ゴジラは日本に「やって来る」、のではない。「還って来る」のである。
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の続き。
一つは、判りやすい話だが、「東京大空襲」「ヒロシマ・ナガサキ」である。
第1作公開時からたった9年前、東京は映画と同じく焼け野原になっている。
ゴジラは、日本人には太刀打ちできない、圧倒的破壊力を持つ「地上を行くB-29」であり、放射能を撒き散らす「原爆」も投影されている。
もう一つは、関東大震災なり、台風なり、火山噴火なり、津波なり、日本人が体験してきたし「自然災害」のメタファーだ。
日本列島は世界でも特異なほどの自然災害の多発地域なのである。
さらに最後の一つ、隠されたメタファー、ゴジラは「皇軍の英霊」なのである。
ゴジラは、南洋の島に出現し、日本、東京を目指す。
品川に上陸し、新橋・銀座を壊し、国会議事堂を踏み潰し、深川を焼いて、海に戻る。まさに東京大空襲の進路である。
しかし、なぜか、千代田の「皇居」と九段の「靖国神社」は欠落している。
ゴジラはなぜ東京を目指すのか?
それは彼の正体が、太平洋戦争において、南方戦線で戦死・病死・餓死し、遺骨も収集されず、冥界を彷徨うままの皇軍の英霊であるからだ。
英霊ゴジラは、皇居を遥拝し、靖国に安んずるために、祖国日本に、懐かしい故郷に還って来た、と考えるか?
それとも英霊は怨霊と化して、畏れ多くも、この2つの象徴のために使い捨て・見殺しにされた怨念をぶつけにやってきた、と考えるのか?
ゴジラは、懐かしい祖国へ「復員」して来たのか? それとも、見捨てた国家に「復讐」しに来たのか?
ゴジラは、仲間に会うため「参拝」したかったのか? それとも、何かを訴えたくて「参内」したかったのか?
おそらくは、その「両方」なのであろう。
靖国神社は「日本国民の神社」である。ただし「天皇の神社」ではなくなった。もちろん悪い意味で。 - 在日琉球人の王政復古日記
かつては敵であったのに、今や日本のご主人様であるアメリカ。
無茶な作戦指導で大半が戦死ではなく、餓死と病死だった南洋の皇軍兵士。
アメリカと英霊、この相反する水と油は、公開当時、平和と復興を謳歌する1950年代日本の安寧と平安を脅かす、内心後ろめたさを捨てきれないモノ、という意味では同じ2つの「当時の日本人が見たくない現実」、その合体こそがゴジラなのである。
ゴジラだけでなく、モスラもそうだが、東宝映画の怪獣はだいたいが「南洋」からやってくる。
まあお話のリアリティからして、怪獣が「大陸」からやってくるのは、変である。そんなでかいモノを、なんで今の今まで現地のロシア人や支那人が気付かなかったのか?、という疑問が出てきてしまう。
でも、南洋は太平洋の海原は誰も住んでないので、あんなでかい怪獣が誰にも気付かれず隠れていてもおかしくない。
東宝特撮映画には、支那人やロシア人が登場せず、出てくるのはアメリカ白人と、南洋の「土人」たちだ。日本人丸出しの東宝俳優がドウランで顔を茶色く塗って半裸で踊り、ザピーナッツの小美人が南国風の衣装を着て南国風の唄を歌う。
東宝には脈々と「南洋嗜好」がある。
これは怪獣映画の隣接ジャンルである戦争映画もそうで、大陸の陸戦映画より太平洋の海戦映画のほうが力を入れて作られている。
これもまた現実問題があって、
娯楽性において、泥だらけ歩兵同士の肉弾戦より、戦艦の砲撃や空母の航空戦のほうがカッコいいし、
予算的にも、エキストラが大量に必要な地上戦より、特撮ですむ海戦のほうがコストが安いし、
支那大陸でしょぼい国民党や八路軍相手の戦いより、大海原で豪華なアメリカ軍相手の戦いのほうが見栄えがするし、
さらには、アジア侵略とかそういうややこしい戦争責任問題(笑)も回避できるメリットがある。
もちろん東宝だって「独立愚連隊」シリーズなど陸軍主役の名作もあるし、モダンな東宝ではなく、ドロ臭い大映なんかは勝新太郎が支那大陸で大暴れする「兵隊やくざ」シリーズが大当たりしたし、他にも、支那を舞台にした、陸軍を主役にした戦争映画はないではないが、やはり東宝の大作映画といえば海軍が活躍する海の映画である。
さらに、娯楽性や予算上の問題だけでなく、思想的にも、東宝というより、日本自体に「南洋嗜好」の系譜がある。
どこの国にも建国神話がある。我々はどこで生まれたのか?なぜここに住んでいるのか?
日本の場合、日本書紀だって古事記だって、伝説の初代・神武天皇は「高天原」から降りてきたことになってるが、じゃあその「高天原」って具体的にどこなのか?
なにしろ神様が住んでるんだから、一応、天界なんだろうが、実際の記述は、神武「東征」とあるように、九州地方に降り立ち関西地方へ進軍している。どうも日向(宮崎)が想定されたようだ。
神武が九州に降り立ち関西に向かったということは、「高天原」は、九州および関西から見て、九州の「向こう側」にあるわけだ。
方向は2つある。
一つはもちろん、朝鮮半島、支那大陸。日本語がアルタイ語族ならば、北アジアのバイカル湖付近。
こっちは、日本書紀や古事記のその後の記述からして、また歴史学的にも、考古学的にも、有力ではあるし、明治以降、日本が朝鮮、満州、支那へ進出していった時には、そういう神話が正統性のバックボーンにもなった。
しかし、明治の熱狂が冷め、昭和にもなると、朝鮮や支那の現状を知り、彼らへの差別意識もあって、「あんなヤツらと同類同祖はイヤだ」という、平成の今につながる(笑)「日本≠朝鮮」の発想が出てくる。
となると、「高天原」も、大陸ではなく、南に向かうようになる。「日本人は大陸ではなく南洋からやってきた」という南洋史観である。
神功皇后の三韓征伐神話が、豊臣秀吉や明治政府の背中を押して朝鮮半島に向かわせ、ロシアと戦い、さらに「満蒙は日本の生命線」と「北進」していったように、
南洋幻想・南洋史観が、日本を「南進」させた。向かうは、琉球、台湾、南洋諸島、仏領南印、東南アジア、南太平洋、、、
しかし、実はこの「北進→南進」方向転換こそが大日本帝国の命取りとなった。
日本が「北進」して、支那やロシアと対立する分には、欧米は基本的に妨害しない。
日英同盟でロシアと戦い、アメリカのフィリピン統治と交換で日本の朝鮮統治が公認された。
しかし日本が「南進」すれば、アメリカ、イギリス、フランス、オランダのテリトリーと激突するしかないのである。
泥沼とはいえなんとか支那事変程度で収まっていた戦争が、「南進」によって、太平洋戦争に化けた。
大東亜戦争の皇軍兵士は、動員数で見れば大陸派遣の方が南方派遣より長いし多いくらいなのだが、死者は、支那大陸で死んだ人数より、南洋諸島や東南アジアで死んだ人数のほうがずっと多い。
大陸で餓死はあんまり出てないが、南方は餓死者と病死者の大量生産工場であった。
大日本帝国は「南進」よって、東京を焼かれ、南洋に人骨を撒き散らして、アメリカに屈服する。
日本「を」滅ぼしたアメリカの破壊力と、日本「が」滅ぼした皇軍の怨霊。
この2つが合体して、ゴジラとなる。
ラスト、オキシジェンデストロイヤーによって海底に横たわる白骨化したゴジラは、ガダルカナルやインパールのジャングルで、フィリピン沖の沈没船で、白骨化して横たわる皇軍英霊の姿なのである。
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