ブッダの生まれ変わりとされた宗教指導者、捜査対象に ネパール 写真1枚 国際ニュース:AFPBB News
2019年1月8日
【1月8日 AFP】ネパール首都カトマンズの警察当局は7日、ブッダ(Buddha)の生まれ変わりと信じられている宗教指導者が、信者数人が行方不明になったことをめぐって取り調べを受けていると発表した。
「ブッダ少年」とも称されたラム・バハドゥール・ボムジャン(Ram Bahadur Bomjan)師(28)は2005年、同国のジャングルで数か月にわたって、食べ物も水も口にせず、睡眠すらせず、微動だにしないまま瞑想(めいそう)できたと信者たちが主張し、一躍有名になった。
ボムジャン師は敬けんな信者らを抱えるものの、一部の信者たちからは身体的・性的な暴行を加えたと非難されていた。
その一方で、信者の一家4人がボムジャン師の僧院から失踪したとして、特別捜査官らが取り調べを開始したという。
ネパール中央調査局(CIB)の報道官はAFPに対し、「ボムジャン師に対する一連の告発について、警察が捜査を開始した」と述べた。
昨年9月には18歳の尼僧が、僧院の一つでボムジャン師にレイプされたと訴えていた。この他にも数十人が暴行を受けたと主張しているが、超人を自称するボムジャン師は、瞑想を妨害されたために殴ったとしている。(c)AFP
ここに、仏教への、というか、宗教への、根本的なカン違いがある。
まず、誰でも思い付く話だろうが、
釈迦は悟りを開いて涅槃に入った。成仏したのである。
部派仏教、小乗仏教の理屈では、
生まれ変わることは、特別でも何でもない。偉くもなんともない。世の中をだらしなく暮らしている、あなたも私も、人間の99.99%だけでなく、動物も(植物は除外)、誰でも生まれ変わる。というか、誰でもたとえイヤでも、そうならざるをえない、当たり前の現象である。これを輪廻という。
というか、生まれ変わるのは、「罪」の現れなのだ。ダメな人間の証明である。
逆に、悟りを得て、成仏した者は二度と生まれ変わらない=輪廻しない。魂も何もかも存在しない。消えて無くなるのだ。存在なんて最初から無いとも考える。
もし、生まれ変わったら、それは成仏していないのであり、悟りを開くことに失敗したのであり、それこそ仏陀=覚者ではない証明なのだ。
「仏陀の生まれ変わり」とは、「生まれ変わらない存在(ですらなくなった何か)の生まれ変わり」と言ってるのと同じで、「真っ赤な青」「丸い正三角形」「ゼロの割り算」のごとく、意味不明なのだ。
釈迦如来も阿弥陀如来も、消えて無くなるどころか、正反対に久遠実成=永遠不滅の存在であり、こっちは時間空間を越えて大慈大悲をお示しになり、六道輪廻に苦しむ衆生をお救いくださる。キリスト教の神にかなり近い性格である。
こっちはこっちで、今さら、瞑想だの、修行だの、するわけがない。
そういう初歩はとうの昔に卒業していて、今は、救われぬ衆生の救済に励んでいらっしゃるはずである。今ごろ修行してるようでは、偽者なのだ。
しかし、そういう話のもっともっと前に、もっともっと根本的な間違いがある。
自称・ブッダの生まれ変わりは、こういうことができるそうだ。
数か月にわたって、食べ物も水も口にせず、睡眠すらせず、微動だにしないまま瞑想(めいそう)できた
だから、何だ? 飲まず、食わず、眠らず。それがどうした?
それが、悟りを開くこと(小乗仏教)や、衆生を救うこと(大乗仏教)に、何か役に立つのか?
もし仮に、彼が、食わず、眠らず、空中に浮かんで、世界中を飛び回り、炎にも火傷せず、重い岩石を念力で動かし、テレパシーで会話し、分厚い壁を通り抜け、刀で斬っても血が出ず、素手から金銀財宝が湧き出したとしよう。
・・・で(笑)?
それは、「単なる超能力」であり、超能力が使えるからといって、悟りを開いた証明には全くなっていない。衆生を救える証拠にもなっていない。
悪魔だって、空を飛べるし、口から火炎を吐き、何万年も眠らずに過ごせる。
しかし、悪魔は、悟りを開けないし、衆生も救えないのである。
超能力と、仏教は、まったく何の関係もない。
仏教にとって、超能力なんか、銀行の貯蓄残高同様、まったく無意味なのだ。
しかし、人間は、誤解した修行者は、救われぬ衆生は、超能力を神や仏の証明だと、人間を救ってくれる能力だと、カン違いするのである。
そして、ハーメルンの笛吹き男のオレオレ詐欺に、わらわらと付いて行く。