一人暮らしはまだ先の話だが。「オレ、一人暮らしはまだ無理だな」という自己判断はできるようになったのだ。

 

シン・ゴジラには、御存じ、庵野秀明エヴァンゲリオン」や押井守パトレイバー」のイメージがバンバン出てくる。

 

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ハリウッドが家族と軍人を主人公にするのに対して、 シン・ゴジラは官僚の映画だ。

出てくる自衛隊は、ハリウッドが描くアメリカ軍のようなマッチョな肉体を駆使した特殊部隊ではなく、公務員・組織人としての自衛官である。

後期の東宝ゴジラのような、子供キャラは一切登場しないし、

ハリウッドのギャレス・ゴジラのような、家族の物語も皆無である。

 

野暮は承知だが、最後の切り札になるモノ(おそらく液体)が、最後まで画面に映らない。どんな色かも不明のままだ。そして、あの巨体に、あの程度の量で、間に合うのか? ごく少量で済むようなモノだったのか? そそも「経口投与」で効果があるのか? 「皮下注射」じゃないとダメなんじゃないか?・・・という疑問がわいた。あそこのリアリティはやや希薄だったと思う。

  

それより気になったのが、登場人物の言葉だ。とはいっても、専門用語の早口、ということではない。

官僚も政治家も、全員が全員、自分の国を、「日本」とは(ほとんど)言わず、「我が国」と呼ばず、ずっと「この国」と呼ぶのである。

そして、官邸や霞が関が舞台なのに、自衛隊は活躍するのに、画面には日本の国旗「日の丸」がほとんど映らなかったと記憶している、

登場人物と日本の間にやや距離があるのだ。

自衛隊は活躍するけど、愛国心(≒感情)が感じられないのは、そのせいかもしれない。

 

さらに、大田区に上陸したのに、東京絶対防衛と頑張ってるのに、銀座や霞が関が廃墟になっているのに、都民300万人が避難してるのに、東京駅が最後の舞台なのに、その目と鼻の先にお住いの「御家族」の動向に関しては、1954年の初代ゴジラと同じく、一切描写がない。

まあ、東京湾と鎌倉に来る危機だから、葉山御用邸ではなく、内陸の那須御用邸あたりに御幸いただいた、と推察はする。

しかし、東京駅周辺が「あのまんま」ならば、目の前の「元・江戸城」に人は住めないだろう。JR山手線も半永久的に動かせない。証券取引所も開けられない。東京は首都機能を維持できない。ずっと立川というわけにはいかないから、大阪か、つくばか、に遷都しかないだろう。ならば「御家族」も御動座となる。

 

明日の2016年8月8日、「この国」では、二・二六事件、8・15終戦に次ぐ、「みたびの御聖断」がある。

 

シン・ゴジラが日本の政治を描くというのなら、東京の危機を描くというのなら、アメリカは当然だが、あの「御家族」を描かなかったらウソだろう。

 

とは言いながら、大変良くできた映画である。見て損はないとオススメする。

 

 あと、ボクは、熟女マニアじゃないよっ(汗)!

 

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