在日琉球人の王政復古日記

NATION OF LEQUIO

祀られぬ女性たちの靖国歌謡~昭和14年「九段の母」~昭和29年「岸壁の母」~昭和32年「東京だョおっ母さん」。


九段の母 塩 まさる

 

昭和14年/1939年。

上野駅から 九段まで
勝手しらない じれったさ
杖をたよりに 一日がかり
せがれ来たぞや 会いに来た


空をつくよな 大鳥居
こんな立派な おやしろに
神と祀られ もったいなさよ
母は泣けます うれしさに


両手あわせて ひざまづき
拝むはずみの お念仏
はっと気づいて うろたえました
せがれ許せよ 田舎者


鳶が鷹の子 産んだよで
今じゃ果報が 身に余る
金鵄勲章が 見せたいばかり
逢いに来たぞや 九段坂 

 


岸壁の母 - 二葉百合子

 

昭和29年/1954年。

母は来ました 今日も来た
この岸壁に 今日も来た
届かぬ願いと 知りながら
もしやもしやに もしやもしやに
ひかされて

~また引揚船が帰って来たに、今度もあの子は帰らない~
この岸壁で待っている、わしの姿が見えんのか
港の名前は舞鶴なのに、何故飛んで来てはくれぬのじゃ
帰れないなら大きな声で、お願い、せめて、せめて一言

呼んで下さい 拝みます
あゝおっ母さん よく来たと
海山千里と 云うけれど
何で遠かろ 何で遠かろ
母と子に

~あれから十年
あの子はどうしているじゃろう
雪と風のシベリアは寒いじゃろう
つらかったじゃろう、と命の限り抱きしめて
この肌で温めてやりたい
その日の来るまで死にはせん
いつまでも待っている

悲願十年 この祈り
神様だけが 知っている
流れる雲より 風よりも
つらいさだめの つらいさだめの
杖ひとつ

~ああ風よ、心あらば伝えてよ~
愛し子待ちて、今日もまた
怒涛砕くる岸壁に立つ、母の姿を

  


東京だョおっ母さん 島倉千代子

 

昭和32年/1957年。

久しぶりに 手を引いて
親子で歩ける 嬉しさに
小さい頃が 浮かんできますよ
おっ母さん
ここが ここが 二重橋
記念の写真を 撮りましょうね

二 

優しかった 兄さんが
田舎の話を 聞きたいと
桜の下で さぞかし待つだろ
おっ母さん
あれが あれが 九段坂
逢ったら泣くでしょ 兄さんも

三 

さあさ着いた 着きました
達者で永生き するように
お参りしましょよ 観音様です
おっ母さん
ここが ここが浅草よ
お祭りみたいに 賑やかね

 

舞鶴の崖に立ち、神社には直接行ってない「岸壁の母」は別として、

靖国歌謡は、「東京」を唄う歌でもある。

戦前の「九段の母」、戦後の「東京だョおっ母さん」はどちらも、地方出身者、ずばり、東北地方からやって来た老母の唄である。

 

東京駅ではなく、上野駅からやって来た、神社で念仏を唱えてしまう、戦前の「九段の母」は、東北寒村の真宗門徒か。

ただし、間違いに気付くところが、歌詞を書いたインテリ知識人のやや蛇足かもしれない(笑)。本当の田舎者なら「神社に念仏」の間違いに気付かないままだろう。

 

母は泣けます うれしさに」「今じゃ果報が 身に余る

これを、文字通り、老母の愛国心と読むか。

息子を奪われても、ホンネを語れぬ時代への、母の怨みの反語と読むか。

 

添田唖蝉坊「ラッパ節」との対比も興味深い。 

 

お笑い政治論争(5) #ウーマンラッシュアワー VS日本語ラップの始祖川上音二郎、壮士節演歌師添田唖蝉坊。 - 在日琉球人の王政復古日記

 

戦後の「東京だョおっ母さん」は、今から60年前の東京を唄っている。

 

ちょうど、東京タワー建設が着工した年である。つまり、東京見物に来たこの母娘は東京タワーを見ることはできなかった。

新宿副都心の高層ビル群は影も形も無く、ただの浄水場だった時代。

渋谷はやっと東急が資本を投入し始めた頃で、ハチ公くらいしかない貧相な私鉄ターミナル。

表参道に奇抜なファッションの少女たちはおらず、文字通り明治神宮の参道でしかない。
お台場なんか東京湾の底。
東京ディズニーランドのある浦安は、ただの漁師町である。

当時でもお洒落な街は、銀座くらい。
そして東京の、つまり日本最大の繁華街は、歌舞伎町でも秋葉原でもなく、この歌に出てくる浅草だ。

それくらい当時の東京は貧しかったし、東京以外は、東北は、さらに貧しかった。

 

この時代の東京の観光スポットは、まさにこの歌の通り、皇居、靖国、浅草、そして銀座だろう。

そう、二重橋が宮城(きゅうじょう)つまり皇居の比喩であるように、観音様は浅草寺の比喩、そして九段坂とは靖国神社を意味する。

 

九段の桜の下で、田舎話を待っているお兄さんは、靖国の英霊なのである。

 

田舎の老婆を観光案内する、兄を失った妹は東京で働いている。
おそらく中卒の勤労少女、いわゆる「金の卵」だろう。
働きながら東京に慣れてきたはずの少女も、タダで見物できる皇居や靖国や浅草は案内できても、高価すぎて自分で買えるモノが売ってない銀座には足を踏み入れたこともなく、知らない街なのだろう。だから銀座は歌には出てこない。

 

まずは、天子様のおわします宮城。 
次に、兄の眠る靖国。 
最後は、田舎出の親子にとっては、限度一杯のささやかな贅沢ができる、華やかな浅草。

この順番こそが「大日本帝国=戦後高度経済成長前の東京」なのだ。

 

右も、左も、靖国だけを特別視する平成よりも、
靖国神社浅草観音を同じようにお参りする昭和30年代の方が、
庶民の中にちゃんと靖国が息づいていた。

 

平成の自称愛国者は、靖国には熱心でも、観音様は拝まない。

それは日本人として自然の信仰ではない。作為的でわざとらしいのである。

 

靖国神社浅草観音を区別なく同等にお参りすることが、

神社なのに、思わず、死者への当たり前の行為「南無阿弥陀仏」と念仏してしまう無学な老母こそが、

たとえ念仏が神道のマナーに外れていても、本当の意味での靖国参拝であり、靖国の英霊を真に安んずることなのだと思う。

 

・・・って、はるか南洋の異邦人が言うのもお節介ですが(笑)。

 

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