よくよく、冷静に、もう一度考えてみよう。やっぱりおかしい。異常だ。
この70年間、もはや当たり前の、右翼も、左翼も、誰も疑問を持たない、ヤマトの年中行事になってしまっているが、これはやっぱりマトモなことではない。
東京新聞:愛子さま「平和を願う」作文 広島訪ね「意識変わった」:社会(TOKYO Web)
2017年3月22日
皇太子ご夫妻の長女愛子さま(15)は二十二日、学習院戸山キャンパス(東京都新宿区)での女子中等科の卒業式に出席した。宮内庁は同日付で卒業記念文集に寄せた作文を公開。「世界の平和を願って」と題し、「『平和』は、人任せにするのではなく、一人一人の思いや責任ある行動で築きあげていくもの」と自らの言葉で平和の大切さを訴えた。
愛子さまは昨年五月、修学旅行で広島市の平和記念公園を訪れた。作文では、この訪問で「私の意識が大きく変わった」と述懐。実際に目にした原爆ドームやたくさんの千羽鶴、核兵器のない世界を求めて燃え続ける平和の灯を通し「平和とは何か」を考えたと丁寧に記した。
東京新聞:「戦争 記憶に残すことが必要」 秋篠宮さま50歳:社会(TOKYO Web)
2015年11月30日
両陛下は、相当以前から戦没者への慰霊を、強く常に念頭に置かれていました。今回戦後七十年の機会にパラオの慰霊をされたわけです。ずっとさかのぼると沖縄、一番最初は多分海洋博のときですから一九七五年、私はまだ小学生の子どもでしたけれども、沖縄戦のこととともに、戦没者を慰霊することについての話を折々に伺いました。そういう中で私も私の兄妹(きょうだい)も育ちましたので、そのことの大事さ、これからも慰霊していくことの大切さは常に頭の中に入れていますし、そういう機会に、私自身も実際に慰霊祭とかですることがありますけれども、慰霊する行為とともに戦争で亡くなった人たちのことに思いをはせる、そのことの大切さを感じています。
2015年2月20日
私自身,戦後生まれであり,戦争を体験しておりませんが,戦争の記憶が薄れようとしている今日,謙虚に過去を振り返るとともに,戦争を体験した世代から戦争を知らない世代に,悲惨な体験や日本がたどった歴史が正しく伝えられていくことが大切であると考えています。両陛下からは,愛子も先の大戦について直接お話を聞かせていただいておりますし,私も両陛下から伺ったことや自分自身が知っていることについて愛子に話をしております。
我が国は,戦争の惨禍を経て,戦後,日本国憲法を基礎として築き上げられ,平和と繁栄を享受しています。戦後70年を迎える本年が,日本の発展の礎を築いた人々の労苦に深く思いを致し,平和の尊さを心に刻み,平和への思いを新たにする機会になればと思っています。
2014年12月19日
先の戦争では300万を超す多くの人が亡くなりました。その人々の死を無にすることがないよう,常により良い日本をつくる努力を続けることが,残された私どもに課された義務であり,後に来る時代への責任であると思います。そして,これからの日本のつつがない発展を求めていくときに,日本が世界の中で安定した平和で健全な国として,近隣諸国はもとより,できるだけ多くの世界の国々と共に支え合って歩んでいけるよう,切に願っています。
聖上も、東宮も、弟宮も、だけでなく、さらには敬宮愛子内親王殿下まで。
毎年毎年、ことあるごとに、戦争を語らないといけない。平和を語らないといけない。
戦後日本人はみんな慣れてしまって、普通の事だと思っているが、
こんな王家は、世界でも珍しいのだ。他にあるだろうか?
イギリスのエリザベス女王陛下も、タイのプミポン国王陛下も、毎年毎年、戦争を反省したりはしてない。逆に戦勝記念日など国の勝利と名誉を寿ぐのが、その国の王の役目なのである。
毎年毎年、戦争の反省を語る王家は日本だけだろう。
もちろん、ヤマトの皇室は、イギリスやタイなど、他国の王侯と比較しても、宗教色が非常に濃厚なんで、戦争だけでなく、災害など、慰霊は密接な関係がある。
そして、世界の王侯が基本的に軍務に付くのと正反対に、江戸時代前までは天皇家は徹底して軍事を敬遠してきた。
もともとは非軍事的性格の王家なのに、いつまでも過去の戦争を意識しないといけない、というのは、ヤマトの皇室のあり方としては、明らかに想定外だろう。
それもこれも、明治維新以降、日本が戦争をやり続けてしまった結果である。
いやいや、負けなければ、皇室にこんな負担はかからなかった、負けたのがダメだっただけだ、という意見もあろうが、
もしも、日本が勝って戦争を終わっていたとしたら、
皇室は、反省を背負わなくてもいい代わりに、
今度は敗戦国の民衆の巨大な怨念や無限の憎悪が集中し、外国の政治活動家たちの復讐心のターゲットになり、その精神的負担を丸ごと背負わされることになっていたはずである。
ヤマトに限らず、国家は戦わなければならない。国家はそのための存在だ。
しかし、ヤマトの皇室は、歴代、そういう「しんどい」軍事から距離を置いて、平穏に過ごしてきたのである。
どこの国でも、例外なく、愛国は「戦い」だ。
しかし、日本の尊皇はあくまでも「戦わない」が基本になってしまった。
明治以降のヤマト臣民が、戦争を、皇室に、半永久的に背負わせてしまった。
尊皇を自称するネトウヨさんは、韓国に融和的な朝日新聞が嫌いで、韓国にケンカ腰の産経新聞が好きだろう。
だから、陛下も、皇室も、朝日が嫌いで、産経の愛読者、だと思いたいかもしれない。
しかし、天皇陛下のご発言を並べてみれば、どう見ても、反戦平和やアジア友好を説く朝日の論説にソックリで、国益と安全保障と「歴史戦」の産経とはソリが合わない。
天皇陛下が、韓国との国交断絶に賛成するわけがない。出来ないのだ。
だって、植民地統治のツケを、半永久的に、背負わされてしまったからだ。
おそらく、天皇陛下は、朝日の愛読者であり、産経には距離を置くだろう。
それが明治150年の後遺症なのである。
もし本当に、尊皇第一に考えるならば、明治の日本人は、戦前の日本人は、可能な限り、対外戦争を回避し続けねばならなかった。
負けたらもちろん、皇室に責任が及ぶ。
勝ったら勝ったで、皇室こそが敗戦国の恨みを買う。
どっちにしても皇室にはデメリットしかない。
しかも、勝てる見込みが全く無いと判っていた、アメリカ相手の開戦なんて、尊皇の精神があれば、たとえ国益を犠牲にしてでも、絶対にやってはいけなかったのだ。
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