ある日、巨人の投手が阪神戦でノーヒットノーランをやったとする。
別の日、阪神の投手が巨人戦でノーヒットノーランをやったとする。
さて、この2つの試合への評価は変わるだろうか?
変わらない人は「野球を観戦している」のだろう。
変わる人は「巨人を応援している」か「阪神を応援しているか」のどちらかだ。そしてそれは「野球を観戦している」ことと、厳密には異なるのである。
その人の客観性があるかどうかを判断する基準は、
右翼か?左翼か?保守か?リベラルか?では無い。
文章を、「内容」で判断するか?、「人(政治的立ち位置)」で判断するか?、である。
たとえば、民主党政権時代に、野田さんあたりが、【安倍談話と全く同じ文章】を「野田談話」として発表したとする。
さて、あなたの、野田談話への評価は、安倍談話への評価と、同じになるだろうか?
同じ文章なんだから、本来なら、肯定だろうが、否定だろうが、同じ評価にならないとおかしい。
もし「談話への評価が変わる」とすれば、あなたは「文章を読んでない」のである。「人を見ている」だけだ。
出すのが、安倍ちゃんか、野田さんか、自民党か、民主党かで、談話を読む前から、もう評価は決まっているのである。
支那や韓国だって、ネットの有象無象やマスコミはともかく、政府関係者は、ちゃんと談話を読んでから判断している。当たり前だが。
安倍談話をめぐり、米国は内容を評価する姿勢を示し、中国や韓国も、対日関係を考慮して批判は抑制的だ。こうした反応を受け、安倍政権は今後の各国の動向を見極めようとしている。一方、各国の主要メディアの報道は、談話に対する厳しい論調が目立つ。
中国外務省の張業遂次官は14日、安倍談話に関連して、木寺昌人駐中国大使を同省に呼び、中国の厳正な立場を表明した。駐中国大使への立場表明は、抗議や申し入れに比べれば抑制的な反応だが、日本側への直接的な意向表明で国内の対日強硬世論への配慮を示したといえる。
(略)
安倍談話について朴槿恵(パク・クネ)政権に近い日本専門家の陳昌洙(チン・チャンス)世宗研究所所長は「もう少し踏み込んだ発言があれば良かったが、予想よりは悪くなかった」と評価。「これまで通り、日中韓首脳会談の実現に向けて努力していくだろう」との見方を示す。
(略)
また、与党セヌリ党は、反省と謝罪について「過去形で遠回しに表現した」として「残念さが残る」と指摘。その一方で「反省と謝罪に言及したという点では、意味のある談話だと考える」とも評価し、扱いの難しさをにじませた。
事実、安倍談話に対して、支那政府や韓国政府から、大きな反発は起こっていない。
なぜなら支那や韓国の立場から読んでも「予想してたより、悪くない内容だ」「これなら、文句は言い難い」からだ。
「優」は付けられないが、十分「可」をクリアしている、という評価である。
だから問題は、支那や韓国にあるのではない。日本国内だ。
より厳密に言えば、お互い対立してる、日本の自称愛国者の皆さんと、日本の自称リベラルの皆さんの態度である。
支那や韓国の反応(というか無反応)に対して「素晴らしい!支那や韓国に文句を言わせないパーフェクトな談話だ。日本を守った安倍ちゃんGJ!」とか言ってる、底なしのバカ(笑)がいるけど、
「支那韓国の意見に近いモノは、支那韓国から文句が言いにくい」のは、当たり前だろう。
問題にすべきは「支那韓国から文句が言いにくい」ことではなく、日本の安倍首相が「支那韓国の意見に近いモノ」を出してしまったことだろう。
産経新聞をはじめ、保守派の論客と呼ばれる人や、ネットの愛国者の皆さんのかなりの数が、安倍談話を肯定している。
しかしだ、よくよく考えてもらいたい。支那や韓国が及第点を与えている安倍談話を、日本の愛国者が肯定してイイのか?
「安倍談話、悪くない」と「安倍ちゃんGJ!」で、支那や韓国と、日本の愛国勢力が、意見を一致させてしまっているのである(笑)。
となれば、
支那や韓国がバカなのか?安倍ちゃんに騙されているのか?
それとも、
日本の愛国者がバカなのか?安倍ちゃんに騙されているのか?
どっちかだろう。
そして支那や韓国が「これじゃ、文句を言い難い」と正直に反応しているのに、安倍ちゃんに批判的な日本人の皆さんは「なんだ、安倍ちゃんにしては、意外に悪くないね」「ここまで低姿勢だと、攻撃材料に使えないね」みたいな意見は少数だ。
だいたいは「村山談話からの後退だ」「巧妙な詐欺だ」という評価だ。
しかしだ、ぶっちゃけ、「安倍談話」と「村山談話」、どこが、どれくらい、異なるのか?
#安倍談話 VS #村山談話 ~欧米列強の責任、日露戦争VS満州事変、慰安婦ゴメン、TPP推進。 - 在日琉球人の王政復古日記
全く一緒とは言わないが、歴史認識の方向性が180度違うのか?
安倍談話から「大東亜戦争は正義の聖戦だった」なんて読み取るのは、かなり無理だろう。
さすがに「従軍慰安婦」という単語は使ってないが、かなりの割合で「女性」に言及した安倍談話と、全く「女性」に言及していない村山談話、どっちがよりリベラルなのか?
普通に読めば、安倍談話と村山談話の方向性も歴史認識も、大枠で、一緒じゃないか。
村山談話に一定の高評価をしている皆さんが、基本的に方向性が変わらない安倍談話をアタマから否定するのは、理屈としておかしいだろう。
逆に、
今までさんざん「反日」だの「亡国」だの「売国」だのと村山談話を批判してきた皆さんが、なんで、あんな内容の安倍談話をアタマから肯定できるのか?、大脳シナプスの混濁が心配される。
アンチ安倍の皆さんは、「こりゃ安倍を叩き難いワイ(苦笑)」と正直に降参するか、または「本心と異なる、非・右翼的な談話を出さざるを得なかった安倍の事実上の敗北だ!」と喜ぶべきだろう。
そして安倍支持者の皆さんは「村山談話とどこが違う?オレたちはこんな談話を期待したのではない!ナニが『日本を取り戻す』だ!」と怒るべきである。
理屈に不誠実な左右双方の皆さんよりは、「平和の党なのに、安保法案に賛成する公明党は、池田先生に謝れ!」と怒ってる(極一部にしても)創価学会の皆さんの方がまだ誠実である。「理屈に合わないことは、理屈に合ってない」という、確かにその通り(笑)な態度だからだ。
特に、世界遺産で朝鮮人の強制労働を認めてしまい、村山談話と同じ思想の談話を出してしまったのに、それでも無理くりの理屈で安倍ちゃんを擁護している人々は、もう愛国者ではなく、もはや「安倍教」という宗教の信者だろう。
ナニがあっても池田先生!の創価学会を笑える立場ではない。おんなじだよ(笑)。