在日琉球人の王政復古日記

NATION OF LEQUIO

安保法=集団的自衛権で、日本が戦争する危険性は下がる。と同時に、日本が戦争に巻き込まれる危険性は上がる。

※ 2015年08月02日の日記である。

2016年のバングラデシュ・テロが起こるはるか前に書いた。

下記の「安保法案」を、「安保法」「憲法改正」と読み替えていただいても、意味は通る。

  

今ごろになって、こんなことを言うのもなんだが(笑)、

安倍ちゃんの安保法案に、反対してる人と、賛成してる人って、そもそも想定してる、というか、イメージしてる「戦争」がかなり違うのではなかろうか?

 

反対派は、安保法案を「戦争法案」と呼び、日本は戦争に巻き込まれる、再び戦争をする国になる、国民が悲惨な被害にあう、と主張する。

しかし、ここで反対派が言ってる「戦争」って、具体的にどんな戦争なのか?

 

おそらく、理屈ではなく、心情的に、日本人が経験した一番新しい戦争である大東亜戦争をイメージする人が多いのだろう。

日本人にとっての大東亜戦争とは、日本国中、食べるものもなく、空襲で焼かれ、原爆まで落とされ、青年たちは赤紙で戦争に狩り出され、輸送船で沈没したり、ジャングルで餓死したり、シベリアで凍えたり、特攻機で自爆する、、、そういうイメージだろう。

心情はわかる、心情はわかるが、こういう戦争は「日本がアメリカを敵に回した」からこそ発生した。もし日本がアメリカさえ敵に回さなければ、もちろん悲惨で残酷なことがなくなるわけではないが、日本国中焼け野原、なんて結果だけはなかった。

反対派の気持ちはわかるが、現在のようにアメリカに従っている限り、つまり安倍ちゃんの安保法案ならば、日本に大東亜戦争の再来は無いだろう。

 

Obama Sings Amazing Grace~安倍ちゃんの「個別的自衛権」より、オバマの「集団的自衛権」の方が、まだマシではないか? - 在日琉球人の王政復古日記

 

対して、賛成派は、安保法案を「戦争防止法案」と呼び、日本の国土が攻撃を受けないように、戦争を予防するために、集団的自衛権が必要なんだ、と主張する。

しかし、ここで賛成派が言ってる戦争って、具体的にどんな戦争なのか?

 

ズバリ言えば、一つは北朝鮮の暴発的ミサイル攻撃と、もう一つが本命の、尖閣諸島を巡る、または、南シナ海シーレーンを巡る、支那との(主に)海上戦闘だ。

戦場は日本人の住んでる市街地から遠い、琉球に近い(笑)海の上だ。大東亜戦争とはちょっと異なるタイプの戦争である。あえていうならイギリス・アルゼンチンの「フォークランド紛争」に近いのか。

 

で、こういう戦争を想定する限り、賛成派の主張はある程度正しい。

アメリカと疎遠な日本と、アメリカとベッタリな日本なら、後者の方が攻撃には覚悟がいる。結果ビビる。そして開戦の可能性は下がり、確かに戦争防止である。

 

この時点では、反対派、賛成派、双方の主張は、賛成派のほうが理屈が通っている。

ただし、日本領海、東シナ海南シナ海、つまり極東における戦争に限れば、である。

確かに、日本の領土が奪われ、日本の市街地にミサイルが飛んでくるような、そんな戦争の可能性は、安保法案によって下がるだろう。

 

しかし、もう一つの戦争の可能性がある。場所は地球の裏側だ。

中東のワケの判らない連中や、アフリカのさらにワケの判らない独裁者との地上戦である。あと、ユーゴ紛争のような、これまたワケの判らない憎悪と復讐に凝り固まったヤクザ同士の殺し合いの仲裁だ。

今まで、戦後日本は、こういうわけのわからない連中のややこしい内輪もめに、タッチしないで済んできた。実は憲法9条の本当のメリットは、こっちだったのだ。

確かに、日本の領土での戦争を防止したのは9条ではない。日米安保条約の方だ。

ただし、中東やアフリカの、誰にも解決しようがない泥沼に足を突っ込まなくて済んできたのは、9条のお陰だった。

 

ところが安保法案、集団的自衛権ともなれば、アメリカ並みとは言わないが、EU諸国並みには、自衛員も見知らぬ荒地か瓦礫の街でドンパチしないといけなくなる。

相手は、おなじみの北朝鮮の人民軍でも支那人民解放軍でもない。

イスラムのナントカ派原理主義者とか、アフリカのボンゴボンゴ族ゲリラとか、そういうみなさんだ。

こっちの戦争は日本の領土までミサイルは飛んでこないし、尖閣に上陸しないし、戦闘機も飛来しないが、

ある日、新宿駅あたりで、妙に着膨れした外国人がブツブツつぶやきながら、そのつぶやきがコーランの一説だと誰も気づかないうちに、次の瞬間には、そんなことはもうどうでもよくなる事態が発生する可能性は否定できない。

実際にアメリカやヨーロッパの街で起こったことが、日本の街で起きない保障はアッラーにしかできない。そしてアッラーはする気がない。

 

こっちのパターンは、

反対派のほうが余計な恨みを買わない分、自衛隊も国民も安全だが、

賛成派のほうはわざわざ危険を買いに行くわけで、自衛隊が戦闘する分、危険度は格段に高い。

 

ここで賛成派は「集団的自衛権といったって、参加するしないは日本の意志で決められる。ヤバ過ぎる紛争には介入しない」と言うかもしれない。

確かにそれは日本の自由だが、アメリカから「オレがキツイ場所でシンドイ思いしてた時は、手伝ってくれなかったよね?・・・で、尖閣がどうしたの? こっちもこっちの自由なんだけど」と言われてしまえば、安保法案なんて無いのと同じなのだ。

日本はアメリカの頼れる相棒、ということを証明しないと、安保法案の意味はない。

 

安保法案と集団的自衛権によって、

日本が「日本の戦争」をする危険性は下がるだろう。
日本が「他人同士の戦争」に巻き込まれる危険性は上がるだろう。

  

反対派の日本は、平常時は全く誰も死なないか、万が一事情が悪化すると領土とかなりの人命が失われる可能性がある。

普段は全く無傷だか、下手したら大出血の日本である。

 

賛成派の日本は、日本の領土は守られるが、常にどこかで自衛隊員が誰かを殺すか、誰かが自衛隊員を殺す可能性が持続することになる。

ふさがらない小さな傷から常に血がにじみ続ける日本である。

 

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