在日琉球人の王政復古日記

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肌の色~「大坂なおみ嬢の自由」は大坂なおみ嬢の所有物だが、「大坂なおみ嬢の人権」は大坂なおみ嬢の所有物ではない。

大坂なおみ、アニメCMの肌の色に言及「次に私を描く時には私にも話してほしい」 - スポーツ - SANSPO.COM(サンスポ)

2019.1.24
 テニスの女子シングルスで世界ランキング4位の大坂なおみ選手(21)は24日、所属契約を結ぶ日清食品ホールディングス(HD)の広告動画に登場する自身のアニメキャラクターが実際よりも肌の色が白く表現されているとの議論が起き、日清食品HDが動画を削除したことを受け「私が褐色なのは明白。意図的にホワイトウオッシュ(白人化)などがされたわけではないと思う」と話した。
 メルボルンで開催されている全豪オープンで同日、準決勝に勝った後の記者会見で報道陣の質問に答えた。大坂選手は日清食品HDから謝罪があったことを明らかにし「次に私を描く時には私にも話してほしい」と語った。大坂選手は北海道出身の母、環さんとハイチ出身の父、レオナルドさんの間に生まれた。(共同)

 

大坂なおみ、アニメ動画批判「なぜ騒ぐ?」 逆質問も - 一般スポーツ,テニス,バスケット,ラグビー,アメフット,格闘技,陸上:朝日新聞デジタル

2019年1月24日
 テニスの全豪オープンで決勝に進んだ大坂なおみは、準決勝後の会見で、スポンサーの日清食品グループが、自身を起用したアニメ動画広告の肌の色を実際より白く描いたことについて批判を受け、動画を削除したことについて、海外メディアから見解を問われた。初めて質問を受けたといい、「たくさんの日本人記者がここにいるから聞いてみたら?」と逆に質問。「なぜ多くの人が騒いでいるのか分からない。この件についてはあまり関心が無いし、悪く言いたくない」と話した。

 

そもそも日清食品は、黄色人種(笑)の会社であり、ナチスでもKKKでもないんだから、肌の色で、有色人種を侮辱する意図なんかあるわけがない。

ホワイト・ウォッシングは、悪意無き、単なるチョンボである。

 

大坂なおみ嬢は、人間なので、「自由」を持つ。

大坂なおみ嬢は日清食品の「白肌チョンボ」 に怒り狂う「自由」を持つ。

大坂なおみ嬢は日清食品の「白肌チョンボ」 に無関心である「自由」を持つ。

どっちでも、 大坂なおみ嬢の「自由」である。

大坂なおみ嬢は、自分の「自由」を放棄する「自由」すら持つ。

 

しかし「肌の色」は、「自由」だけの問題ではない。「人権」の問題でもある。

 

日清食品大坂なおみ嬢を、真っ白に描こうが、真っ黒に描こうが、真っ赤に描こうが、金色で染めようが、虹色にしようが、日清食品の「表現の自由」だ。

日清食品が、大坂なおみ嬢の肌の色を勝手に変更することは、日清食品の「自由」ではあるが、大坂なおみ嬢の「人権」とは衝突する。

 

大坂なおみ嬢は、近代人なので、「人権」がある(←持つ、ではない)。

大坂なおみ嬢は日清食品の「白肌チョンボ」 に怒り狂う「人権」はある。

しかし、恐るべきことに、大坂なおみ嬢は日清食品の「白肌チョンボ」 に無関心である「人権」はない。

大坂なおみ嬢の「人権」は、大坂なおみ嬢の「自由」ではない。

大坂なおみ嬢は、自分の「人権」を放棄する「自由」を持っていない。

 

もちろん、大坂なおみ嬢の「人権」は、日清食品の所有物ではない。

そして、大坂なおみ嬢の「人権」は、大坂なおみ嬢の所有物、ですら、ない。

じゃあ、誰のモノなのか? 「天賦人権」だ。

大坂なおみ嬢の「人権」は神のモノ、

フランス革命的に言えば「最高存在」のモノ、

ルソー的に言えば、人間を超越した「一般意思」の専権事項なのだ。

 

アイドルは人権思想【と】闘う。 - 在日琉球人の王政復古日記

そう、ここで「人権」と「自由」が対立するのだ。

普段、われわれは人権と自由を一緒くたに扱うことが多いが、人権と自由は異なる。

 

自由とはまさしく個人のモノである。 
乃木坂松村某やAKBゆきりん某の自由は、誰のモノでもない、乃木坂松村某やAKBゆきりんだけのモノだ。 
たとえば、他人である秋元某が、「彼女たちの自由を制限する(=恋愛禁止)」ことは許されない。 

しかし彼女たち本人だけは「自己の自由を制限する(=恋愛禁止)」自由すら持つ。

 

しかし、対して、人権は「普遍的」なモノであり、個人のモノではない。 
彼女たちの人権は、他人のモノでもないし、実は、彼女たち本人のモノですらない。 
たとえば、他人である秋元某が、「彼女たちの人権を制限する(=恋愛禁止)」ことは許されない。
さらに彼女たち本人も「自己の人権を制限する(=恋愛禁止)」人権なんかは持ってない。

 

「自分の自由を制限する自由」は存在しても、

「自分の人権を制限する人権」は存在しない。

自由は文字通り自由にできる。しかし人権は自由にできない。 

自殺する自由はあっても、自分を殺すことを人権は許さない。

 

フランス革命以前、王様や貴族は権力と金の力で好きなことができた。つまり自由を持っていた。しかし王様も貴族も(まだ発明されていない)人権は無かった。

21世紀、貧乏人は世界中に山のようにいる。金も力も無い彼らに自由は無い。しかし人権は(たとえ本人が拒否しても)ある。

 

自由は私のモノだが、人権は私のモノではない。じゃあ誰のモノだ? 
神のモノだ。天のモノだ。つまりは「天賦人権」である。

 

しかし神は語らず、天は沈黙のままだ。神に代わって、天に代わって、地上の代行者が出てくる。国家である。下手をすれば共産党だ。 
自由は共産主義強制収容所に結びつかないが、 
人権は共産主義強制収容所に結びつく可能性を持っている。 
これがフランス革命の生んだ人権という魔物の恐ろしさなわけだ。

 

ゆえに

大坂なおみ嬢本人が『気にしない』と許したんだから、イイじゃないか」

とはならない。

大坂なおみ嬢の「人権」の決定権は、大坂なおみ嬢には無いからだ。

大坂なおみ嬢が許しても、最高存在=一般意思=近代が許さないのである。

 

近代とは、人権とは、恐ろしいモノなのだ。

 

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