退位後称号は「上皇」? 毎日新聞と日経新聞が同じ日に正反対の報道 (BuzzFeed Japan) - Yahoo!ニュース
2017年1月11日
天皇陛下の退位に関連し、退位後の呼称をめぐって毎日新聞と日経新聞が正反対の報道をしている。どちらも1月12日の1面で大々的に、そして正反対に報じた。「上皇」と呼ぶか、呼ばないかの違いだ。【BuzzFeed Japan / 籏智広太】
日経新聞は「天皇退位後『上皇』に」との見出しだ。一方の毎日新聞は「退位後称号『上皇』使わず 政府『前天皇』など検討」としている。(略)
政府は天皇陛下が退位した後の称号について、歴史的に使われてきた「太上天皇」と略称の「上皇」は使用しない方針を固めた。上皇が天皇より上位にあるとして政治に関与した歴史があり、皇位の安定性に懸念を抱かせる恐れがあると判断した。
2017年1月12日
政府は、天皇陛下が退位された場合、その後の呼称を「上皇(太上天皇)」とする方向で検討に入った。皇族としつつ皇位継承権は付与しない方針で、公務など活動のあり方が焦点となる。皇太子さまの即位後、皇位継承順位1位となる秋篠宮さまは「皇太子」の待遇とすることも検討。皇室予算の見直しも含め、20日召集の通常国会に提出する退位関連法案に盛り込む見通しだ。
皇室典範、というか近代天皇制が、さらに戦後天皇制が、積み重ねてきた「バグ」を、その場しのぎのパッチ処理でなんとかやり過ごそうという感が否めないわな。
天皇陛下退位後の称号で候補として話題 学校で学んだ「上皇」とは | THE PAGE(ザ・ページ)
2017.01.23
天皇陛下の「お気持ち」を受けた安倍首相の諮問機関「有識者会議」での検討が進むにつれ、退位が現実味を帯びてきました。退位後の称号をどうするのか? 政府内では、「上皇」が候補のひとつに挙がっているようです。
上皇は中学校の歴史で学びます。高校入試の頻出事項なので、多くの方は暗記すべき“受験用語”として記憶されているのではないでしょうか。ただ、承久の乱(1221年)をおこした後鳥羽上皇をはじめ、教科書でも内乱や政争と絡んだ記述が多いので、あまり良いイメージを持たれていないかもしれません。
日本国憲法では天皇に政治的権力はありませんが、こうした負のイメージを理由に、専門家の間からは「上皇」という称号に後ろ向きの意見も出ているようです。(略)
上皇と天皇の確執が、武士の台頭を招いた?
(略)
上皇が朝廷の没落を招いた?(略)
韓国人が、日本統治時代を全面否定するのは、歴史的に本当に、良いところが何一つ無かった空前絶後の暗黒時代だった、というわけではなく、戦後の韓国がそういう反日イデオロギー教育を続けた結果である、とネトウヨが主張するけれど、確かにそれは、琉球人から見ても、ほぼ正しい認識だと思う。
それが証拠に、日韓併合と、ほぼ同時代に、ほぼ同じように、琉球処分されて、占領・統治されたのが、われわれ琉球である。
で、明治から昭和初期まで、沖縄戦までの間が、琉球の最低最悪の暗黒時代か?、と言えば、そんなことはないからだ。
琉球処分~沖縄戦までの、第1次ヤマト統治時代は、琉球が初めて近代化した時代でもある。もし、近代化が良いことならば(これは思想的になかなか難しい「仮定」だが)、もちろんヒドイ目や差別が全くなかったわけではないが、相対的に良い時代だったのである。
まったく同じく、日本統治時代は、朝鮮半島近代化の時代であり、もし、近代化が良いことならば、もちろんヒドイ目や差別が全くなかったわけではないが、相対的に良い時代だったのである。
私は、ネトウヨだからといって、その主張を全部が全部、否定したりはしない。認めるところは認める。
ただし、ネトウヨのウンコな部分は「それは食べ物ではありません。味も判らないくせに、無理やり美味しそうに食べないでください」と、ご助言申し上げるだけのことだ。
たとえば、いくら近代化してくれたからといっても、歴史的に、文化的に、日本と朝鮮が同じ「クニ」にはならなかったように、残念ながら、日本と琉球も同じ「クニ」にはならない、というだけの話だ。しょうがないもんはしょうがない。
さて、日本人に上皇や院政には良いイメージがない、というのも、まったく同じで、玉(ぎょく)=天皇を握った薩長が、その権威の分散を阻止するために、終身在位を導入し、歴史教育でも、院政時代を不当に低く評価してきた結果だ。
「天皇と上皇が両立すると、天皇制の権威が混乱する」というが、
上皇のいないバリバリ天皇親政の時代だって、天智天皇の息子・大友皇子=弘文天皇と、皇弟・大海人皇子=天武天皇は、武力衝突して大規模な内乱「壬申の乱」を引き起こしている。.
上皇がいようがいまいが、皇位継承の暗闘・混乱・内乱は普通に起こるのだ。
そもそも、現に、目の前で、現在進行形で、上皇がいないのに、皇位継承の不安定でゴタゴタが起こってるじゃないか(笑)。上皇と不安定は無関係なのである。
だいたい、もし院政がそんなダメダメなシステムならば、なんで、日本史上、一番長く続いたのか?
承詔必謹平成玉音放送~親政200年、摂関200年、院政800年、明治75年、戦後75年~院政復古の大号令。 #生前退位 - 在日琉球人の王政復古日記
大雑把に
古代天皇親政:約200年、
母系摂関時代:約200年、
父系院政時代:約800年、
明治天皇制:約75年、
戦後天皇制:約75年、
となる。
天皇制の歴史、すなわち、日本史の、半分以上は、上皇のいた時代、院政の時代なのである。天皇制の歴史は院政の歴史といっても過言ではない。
つまり院政は、言い換えれば「生前退位」は、天皇制にとって、いや天皇個人にとっても、都合のいい、相性の良いシステムだったのだ。
映画「十三人の刺客」(東映1963)~勤労天皇制~今上天皇 #生前退位 #譲位 より #日本会議 の不敬な主張の方が正しい。 - 在日琉球人の王政復古日記
前近代の天皇が生前退位=譲位するのは、大きく2つの理由からだ。
一つは、自分の意中の皇子に確実に皇位継承するためだ。
平成と異なり、前近代は一夫多妻制なので、一人の天皇が複数の妻を持ち、腹違いの複数の皇子がいるのが通常だった。そして必ず長子相続・本妻優先と決まっていたわけでもない。
というより、天皇ご本人が皇位を継がせたいと思う意中の皇子が、中宮=本妻の長男ではなく、メカケの次男坊ということも普通にある。
天皇ご自身が長子相続を守ってないのだから、母親の出身つまり母系姻族の政治権力によって、たとえメカケでも、次男三男でも、皇位が左右されるのが当たり前だった。
仮に、意中の皇子を東宮に就けておいても、遺言で念押ししても、崩御した後のことは、現人神といえどもどうにもできない。
だから自分の死後に政変が起きて、意中の皇子が廃嫡される可能性は十分すぎるくらいある。
つまり、皇位継承に自分の意思を確実に通すなら、目の黒い内に皇位継承する必要があるわけだ。よって生前退位が当たり前だったのだ。
もう一つは、成仏するためである。
明治になって神道が前面に押し出されるようになったが、中世の天皇を見れば、明らかに神道より仏教の影響の方が大きかった。
中世の神道は仏教と混交して、広い意味で仏教信仰の一部になっており、単独の信仰とはとても言えなかった。中世の日本は皇室も含め仏教国だったのだ。
仏教の理屈でいえば、生きてる内に仏門に帰依し出家しないと、天皇といえども、成仏の可能性がグンと下がることになる。しかし現役の天皇は出家できない。だから生前退位する必要があった。
今上陛下生前退位は、東宮殿下皇位継承となるのだが、じゃあ次の東宮は?となれば、敬宮愛子内親王殿下ではなく、秋篠宮殿下となる。
で、ややこしいのが「皇太子」という敬称だ。本来は文字通り「天皇の子供」を意味する。秋篠宮は、東宮の弟であって、子供ではないから、皇太子は不正確になる。
しかし、昔だって、必ず子供が継いだわけではなく、弟が継ぐことも多々あった。じゃあ「皇太弟」か?、といえば、そういう呼び名もあったが、通常は、兄が弟を「子供に直した」。つまり猶子≒養子である。
ところが、江戸時代までは、皇位だけでなく武家でも町家でも普通だった猶子制度も、戦後は馴染みが無くなり、今になって、秋篠宮を東宮の猶子にするのも、世情には違和感があるだろう。
じゃあ、どう呼ぶのか? 「皇太弟」か?「皇太子待遇」か?
どうせ、猶子制度が無くなったんだから、子供限定の名称「皇太子」という名称もやめればいい。
皇室典範で使ってる名称があるんだから、子供でも、弟でも、息子でも、娘でも、皇位継承者は「皇嗣」で統一すればいいじゃん。
承詔必謹平成玉音放送~親政200年、摂関200年、院政800年、明治75年、戦後75年~院政復古の大号令。 #生前退位 - 在日琉球人の王政復古日記
「皇太子」という名称も、事態をややこしくするだけで、現状に合わない。
常時、皇太子が成立するのは、直系男子がたくさん生まれる環境のみである。
そんな環境は、一夫多妻でないと成立しない。御側室を置けない現在、皇太子がいない可能性は五分五分なのである。
今後、弟や甥に皇位継承する可能性が増えるし、だからと言って皇太弟だの皇太甥だの名称を増やすのも不合理だ。ワンポイントにしろ、娘、妹、姪だって可能性はある。
いっそ皇室典範の「皇嗣」を正式名称にして、長男だろうが、弟だろうが、甥だろうが、孫だろうが、女性だろうが、皇位継承第1位は「皇嗣摂政殿下」でいいではないか。
「天皇」、「院(上皇)」、「皇嗣摂政」の三位一体。
増加する御祭祀・御公務の分散処理こそ、天皇制長期継続のためだと愚考するが、ヤマトの皆さんは如何?
上記ブログを書いてから、少々考え方も変わった。
上皇も、イメージが悪いのならやめればいい。
というか、この際、一気に、皇室に残存する、支那風=チャイナっぽい名称を一掃したらどうだろう?
上皇だって、天皇だって、皇太子だって、漢字なのである。つまり支那文字だ。支那文化であり、支那思想だ。支那ならぬ「やまと」として、これでいいのか?
頑固な民族派右翼の中には「天皇陛下万歳(テンノウヘイカバンザイ)」という言葉すら、支那臭い、と避ける者がいる。代わりに「皇尊弥栄(すめらみこといやさか)」と「訓読み=やまとことば」で讃える。
まあ、漢字を全廃することは、日本語として不可能でも、「音読み=支那読み」をなるべく排除することは可能だろう。
だから、上皇はやめよう。皇太子もやめよう。
いっそ「テンノウ」もやめればどうか?
かわりに「みかど」とお呼びすればいいのである。「おかみ」も可だ。
天皇という漢字は廃止できなくても、読みを「テンノウ」から「みかど」に変えればいい。こっちの方が言葉の響きが優雅ではないか?
皇太子も、漢字は皇嗣に変えて、読みも「ひつぎ」の方がみやびでよい。
上皇は難しい。「さきのみかど」となるのだろうが、みかどが複数いるのがイヤなら、ここは妥協して、音読みだが「ゐん(院)」でどうか?
「みかど」と「ゐん」を間違える人もおるまい。
テンノウ、上皇、皇太子には、陛下、殿下、が必要になるが、
「みかど」「ゐん」「ひつぎ」なら陛下殿下も不要である。
中国製品から、クールジャパンへ。
正しいかどうかは別にして(笑)、時代の風潮にも合っているではないか?
土人も、土人なりに、宗主国の国難に、無い知恵を絞っているのである。
今上陛下→いちのゐん(一院)、皇后陛下→半蔵門院、東宮殿下→みかど、雅子様→中宮、秋篠宮殿下→ひつぎ(皇嗣)。 - 在日琉球人の王政復古日記
(まとめ)琉球人から見た天皇制。 - 在日琉球人の王政復古日記