在日琉球人の王政復古日記

NATION OF LEQUIO

大映・東宝・東映・松竹・日活オールスター野球映画「ダイナマイトどんどん」~40年前にできたコトが、なぜ今できないのか?

NHK-BS。皆さん、録画して、見てくれたものと信じる。

 

いくら、世界中の映画人が絶賛しようが、

私は、「東京物語」の原節子のローアングルより、

掛け軸をバックにして真っ赤なユニフォーム&両手拳銃&チョビ髭の金子信雄の方を愛する(笑)。

 

私は映画ファンじゃない。東映ボンクラ野郎なのだ。

 

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映画の舞台はここだ。

 

工藤会幹部ら放火容疑で逮捕 防犯カメラに映像、バイク押収 (西日本新聞) - Yahoo!ニュース

 福岡県警は25日、北九州市の繁華街で暴力団員の入店を禁じる「標章」を掲げた飲食店が入るビル2棟に放火したとして、現住建造物等放火などの疑いで、特定危険指定暴力団工藤会(同市)理事長でナンバー3の菊地敬吾容疑者(43)=組織犯罪処罰法違反罪などで起訴=ら11人を逮捕したと発表した。

 

ラカンの岡源組も、金子の橋傳組も、平成の暴対法のマトにかけられてる工藤会のご先祖サマなのである。北九州、と呼ぶより、小倉、若松、と呼んだ方がしっくり来る。今も昔も極道な土地柄だ(笑)。

 

「成人式」より「未成年バカ祭り」を!~バカ成人こそ地元の宝である。 - 在日琉球人の王政復古日記

 

尊皇攘夷+石炭=ヤクザ~北九州成人式の花魁&ヤンキーたちの大先輩~九州のゴッドファーザー吉田磯吉。 - 在日琉球人の王政復古日記

 

ハングルとカタカナの選挙ビラ~舛添要一東京都知事VS舛添弥次郎若松市議会候補。 - 在日琉球人の王政復古日記

 

製作は大映、監督は東宝、話のベースは東映、客演に松竹、女優は日活。

大映東宝東映・松竹・日活、斜陽の日本映画会社オールスター戦。

 

大映野球映画「ダイナマイトどんどん」(1978)~東宝モダン岡本喜八+東映ヤクザ菅原文太+松竹新喜劇小島秀哉+日活ロマンポルノ宮下順子 - 在日琉球人の王政復古日記

 

ラカンの岡源組は、古くからの老舗ヤクザで「善玉」。

金子の橋傳組は、新興成り上がりヤクザで「悪役」。

 

旧いモノが善で、新しいモノは悪。

これは、東映仁侠映画のほぼ全てに共通する基本フォーマットであり、東映の政治思想だ。

 

対して、新しいモノが良きモノで、古臭いモノは消え去っていく。

これが、加山雄三「若大将」、森繁久彌「社長」「駅前」、クレージーキャッツ「日本一」「無責任」、東宝喜劇映画に共通する基本フォーマットであり、東宝の政治思想だ。

 

前にも書いたが、日本を代表する映画会社、東宝東映(あと松竹)は、政治思想が真っ向から対立しているのである。

 

東宝映画「大学の若大将(1961)」の10年戦争(その2)~加山雄三VS渥美清&高倉健~太平洋戦争再び - 在日琉球人の王政復古日記

地元に根ざし昔からの商売を守り続ける老舗。
金の力にモノを言わせてヨソから乗り込んでくる新興勢力
戦後高度経済成長時代以降の日本の映画にはこういう対立構造がよく出てくる。

 

(略) 

 

若大将は新しいモノが好きな若者だし、森繁はニュービジネスに邁進する社長であり、植木は大企業で活躍するスーパーマンだ。
東宝映画では、新しいビジネスは常に成功し、古い業界もニューモデルを受け入れでイノベーションして再生するのである。

若大将の古いすき焼き屋「田能久」と新しいステーキハウス「黒馬車」の対立も、古い「田能久」のほうがすき焼き一本やりを止め、鉄板焼やバーベキューという新規事業をスタートさせて巻き返すのである。

 

もしも若大将が東映映画なら、新興勢力「黒馬車」がインチキ肉で悪どい商売をやりまくり、「田能久」を潰そうと嫌がらせを仕掛けるだろう。そしてガマンにガマンを重ねた若大将が背中の唐獅子牡丹と共についに「黒馬車」に乗り込んで制裁する展開だ。

 

(略) 

 

戦後日本の新しいモノは、新しいビジネスは、海外からやってくる。ずばりアメリカからやってくる。

高度経済成長は、アメリカから怒涛のようにやってくる新しいモノに、戦争でも生き残った日本の古いシステムが改変させていく時代である。

 

東映も松竹も、古い勢力が「善」であり、新しい勢力は「悪」という構図なのは、その背後に、慣れ親しんだ古き日本は「善」で、金の力にモノを言わせて海の向こうからやって来るアメリカが怖い「悪」なんだ、という当時の日本人の深層心理が隠れている。

 

しかし東宝は、新しい勢力は基本として「善」であり、古い勢力は「悪」とはいわないものの消え行く運命にある、原則として合理的なアメリカが結局正しい、古くて不合理な「大日本帝国」は間違っていたのだ、日本も新しくアメリカになるべきだ、という思想が流れているのである。

 

アメリカのスポーツ、アメリカの男女関係、アメリカの親子関係、アメリカの音楽生活、アメリカのビジネススタイル、若大将は野蛮で未開な大日本帝国にやってきたアメリカ文明の先遣隊なのだ。

 

対して、東映仁侠映画に出てくる、ヨソからやってきて地元の古き良き利害関係をムチャクチャにする、新興ヤクザこそがアメリカ帝国主義なのだ。鶴田浩二高倉健はアメリカ太平洋艦隊に突っ込む日の丸特攻隊なのである。

 

東宝は常に親米かつ資本主義万歳であり、東映や松竹の背後には反米思想とアンチ資本主義が流れる。
東映や松竹でなく、東宝が日本最大の映画会社である理由はここにある。

 

老舗ヤクザと、新興ヤクザが(東映的要素)、

民主主義にのっとって、アメリカからやってきた野球で(東宝的要素)、

勝負を賭ける。

ダイナマイトどんどん」は、東宝モダニズムVS東映アナキズムの思想対決である。

 

話の基本は、東映仁侠映画であり、そのパロディだ。

老舗ヤクザが善で、新興ヤクザが悪だ。そして中盤、老舗の岡源・東映文太&松竹小島が、新興の橋傳・金子&東宝岸田に殴り込みをかける。

東映任侠モノを知ってる人なら説明不要だが、あのシーンは、高倉健池部良の「昭和残侠伝」のオマージュというか、パロディだ。

「昭和残侠伝」なら、金子親分も岸田代貸も切り殺されて大団円だが、「ダイナマイトどんどん」では、文太も小島も失敗して、警察のサイレンでうやむやに終わる。

警察署長が「世間に顔向けができない」と言いかけてから「いや、社会と市民に」と言い換える。

古い概念である世間」から、新しい概念である「社会と市民」に切り替わっていく日本。

表面は東映だが、中身は東宝。だからこの映画は実質的に「東宝映画」である。

 

この映画で素晴らしいのは、実は、役者ではない。監督でもない。

いや、もちろん役者も監督も素晴らしいが、それ以上に「脚本」が素晴らしい。

 

初見の人でも、仁侠映画を知らない人でも、何が起こってるのか判らない部分はほとんど無かったはずである。

セリフに頼らない、無駄や冗長がほとんどない、背景説明を、必要かつ十分に挟み込んでくる、ここしかないというタイミングで、流れるような脚本。

まあ、最後の乱闘はちょっと長かった気もするが(笑)。

 

たとえば、警察の音頭で、ヤクザの抗争を止めて、野球トーナメントを開く、じゃあ助っ人を集めよう、と決まる最初のシーンのスピーディなこと。

平成の日本映画なら、あそこで、主人公やヒロインを出して、ああだこうだ、ダラダラダラダラ時間をかけてしまうところである。

たとえば、文太が「野球がやれたら死んでもヨカ!」と叫ぶシーンで、もうまともに野球のできない体のフランキーが感極まって無言で天を仰ぐ。あそこでフランキーにセリフを言わせるようなヤボなことをしない。

平成の日本映画なら、フランキーが身の上話を説明口調で大演説するところだ。

申し訳ないが「ステキな金縛り」あたりとは、そこが違うのだ。

 

技術は確実に上がってるはずなのに、若い役者も頑張ってるのに、平成日本映画が大惨事になるのは、なにより脚本に元凶がある、と前々から思っている。

 

あと、野球というスポーツは、本当に奇妙なスポーツである。

小さなガキでも、体力のないパンパン(売春婦)でも、運動してないヤクザでも、誰でもできる。

 

ボールゲーム(野球)は「球技」ではない。 - 在日琉球人の王政復古日記

 

もし、この映画がサッカーだったら、ヤクザが炎天下45分も走り回る体力があったら不自然だし、試合中に敵や味方と会話を交わす余裕があったら変だ。あのようなシーンは野球だから可能なのである。

 

そして、声高にメッセージを叫ばなくても、人が死ななくても、泣かせるシーンが無くても、「反戦映画はちゃんと作れる」という見本でもある。