日本の建設会社を、「ゼネコン」なんていったり、「土建屋」なんていったりするが、大きな会社を並べてみると。
鹿島建設 ← 鹿島組
清水建設 ← 清水組
大成建設 ← 大倉土木組
大林組
竹中工務店
戸田建設 ← 戸田組
長谷工コーポレーション
三井住友建設 ← 西本組
五洋建設 ← 水野組
前田建設工業 ← 飛島組
西松建設 ← 西松組
熊谷組
東急建設
安藤・間 ← 安藤組、間組
鴻池組
フジタ ← 広島藤田組
奥村組
今でも「組」を名乗っている会社は多い。
今は「XX建設」と名乗っていても、会社創立時は「組」だったところが大半。
特に戦前からある会社はほとんどが「組」だったといっていい。
一度も「組」を名乗ってない会社は、だいたいが戦後生まれである。
六代目山口組分裂~天皇家VS王家~山口組VS清水次郎長一家~仙台藩VS陸奥少将御家中。 - 在日琉球人の王政復古日記
の続き。
ヤクザの組織は、なぜ「組」と名乗るのか?
建設会社は、なぜ「XX組」から「XX建設」「XX工務店」なんかにに改名するのか?
もともと「組」はヤクザを意味する単語ではない。
江戸時代まで「会社」という言葉もなかったわけで、仕事の組織や企業は、一般に「XX屋」と屋号を名乗ったり、「XX組」と名乗った。
土木建設業もだいたいは「屋」や「組」を名乗った。
ヤクザだって、仕事の組織なわけで、堅気の企業と同じように、屋号を名乗ったり、「一家」と名乗った。名称にヤクザと堅気の違いはなかった。
しかし明治政府による博徒取り締まりがあり、博徒の看板で商売することが難しくなり、多くの博徒が表看板を、主に、土木建設業に鞍替えした。そこで土木建設業が使う「組」を名乗るヤクザが増えたわけだ。
だから本来は、土木建設業の方が「組」で、ヤクザは「一家」だった。
しかし、ヤクザが「組」を名乗り出し、いつの間にか「組」にヤクザのイメージが付いてしまった。そこで元祖「組」の土木建設業の方が、逆に「組」の名称を敬遠するようになった。
たとえば、本来「リベラル」という言葉が、自由競争、下手をすると弱肉強食すら意味する「自由主義」の意味だったのが、いつも間にか「社会福祉」「弱者救済」「ソフトな社会主義」を意味するようになり、逆に資本主義者が「リベラル」と名乗らなくなったのと同じである。
だから、ヤクザと土木建設業は本来は別物、無関係、、、と言いたいところだが(笑)、そうでもない。
なぜなら、ヤクザが博徒の看板じゃマズイから別業種を名乗る、のならば、別に土木建設業に限る必要はない。
堅気の名称ならば、たとえば、洋菓子店でも、学習塾でも、精密機械メーカーでも、宗教団体でも、なんでも良かったわけだ。
しかし、大半のヤクザは土木建設業を名乗った。なぜか?
それは、もともとヤクザと土木建設業が近接した業種だったからだ。
背中に唐獅子牡丹のお兄さんが、「ぼく、パティシエです」と名乗ったら、いくらなんでも世間からツッコミが入るが(笑)、「オレたちは土建屋だ」と名乗れば、世間もおかしいとは言わなかったのである。
世間的にも、ヤクザが土木建設業を名乗ることは、丸っきりのウソ、でもなかったのだ。
つまり土木建設は、もともとヤクザの商売だったのだ。
これは、ヤクザの話だけではなく、「政治」なるもの全般を考える上では、けっこう重要な話なのだ。
なぜなら、国家の仕事とは、大昔から土木建設なのである。
人類の黎明期、メソポタミアも、エジプトも、インダスも、支那も、インカも、アステカも、ローマも、古代文明に誕生した国家は、治水、灌漑、墳墓、神殿、都市、道路、築城、いろいろあれど、要はみんな土木建設が一番重要な仕事だったのだ。
ピラミッドを作り、万里の長城を築き、黄河の洪水をナントカするのが、王様や皇帝の仕事だった。
というか、おそらく、話はサカサマで、土木工事をやるために、その工事請負主体として「国家」を必要とした、といったほうが正しいのかもしれない。
「最初の王様」は「土方の親方」ということだ(笑)。
万里の長城VS京杭大運河~日没する処の天子・隋の煬帝が聖徳太子に復讐する。 - 在日琉球人の王政復古日記
土木工事というのは、「なにかを作る」という意味では、農業や、製鉄とか陶器とか工芸品とか他の製造業と同じだが、土木工事特有の要素がある。
まず、必要な労働力が大量である、さらに需要に大きな「ムラ」がある。
たとえば、治水工事なんかは、雨季にやるわけにはいかない。そして一度完成すれば当分工事はない。しかしたまたま豪雨で決壊すれば緊急に仕事が発生する。
墳墓も王様が長寿だと回数が減る。逆に急死したら急いで作らないといけない。
土木工事は長期計画が立たないのだ。
これが農業なら、コメだろうがムギだろうがトウモロコシだろうが、毎年極端に需要が増えたり減ったりしない。タネまきの時期も、収穫の時期も、暦通りで毎年同じだ。
というか、人間が、暦だの季節だのに敏感なのは、農業のためである。
陶器を作る職人なら、毎日、毎年、一定量を作ればいい。陶器を必要にしない時期や季節なんてもんはまずない。季節により需要が変化しても、そのパターンは決まっている。つまり長期計画が立てやすい。
農業や他の製造業に比べて、土木工事の労働力は、長期安定継続雇用が難しく、どうしても臨時雇いになってしまう。
仕事が無い時、労働者をどうする? いざという時のために無駄飯を食わせるのか? それとも、飢えても知ったことではない、と解雇するのか?
もし、急に需要が発生して仕事が殺到した時、必要な労働力をどうやって駆り集めるのか?
土木工事はこういう労働問題が発生しやすい。
大昔において、それを解決するのは、法律ではなく、「暴力」しかない。
次に、工事現場は毎回同じではない。常に移動する。
現場が移動すれば、労働力を移動させねばならない。
農業は毎年毎年同じ場所でやればいい。田んぼは移動しない。常に同じ場所にある。焼畑にしても定期的なルートの中で収まる。
その他の製造業も、仮にA地区で陶器の需要が発生しても、陶器職人がわざわざA地区に引っ越して仕事をする必要はない。居住地のB地区で陶器を作って、需要のあるA地区に運べばいいだけだ。
しかし土木工事は、A地区の灌漑工事はA地区でやらないといけない。B地区の築城工事はB地区でやらないといけない。
となれば、どうしても労働力の移動が必要になる。
労働者を、生まれ故郷から引き剥がし、家族や村落という共同体から個人をバラバラにして、連れて来て、住まわせて、食わせて、黙らせて、働かせる。
こういう「無理」には、どうしても「暴力」が必要になる。
また、土木工事は、農業や他の製造業に比較して危険度が高い。労働者の事故や怪我が付き物だ。
不安定な雇用で、しかも事故が危険となれば、そういう職場の労働者は荒っぽくなる。刹那的で、金銭トラブルや、喧嘩・騒動も起こりやすい。
農民より職人より乱暴な労働者をどう管理するか? これも「暴力」である。
さらに、土木工事は1つの仕事の受注単価が高い。
コメ一俵、茶碗1つ、に比べて、治水工事の価格はケタが違う。
依頼主は国家のような金持ちだし、決定権は自分のカネではない官僚だし、普通の商売とは違って、受注合戦は過熱しがちだ。
これも非合法、アンモラルな商売につながりやすい。
以上、いろんな意味で、土木工事というのは、「暴力」が必須で、「暴力」を行使できる主体=工事請負業者が必要になるのだ。
その暴力が、
共同体で公認されたものならば、その工事請負業者は「国家」と呼ばれ、
共同体で公認されていなければ、その工事請負業者は「ヤクザ」と呼ばれる。
公認か、未公認か、「国家」と「ヤクザ」の違いは、それだけ、なのだ。
「王の、つまり、神のご命令だ。レンガを積め」となるか?
「メシが食いたければ、はやく土を運べ」となるか?
「公認されたヤクザ」=「国家」であり、
「未公認の国家」=「ヤクザ」ということである。
山賊やヤクザと変わらない私利私欲でのし上がった戦国大名の豊臣秀吉や徳川家康が、山口組と同じ暴力で天下を統一すれば、立派に日本列島の全国政権=国家に昇格する。
アメリカや国際社会は、中東のISISイスラム国を国家とは認めない。
70年間、国家を名乗ってきたが、大量餓死だの、公開処刑だの、強制収容所だの、航空機爆破テロだの、外国人拉致だの、核ミサイルだの、ニセドル作りだの、覚せい剤製造だの、やってることはヤクザ・マフィアとほとんど変わらない北朝鮮なんかは、あまりに鬼畜外道なので、国家としての公認を外されそうになり、あわててアメリカと国交正常化をやり出している。
戦国大名や、北朝鮮とか、イスラム国とか、アフガニスタンのタリバンとか、彼らは、「国家」と「ヤクザ」のちょうど中間、グレーゾーンに存在するのだ。
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