在日琉球人の王政復古日記

NATION OF LEQUIO

トンへ(東海)の真砂は尽きるとも、ウリナラに日帝残滓の種は尽きまじ~韓国、二枚目、三枚目。

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私は前に21世紀の韓国映画を誉めたけど、

 

K-POPも韓流ドラマも興味ゼロだが、韓国映画だけは【凄まじい】~ウォンビン出演「母なる証明」。 - 在日琉球人の王政復古日記

 

それにも例外があって、ダメな韓国映画のジャンルがある。

なぜなんだか、理由がわからないが(笑)、「日本」が出てくる韓国映画は、薄っぺらで、ロクなモノがないように思う。

 

韓国人のイルボンへの対抗意識は、あれだけ才能溢れる韓国映画ですらダメにする。

韓国人のイルボン呪縛は、ある意味、琉球人のヤマト呪縛より強いかもしれない。

 

そもそも、琉球人はヤマトに勝とうなんて思ったことがない(笑)。

彼我の力量差を考えれば、琉球がヤマトに勝てる道理が無いからだ。だから、琉球人はヤマトの文物はなんでも受け入れるし、そのことに自尊心が傷付かない。われわれはモノゴトを深く考えられない。南洋の土人は呑気なのだ(笑)。

 

しかし、韓国人はイルボンに勝とうと思ってる。

彼我の力量差を考えれば、かなりの苦戦である。

韓国人はイルボンの文物を受け入れることに抵抗がある。しかしイルボンの優秀性を客観的にみれば結局受け入れることになる。その摩擦にストレスが発症する。そのストレスを解消しようと(これが「恨プリ」か)、なんとか理屈をつけるのだが、その出発点に無理があるから、どうしても理屈と結論が荒唐無稽なものになる。

 

三者琉球人から見て、いや古代中世から東アジア史においてずっと、日本と支那の間、という「同じ立場」だった琉球人から見て、

韓国人は認めたくないだろうが、韓国がここまでの近代工業国家になれたのは、イルボン文化の「受容」の結果であり、そして、そのことへの「抵抗」と「対抗」の努力であった。

同じように「受容」はしたが、「抵抗」と「対抗」の意識が乏しかった琉球は、結局、近代工業国家にはなれていない。

まあ人口の多寡という要素も大きいが。

 

で、こういうニュースがあった。

 

全文表示 | 韓国紙、今度は日本のランドセルを攻撃 「軍国主義の象徴だ」 : J-CASTニュース

2015/7/ 8
日本のランドセルは、軍国主義の象徴であり、韓国人なら見直すべきだ――。韓国の大手紙「朝鮮日報」がこんな荒唐無稽なコラムを書いて話題だ。欧米セレブの愛用をきっかけに国内で人気になっていることに対し、クギを刺す狙いらしい。
「韓国に今なお存在する日本軍国主義の残滓」。朝鮮日報で産業を担当する記者は、2015年6月12日付コラムにこんなタイトルを付けた。

 

実はこの記事、朝鮮日報サイトで見た。

そのとき、内容が興味深かったのでブログに書こうと思ってタイミングを逃してしまっていた。文才が無いので私はこういうことが多い(恥)。

この元記事で一番面白かったのは、ランドセルではない。そこはどうでもいい。

元記事はリンク切れのようだが、アーカイブがあったようだ、保存用に全文張っておこう。

 

http://www.chosunonline.com/m/svc/article.html?contid=2015061300718

【コラム】韓国に今なお存在する日本軍国主義の残滓
2015/06/14 06:08

 日本の初代首相を務めた伊藤博文は1887年、当時小学生だった皇太子にかばんを一つ贈った。帝国主義日本陸軍の歩兵が背負っていたかばんを模した、ランドセルだった。この皇太子は、およそ20年後、大正天皇(在位1912-26)になった。ランドセルの由来は、日本軍国主義の精神を小学生に教えるところから来ているわけだ。日本のあるバラエティー番組では、革で作った丈夫なランドセルの横に付いている、靴の袋を提げるための環が、もともとは手りゅう弾をつるすためのものだったと説明していた。2015年の今も、日本の小学生はランドセルを背負って学校に通っている。ランドセルを背負った日本の子どもたちを見るたび、軍国主義が重なって見えてどうにも困る。

 こんなランドセルが、SKテレコムのテレビコマーシャルに登場した。SKテレコムは、子どもが手首に付ける小型スマートフォン(多機能携帯電話端末)「キッズフォン」を宣伝するコマーシャルの中で、子役がランドセルを背負って出てくる場面を映し出した。ランドセルをコマーシャルに出した理由は単純だ。ランドセルが、このごろ小学生の間で最も人気あるアイテムだと判断し、そのイメージをキッズフォンに重ねようとしたのだ。SKテレコムのキッズフォンは、教育熱が高い地域の母親によく売れる人気商品になった。

 日本が誇る伝統文化にしてユネスコ(国連教育科学文化機関)が指定する世界無形文化遺産でもある歌舞伎は、一時、公演禁止で廃止の瀬戸際にまで追い詰められたことがあった。70年前、日本が第2次大戦で米国に敗れた後、占領軍としてやって来たマッカーサー元帥が、軍国主義の残滓を一掃するという観点から下した措置だった。「日本の美意識の精髄」だった歌舞伎さえ、マッカーサーの目には軍国主義の精髄みなぎる演劇と映ったのだ。2年後に解禁された歌舞伎は、高度経済成長期やバブル期を経て再び最高の人気を博するようになったが、最近では徐々に若者の関心の外に追いやられつつある。

 今では日本のドラマにほとんど登場しない歌舞伎の用語が、KBS放送の人気ドラマに出てきた。KBSの金・土ドラマ『プロデューサー』で、主人公が何度も「さんまい」「にまい」という言葉を口にしたため、意味が気になった視聴者がNAVERに質問を書き込んだ。さんまいは「三枚目」、にまいは「二枚目」という歌舞伎用語から来ていた。歌舞伎の舞台の横には、主な俳優8人の名前が掲げられる。2枚目には美男役の男優の名前、3枚目には道化役の俳優の名前が書かれた。KBSの制作陣は、テレビ放送局が背景になっているドラマの現場の雰囲気を生かそうと考えて、こういう単語を使ったのだろう。

 韓国の若者の傍らには、まだこのように、韓国人が知らない日本軍国主義の残滓がある。SKテレコムがランドセルの由来を知ったら、テレビの画面に日本軍国主義の象徴を映すことはなかっただろう。2カ月後には、光復(日本の植民地支配からの解放)70周年を迎える。日本と日本人の軍国主義について、韓国人が何を知らずにいるのか、一度考えてみるのはどうだろう。例えば、第2次大戦のA級戦犯として死刑になった東条英機元首相が、日本の法律では「戦犯」に分類されていない、というようなことを。

成好哲(ソン・ホチョル)産業第2部記者

朝鮮日報朝鮮日報日本語版

 

ランドセルは戦争から誕生した。だから軍国主義、、、アタマは大丈夫か?

じゃあ、韓国人は、インスタントコーヒーも、腕時計も、缶詰も、トレンチコートも、そもそもインターネットも使ってはならない。全部、戦争の副産物だ。

 

逆にいえば、反論が簡単すぎて凡庸である。

だからランドセルの部分はあんまり面白くない。

 

この記事が興味深かったのは、少なくとも過去においては、韓国のテレビ業界、演劇界で「二枚目」「三枚目」という歌舞伎由来の業界用語が普通に流通していたという話である。韓国はそれくらい「日本」だったのだ。

 

おそらくは歌舞伎直輸入ではなく、植民地時代に日本の新派劇あたりが流れ込んで韓国芸能界に定着したのだろう。

李氏朝鮮時代にも、国家が保護する宮廷雅楽や、正反対に農村を巡業する農楽・田楽の類はあっただろうが、権力者ではなく都市住民がパトロンになって体系化・ビジネス化した歌舞伎みたいな演劇は無かったと思われる。

そういう意味で歌舞伎はアジア史だけでなく世界史的にも有数の優れた日本文化だ。

現在の韓国演劇も、李朝の宮廷雅楽や農楽田楽が直接の祖先とは考えにくい。ほぼ間違いなく、歌舞伎から派生した日本の新派劇が近代韓国演劇の直接の祖先だろう。

その証拠として「二枚目」「三枚目」という言葉が残っているのだ。これこそ「歴史」「文化」というものだ。

 

確かに、この記者が書くように、韓国の公式歴史観のフレームに当てはめれば、韓国演劇界・テレビ業界の「二枚目」「三枚目」はまちがいなく「日帝残滓」である。

「悪だから排除する」ということは、植民地時代ではなく、戦後韓国芸能史の否定だ。韓国70年、有名無名、無数の韓国芸能人たちの夢と栄光と残酷と汗と涙を無かったことにするということだ。それは韓国そのものを失うことである。

 

日本だって、昨日まで鬼畜と呼んでいた米兵にすがり付いて「ギブミーチョコレート!」と愛想笑いして土下座したのだ。

屈辱かもしれないが、屈辱もまた日本の歴史の大切な一部なのだ。

「ギブミーチョコレート!」を無かったことにしたら、「ギブミーチョコレート!」と愛想笑した日本人たちの夢と栄光と残酷と汗と涙が失われてしまうのである。

 

歌舞伎が軍国主義、ってのは、戦争直後で神経過敏だったGHQの過剰反応だったのは、アメリカ自体がすぐに方針を変えたことからも判る。

だいたい、色だの恋だの心中だの、刃傷だの復讐だの、個人の都合と、痴情、怨恨、人間関係のもつれ、ばっかりの歌舞伎の演目のどこに国家観念があるのか?

たとえば「白波五人男」なんて、詐欺、恐喝、泥棒、アウトロー賛歌である(笑)。社会正義もクソもない。

 

そんなことは、韓国語の情報だけでもすこし調べれば判る話だ。この記者は無知なのではなく、本当のことは知ってるくせに、自分が書きたい日本軍国主義批判に合わせるために事実を曲げてるのである。

この韓国人記者が特別ヒドイわけではない。他の韓国人ジャーナリストも少なからず「イルボン」が関連する話題ではこういうマヌケな論法を平気で使う。

彼の媒体は東京スポーツや週刊大衆やWILLや週刊金曜日ではない(笑)。韓国有数のクオリティペーパー朝鮮日報だからこそ事態は深刻である。まあ朝日や産経や文春や新潮だってヒドイ記事はあるが、レベルと頻度が違う。

 

おそらく書いた本人も、こんな駄法螺にOKを出した編集も、理屈と結論に無理があることは内心判ってるはずだ。しかしイルボン関連ならOKが出てしまう。その自堕落な倫理観の喪失が韓国をダメにするのだ。

 

本来、日韓友好を願うアンチ嫌韓、朝日や毎日や週刊金曜日や岩波「世界」、親韓派・リベラル派こそが、こういう韓国人の客観的な「愚かさ」を、「イルボン関連倫理喪失症候群」を、ちゃんと批判すべきである。

日本人を正すだけで日韓友好なんて無理である。韓国人にもマトモになってもらわないと困る。 

日本人がやろうが、韓国人がやろうが、馬鹿は馬鹿なのだ。

馬鹿を批判するときに、民族で遠慮するのは、真の意味で民族差別だ。