在日琉球人の王政復古日記

NATION OF LEQUIO

司法は「民主主義の危険」から隔離された治外法権。

北朝鮮にだって選挙はある。金正恩クンも人民会議代議員に選挙で選ばれる。 

その選挙区の投票率は99.99%で、すべての票は「金正恩同志」である。
そこで金正恩クンが「この選挙は正当です。選挙を管理した私が保証します」と言えば、この選挙は普通選挙・秘密選挙として認めていいのか?ということだ。

 

生徒の安倍くんが試験問題を作り、
同じ安倍くんがその試験に回答し、
そして安倍くんが答案用紙を採点し、
またまた安倍くんが合否を判定する。

そりゃ「出来が悪いから不合格!」なんていう結果は期待できないわな(笑)。

  

特定秘密法、「身内」の監視働くか 国会で論戦:朝日新聞デジタル

 

 もちろん国家は、日本国を含めて、暴力装置なんだから、当然秘密を持つ。 

国家に「一切の秘密を作るな」というのは無理な要求である。

しかし日本は民主主義国家でもある。国民主権だ。
国家の行為の是非は最終的に主権者たる国民の判断によるというタテマエだ。

 

ここで問題なのが「秘密」と「民主主義」の相性が悪いことである。

 

例えばこれが「予算」ならば「民主主義」との相性はいい。
歳出が何円くらいで、歳入が何円くらいで、これこれにカネが必要だが、借金したほうがいいのか、増税したほうがいいのか、さあ、どうする?
という情報が国民全員にオープンにされてもなんら問題はない。
いや国民全員にオープンにされてこそ、みんなで考えて、みんなで判断を下せるわけだ。

 

「秘密」だって、例えば、支那北朝鮮国境付近の軍隊の動向を写した衛星写真だの、アメリカに内緒でロシアと天然ガスの話をしたいだの、いろいろあるだろう。

理想でいえば、それらも予算同様、国民全員に情報をオープンにして、

その衛星写真は韓国にも渡してあげるべきだ、

いやいや秘密にしといたほうが利益になる、

アメリカに秘密でロシアとネゴするのは止めとこう、

いやいや何でもかんでもアメリカに言う通りもマズイ、

などなど主権者たる国民が決めるべき話なわけだ。
しかし、そうすると、オープンにした時点で、秘密でなくなってしまうわけで、本末転倒になる。

よって、秘密とは、全てを決めるべき主権者たる国民には知らせずに、極々少数の誰かが決めることになってしまう、という民主主義とは相容れないモノなのだ。

 

主権者たる国民は、秘密の内容を知らないまま、秘密を扱う者を選任して任せる以外に方法がない。要は国民は「秘密取扱者を信用する」しかない。

しかし民主主義とは「権力代行者を信用しない」ことを大前提にした制度でもある。もし権力代行者を信用するのならば、選挙の必要もないし、立法・行政・司法と権力を分散して、お互いに牽制させ合う必要はない。

事実、そういう権力分散をしない独裁体制の大陸支那ナチスドイツや前近代の絶対王政国家のほうが、政治の効率は良かったわけだ。どっちの方向へ暴走するかは別にして(笑)。

 

民主主義国家においては、主権者たる国民が、原則、信用できない権力代行者(官僚、政治家、内閣、政府)に、自分たちが知らない情報(=秘密)の運用を任せるしかない、という困った状態になる。

原理的には、秘密を扱う者は少なければ少ないほど秘密は保てる。
しかし少数者であればあるほど、その取扱者の権限は巨大になる。
そして、取扱者も人間である以上、全く信用は出来ない。

安倍ちゃんが「私が監視しますから安心してください」と言っても、試験を作る人間が、試験を受けて、結果を採点して、合否を決める、なんて制度は信用できないわけだ。

 

というわけで秘密を監視する役目は、多少秘密の保持を犠牲にしても、秘密を知りうる、かつ【立場が異なる】複数の人間にする必要がある。

ここで重要なのは【立場が異なる】という部分である。
安倍首相と菅官房長官複数の人間だが立場は異なっていない。
防衛省官僚と自衛隊幕僚も複数の人間だが立場は異なっていない。
これではチェック&バランスは機能しないのである。
ではどうする?

 

秘密を決める官僚・内閣と【立場が異なる】といっても、国民は人数が多すぎてダメ。

国会議員は、官僚・内閣と【立場が異なる】が、政権を争奪するプレイヤー同士なんで、純粋に秘密の是非ではなく、権力抗争に利用する危険がある。
さらに、国会議員は選挙でのみ選ばれるので、本人の知性・学識・倫理は玉石混交だ。誠実な人もいれば、狂人もいるだろう。その全員に秘密をばらすのは危険だ。
あ、ここで誤解してはいけないのは、立法府は本来「玉石混交」でいいのだ。利口もいてバカもいて、それでこそ議論ができるのである。全員が同じような思想だったら議会の意味がない。ただし秘密の保持には向かないというだけである。

となれば、残るは、防衛や外交などその分野の専門家、在野の大学教授などになるのか? これも民間ということで秘密の拡散になってしまう。

 

秘密を作る行政のメンバーではなく、人格を無視して選挙で選ばれる立法府ではなく、極少数で、身分が保証され、ある程度、知性・学識・倫理が信頼でき、秘密保持などの責任を負いうる能力の持ち主、、、となれば、もう「司法」しかないのではないか?

 

つまりは最高裁判所の裁判官の皆さんだ。

 

内閣と官僚が作った秘密の妥当性は、最高裁判事をメンバーとする常設の特別委員会でチェックするのある。

裁判官だって政府が選ぶんだから100%信用は出来ないにしても、現行の自民党案よりはまだマシである。
そもそも100%信用できる人間は存在しない、というのが民主主義の基本なのである

最高裁は普段の仕事が忙しくて、これ以上の無理というのなら、最高裁判事を5倍くらいに増員してもいいじゃん。

 

もともと歴史的にも 

国王は、能力で無く、血筋で選ばれる。 

議員は、能力で無く、人気で選ばれる。
裁判官は、血筋でなく、人気でなく、才能で選ばれる。

行政とは、国王の権力の代行であり、
議会とは、貴族・庶民の抵抗権の代行であるのに対して、
司法とは、賢者による監視なのだ。

 

どんな民主主義体制でも、主権者たる国民は、議員を直接選び、行政の長も選んでいるが、司法の主催者を選んだりはしない、というかできない仕組みになっている。 
もちろん厳密にいえば、総選挙のときに最高裁判所裁判官国民審査をやってはいるが、誰も話題にしないし、それでクビになった裁判官はいないのだ。
事実上、司法は、民主主義・国民主権から治外法権的立場にある、国民が選んでいない権力なのだ。

 

なぜそうなってるかといえば、民主主義が「危険」だからだ(笑)。

立法、行政、司法、3つ全部を民主主義に、つまり国民に任せると危ないのである。

司法を民意から切り離しているのは、万が一民意が暴走して、暴走選挙で選ばれた立法や行政もさらに暴走して無茶苦茶をやらかしても、司法が最後のストッパーになるためだ。

 

その是非はあるとして、時に暴走する危険がある国民のエモーションから影響を受けにくい立場は、国民のエモーションのカタマリである政府へのチェック機関としては最適だ。

 

国家秘密の監視は、秘密を作る安倍ちゃんではなく、最高裁にお願いしたい。