在日琉球人の王政復古日記

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カストロやチェ・ゲバラが「南米の金日成、ポルポト」「左翼のピノチェト」にならなかった理由は?~科学から神学へ後退する政治学。

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/5/58/CheHigh.jpg/220px-CheHigh.jpg

 

暴力革命。一党独裁普通選挙なし。集会結社の自由なし。政治犯収容。海外派兵。軍事優先。経済低迷。長期貧困。一族支配。

 

キューバカストロ兄弟のやってきたことは、北朝鮮金日成・正日・正恩ご一家と変わらない。

 

レーニンスターリン毛沢東は、食肉昆虫並みの倫理観の持ち主だった。

カンボジアポルポトも、ルーマニアのチャウセスクも、連合赤軍永田洋子も、陰惨無比であった。

カストロ兄弟、そして、あのチェ・ゲバラは、彼らと「同類」のはずである。

それが社会科学である政治学の結論だ。

 

しかしだ、理性は受け入れても感情が受け入れない。

金さん親子孫には「愚劣」しか感じないのに、カストロ兄弟は「愚直」と感じる。

両者を同一視できない。この感情は民族差別なのか(笑)?

 

フィデル・カストロチェ・ゲバラ

 

この社会科学的に、あってはならない厄介な存在は、当然ながら、世界中の左翼やリベラル派に人気がある。

 

そして、アメリカ以外の先進国や後進国の保守派、右派、ナショナリスト、排外主義者たちも、案外、カストロゲバラが嫌いじゃなかったりするのだ。

グローバル資本主義に抵抗して、民族の自立を守ってるキューバは、各国の右翼民族主義者(例え反共主義であっても)に、ある種の畏敬の念を抱かせるのである。

 

しかし、世界中の左翼やリベラル派は、理解しているのか? 

キューバの独裁者・カストロの存在は、「民主主義なんてなくても、政治的自由がなくても、選挙なんてなくても、軍事訓練があっても、深刻な飢餓さえなければ、人間はそこそこ幸せに暮らせる」つまり「人間性が優れていれば、独裁者でも許される」という証拠なのである。

このキューバ人は、フランス革命200年の伝統を誇る、自由と民主と人権の左翼リベラル思想の根本原則を破壊する存在なのだ。


カストロが、「南米の金日成」にならなかったのは、「左のピノチェト」にならなかったのは、ひとえに彼の人格・性格によるものだとしたら、それは奇跡の類であり、厳密な社会科学であるはずの政治学の否定である。

つまりは政治学は「科学」から「神学」のレベルへ後退する。

 

鎖国状態でも、権力が世襲されても、軍人が特権を持っていても、そこそこ名君で、無茶をしなければ、民草はそこそも幸せかもしれない。

鎖国だったのに、身分制だったのに、近代産業が無かったのに、政治参加も無かったのに、その後の明治政府統治下の日本近代より、江戸時代の方が幸せそうに見える。

 

キューバは、カリブ海に浮かんだ「徳川幕府」なのか(笑)?

 

民主と自由を否定する存在が、民主と自由の希望の星となる。


「歴史の進歩なんてウソだった」と宣告されるに等しい、目の前真っ暗な話なのに、この不思議な明るさはいったい何なのだろう?

 

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