ネットで「報道ステーションが高倉健さんの訃報を学生運動に結び付ける」とか騒いでる無知/無恥は、実際に、健さんの映画を見てないから発生する。
だって、背中に刺青入れて、バクチ打って、人を切り殺して、刑務所入って、脱獄して、また人を切り殺す(笑)、そういう映画なんですよ。
国家の法より、恋人の情より、犯罪組織の掟を優先する、そういうアウトローが活躍する映画なんだから、警察より、勉学より遊興より、デモと闘争、という反体制学生の心情/信条にマッチするのは当たり前でしょうが。
【追悼】高倉健映画列伝(東映任侠以前)~仁侠映画と学生運動。 - 在日琉球人の王政復古日記
の続き。
「人生劇場 飛車角」東映1963年
「人生劇場 飛車角」(公開年月日 1963年03月16日) 予告篇
ついに「仁侠映画」時代の幕が開く。
主演・鶴田浩二、二番手・健さん。二人の着流し姿は超絶的なカッコ良さ。
健さんもだが、鶴田浩二も、時代劇ではあんまりパッとしなかった。先に書いたように時代劇スターは顔が大きくないとダメなんだが、健さんも鶴田も体型がモダン過ぎたのである。
しかしチョンマゲをかぶらない仁侠映画によって、二人のカッコ良さが爆発する。
「日本侠客伝」東映1964年
いよいよ登場「日本侠客伝」シリーズ。
まあシリーズといっても最初からその計画ではなかったし、仁侠映画のフォーマットも確定してない時期で、どこか時代劇の雰囲気を残している。特に時代劇の大スタア・中村錦之助が画面を時代劇にしてしまう。
時代劇スタア・錦兄イから、任侠スタア・健さんへ。東映の世代交代を象徴する作品でもある。
「いれずみ突撃隊」東映1964年
着流しの健さんから軍服の健さんへ、うって変わって、戦争映画である。
この映画は「慰安婦映画」(←個人的命名)として非常に重要な作品。
詳細は長くなるので、後日ブログに書くと思う。
《慰安婦映画列伝》東映「いれずみ突撃隊」(1964)~朝鮮ピー(新・仁義なき戦い)~満鉄小唄(日本暴力列島・京阪神殺しの軍団) - 在日琉球人の王政復古日記
ジャンルは違えど、これまではいわゆる娯楽映画プログラムピクチャーだったが、これは日本映画史に残る名作と評価されている。
良い意味でも悪い意味でも娯楽至上主義で芸術映画否定(笑)の東映としては珍しい作品でもある。事実、主演は三國連太郎、伴淳三郎、とあんまり東映っぽくない。健さんはワキ。
正直「健さん映画」ではないが、戦後高度経済成長以前の日本を知るためにも、機会があればぜひとも観てもらいたい一本ではある。
「日本侠客伝 浪花篇」東映1965年
健さんの3大シリーズ「日本侠客伝」「昭和残侠伝」「網走番外地」。
違いはといえば、「網走番外地」は現代モノで、「日本侠客伝」「昭和残侠伝」は戦前が舞台、とその違いは判りやすい。
「日本侠客伝」と「昭和残侠伝」の違いは、イロイロ観ないと判りにくいが、
「昭和残侠伝」シリーズが基本的に、本道のヤクザ=博徒「花田秀次郎」とバディ(相棒)「風間重吉」の物語であるのに対し、
「日本侠客伝」シリーズは、例外もあるが、登場人物が本筋のヤクザではないところにある。
第1作で健さんの職業は木場の運送業者、当作「浪花篇」では大阪港の仲仕(荷物運び)、次作「関東編」では築地魚河岸の仲買人、その後も、石炭運搬、的屋(露天商)、勧進元(興行師)、馬車・車夫、町火消し、とび職(建築業)、といわゆる「本筋ヤクザ」ではないのだ。
しかしこれらの商売は、本筋「ヤクザ」ではないが、全くの「カタギ」とも言い切れない、グレーゾーンの職業なのである。こういう、農業でもなく、工業でもない、土木建築・流通運搬・娯楽または公共サービス業は、昔から従事者が全身に刺青しててもぜんぜんおかしくない稼業であった。
そういう商売が何故ヤクザっぽくなるのか?
これも濃厚に「政治」の話になる。書き出すと、ピラミッドからフリーメーソン(笑)まで、話が飛ぶので、また後日。
国家は「公認されたヤクザ」/ヤクザは「未公認の国家」~国家は土木工事をやるために誕生した。 - 在日琉球人の王政復古日記
平成の今では考えられないほどの、恐ろしいハイペースで主役映画連発(笑)。
ヤクザ映画、仁侠映画というより、アクション映画である。
そして「健さん=雪の北海道」のイメージもここら辺から始まったのかもしれない。
後の「八甲田山」の原型(←ウソ)。
「日本侠客伝」「昭和残侠伝」が、東映時代劇からの直系子孫であるのに対して、
「網走番外地」は、後の世界遺産(笑)「仁義なき戦い」などの実録路線や、さらにその後の「まむしの兄弟」「トラック野郎」など東映喜劇の原型になっている気がする。
「昭和残侠伝」東映1965年
そして、おそらく高倉健一番の代表作であるこのシリーズも開始。
まだシリーズ化構想もなく、コンセプトは固まっていない。後のシリーズは戦前昭和初期が舞台だが、これは終戦後だし、主人公の名前も「花田秀次郎」じゃない。
どっちかというと日活や松竹のイメージが強い、敵役の口笛を吹く「人斬りジョー」杉浦直樹が全部持っていく(笑)。
そういや、なんとなく日活無国籍アクションっぽいテイストである。
藤純子(現・富司純子)の1971年「日本女侠伝 激斗ひめゆり岬」、
実録路線の1976年「沖縄やくざ戦争」、1978年「沖縄10年戦争」、
自分的にツボだったのは、
「日本女侠伝 激斗ひめゆり岬」の、往年のCM「ハヤシもあるでよ」でおなじみ南利明が原住民の琉球語が全く理解できず「ナマリ過ぎてサッパリ判らんがや」とコテコテの名古屋弁で嘆くシーン(笑)と、
「沖縄10年戦争」の、琉球を侵略しようと乗り込む関西巨大ヤクザ組織の幹部になっていた在日琉球人の藤田まこと(必殺仕事人)が、身体検査する琉球ポリスに「触るな、お前らと同じオキナワだ」というセリフで号泣した(笑)。
長いぜ(笑)。
【追悼】高倉健映画列伝(続・東映任侠時代)~花と龍、花と風、日本暗殺秘録、死んで貰います。 - 在日琉球人の王政復古日記
に続く。