在日琉球人の王政復古日記

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貴方は「魔法使い」である~「必ずや名を正さんか」~牛丼VS孔子、論語、儒教。

貴方は「魔法使い」である。

 

たとえば、貴方は郵便局の場所が判らない。でも貴方は「魔法の呪文」が使える。

道行く他人に「お忙しいところ、申し訳ありません。郵便局の場所をご存知ですか?」と《呪文》を仕掛けると、貴方は他人を操ることができる。

他人は「ああ、郵便局なら、あの交差点を左折して100メートルくらいです・・・」と自動的に喋り出す。貴方はタダで情報が手に入る。

コレは奇跡だ。コレは魔法である。

 

ただし《呪文》を内容を間違えるとダメである。

「ヘイ!ポストオフィス!」だの、「おいオマエ、郵便局はドコだよ」だの、ヘタクソな《呪文》だと、正しい情報を入手できる可能性はグンと低くなる。

 

人と人の間は直接は繋がらない。必ず「言葉」が介在する。

 

だから「言葉」を間違うと、人と人の間は断絶する。貴方は1人ぼっちだ。

もし「言葉」が正しければ、人と人の間は正しく繋がり、貴方の能力は2倍になり、10人力になり、万人が合力して、豊かな共同体を形成するのである。

 

 

弁当、牛丼…お持ち帰りの時に「いただきます」と言うだけで人生は少し豊かになる – しらべぇ | 気になるアレを大調査ニュース!

以前、半年ほど大手牛丼チェーン店でアルバイトしていたという男性Tさん(20歳)は、大変な仕事のなかで嬉しさを感じたこととして、“お客さんからの挨拶”を挙げます。食事を終え、店を出ていく時に何気なく発せられる「ごちそうさまでした」は、仕事を頑張る原動力になったと。
そして、そんな「ごちそうさま」より嬉しかったのが、「いただきます」なのだそう。

“言霊”という言葉がありますが、実際に「いただきます」を口にすると、不思議なもので、普段食べる時よりも作ってくれた店員さんへの感謝の気持ちが芽生え、大切にひと口ひと口食べることができます。そして、「いただきます」と言ったことに呼応して店員さんが返してくれる「ありがとうございました!」は、食事をより美味しくしてくれるのです。

 

要は、これが「儒教」である。

孔子の言いたかった事の、全部ではないにしても、重要な一つはこれだ。

 

[子路13-3]~子曰、必也正名乎~
(意訳)一番弟子の子路「政治家の衛公が孔子先生を顧問に迎えたら、まず何をなさいますか?」
孔子「まず言葉を正すつもりだ。」
子路「先生は回りくどいですね。政治なのに、なぜ言葉なんですか?」
孔子「あまえは相変わらず雑だな。言葉を正さないと、意味が乱れる。意味が乱れれば、何事も正しく成し得ない。正しい行為がなければ、文化が成熟しない。文化が成熟しないと、統治は不可能だ。統治が不可能なら、人民の生活は安んじ得ない。だから君子はまず言葉を正すのだ~(略)」

 

正しい言葉遣いが、タダで、郵便局の場所を入手できるように、

正しい言葉遣いが、バイト料の上乗せ無しで、牛丼屋のバイトの勤労意欲を奮い立たせるように、

正しい言葉遣いが、クズ肉で作った牛丼を美味しく感じさせるように、

正しい言葉遣いが、人と人を正しく結び、正しい政治を実現する。

それが孔子の思想だ。

 

しかし、キリスト教世界に、「救世主キリスト」に姿や形はソックリな、しかし本質が全く正反対の「アンチ・キリスト(悪魔)」が暗躍するように、

儒教世界でも、「名を正してる」ようで、逆に「名を混乱させる」だけの、ニセモノが跳梁跋扈する。

 

[学而1-3]子曰、巧言令色鮮矣仁。 
子曰く、巧言令色すくなし仁。
(意訳)上っ面だけの虚言は礼儀ではない。 

[陽貨17-13]子曰、郷原徳之賊也。 

子曰く、郷原は徳の賊なり。
(意訳)形式だけの道徳論者は逆に道徳を損なう。

 

悪魔がキリストの名を騙るように、ニセモノが仁や礼や徳を騙る。

 

指輪物語ハリー・ポッター同様、驚異の魔法世界には、魔法を逆用・悪用する悪い魔法使いが必ず出てくるのである。

 

だから、そんな魔法自体を捨てろ、最初から言葉を信じるな、というのが、老荘や釈迦の反論ということになるのだろう。

 

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