在日琉球人の王政復古日記

NATION OF LEQUIO

(その1)日本の #サンタクロース たち~世界の #なまはげ #獅子舞 兄弟~クリスマス・冬至・正月・春節の来訪神。

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寒いねえ。大変だった今年も終わる。皆さんはクリスマスをどなたとお過ごしだろうか?

 

さて、なぜ、1年の終わり=始めは冬なのか? 

夏じゃダメなのか? なぜ冬で区切るのか?

 

前々からご案内しているように、このブログには

政治思想は、右翼(保守)と左翼(リベラル)の2つじゃなく、ネオリベ(自由/資本主義)、ソシアル(平等/社会主義)、コンサバ(仁義/保守主義)の3つある。

この3つは悪でも善でもない。人間が人間である限り、流行は変わっても、3つとも滅びることはない。

という政治への考え方の大原則(イデオロギー)がある。

 

ネオリベVSソシアルVSコンサバ~現実的な政治路線は「3つ」しかない。あるいは「3つ」もある。 - 在日琉球人の王政復古日記

 

同じように、

人間=ホモ・サピエンスに多様性はほとんど無い。
人間は、通時的(歴史的)ではなく、共時的(同時代的)である。 

という歴史への考え方の大原則(イデオロギー)がある。

 

たとえば、16世紀の織田信長と21世紀の令和日本人は、同じ日本民族だとしても、話が通じない。言語という意味ではなく、心が通じない。

 

織田信長に比べれば、21世紀の日本人と21世紀のイギリス人と21世紀のインド人(※注)の方がはるかに話が通じる、心が通じる、ということだ。

※注:インドは広いので、近代化がまだまだな田舎もあるだろうから、一応大都市中産階級としておこう。

 

それは他の時代も同じく(もちろん地域によって100年200年のズレはあるだろうが)、16世紀の織田信長と16世紀のシェイクスピアと16世紀のムガル帝国バーブル皇帝の3人同士の方が、われわれよりも、よっぽど話が通じる可能性が高い。

 

「所変われば品変わる」という諺がある。

言い換えれば、所(場所)が変われば、品(モノ)は変わるけど、人(ココロ)は変わらない、ということでもある。

昔の日本人は米の豊作を祈った。昔の遊牧民族は羊の多産を祈った。

場所によって、欲しい物は変わるが、欲しい気持ちは変わらないのである。

どんな場所でも、穀物や家畜の不作を願う人はいない。

 

人間=ホモ・サピエンス【多様性の欠如】は恐ろしいくらいだ。

  

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冬は寒い。太陽が遠くなり、生命活動が低下する。世界が老いて死んでいく。

しかし徐々に暖かくなり、雪が溶け、花が咲き、春が来る。世界は復活する。

ただし来年も同じように復活する保証はどこにもない。

夜眠る時、明日の朝に再び陽が昇るかどうかわからない。

人々は不安になり、生命活動を復活させるために、春を呼ぶために、神≒自然に祈る。世界中同じである。

 

1年の終わり、冬至旧正月春節、クリスマスは、だいたい同じ時期だ。

この時期に世界中の人間が「来訪神」を迎える。

 

「来訪神」というとピンと来ないかもしれないが、要は彼だ。 

 

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サンタクロース(20世紀・資本主義諸国)。 

 

元になったのが彼だ。

 

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聖ニコラウス(4世紀・小アジア(トルコ))。

 

でも、彼から始まったのではない。もっと前から、それぞれの場所に「冬にやって来る来訪神」はいた。

キリスト教が布教されると、キリスト教以前の習俗・信仰とぶつかる。

あまりに異物な要素は呑み込めないが、呑み込める場合はキリスト教に取り込む。

畿内大和朝廷が、出雲の大国主命を呑み込んで、自分たちの神話にしたのと同じだ。

 

サンタクロースはキリスト教に呑み込みやすいように姿かたちを変えたが、キリスト教以前の古代の姿のまま残ったものも多い。

ヨーロッパ、特に中欧・ドイツ語圏には、冬に聖ニコラウスと一緒に、こういう来訪神がやって来る。

 

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クランプス(中央ヨーロッパ・主にドイツ語圏)。

 

キリスト教の聖人は素行の良い子供たちに祝福を与えるが、クランプスは素行の悪い子を脅して罰する。

素行とは、お父さんお母さんの言うことを聞く、家の仕事や農作業を手伝う、ということだ。

子供=共同体の新規メンバーに「村のオキテ」を叩き込む。勝手なことをされたら、共同体の経済活動が崩壊するからだ。

 

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冬にやって来て、子供たちを脅す。日本人も何やら聞いたことがある。これだ。

 

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ナマハゲ(日本・秋田・男鹿)。

 

「悪い子いねーか」「泣く子いねーか」、ドイツ語で何と言うのかは知らないが、ナマハゲとクランプスは全く同じだ。

ナマハゲがキリスト教に関係ないように、クランプスもキリスト教に関係ない。キリスト教以前の習俗だ。

秋田のナマハゲがドイツに渡ってクランプスになったわけでも、ドイツのクランプスが秋田に渡ってナマハゲになったわけでもない。

日本人(当時の東北を日本と呼んでいいのかどうかは微妙だが)とドイツ人(こっちも同じ)は、同じようなことを考えたわけだ。

大昔の秋田人を当時のドイツ語圏に連れて行っても、羊肉とチーズのシチューは口に合わないだろうが、クランプスが子供たちにいったい何をやっているのか?は、すぐに理解しただろう。

16世紀の織田信長と16世紀のシェイクスピアは話が通じるのである。

 

来訪神は歳神/年神ともいう。暦と関係する。冬とは限らないが、季節の変わり目にやって来る。

来訪神は異人、旅人、マレビト(稀人/客人)でもある。共同体は食事や酒を饗応してもてなす。

中には、妻や娘と同衾させて、子種を授かることもある。閉鎖された共同体の場合、近親婚が多いので、優生学的意味合いもあるのだろう。

マレビトを歓待すると福や財を授かるが、拒否したり粗末に扱ったりすると福が逃げたり財を失ったりする。

「座敷童子」は、岩手県だけの話ではない。日本中にある。中国四国なら「犬神」も同じだ。もちろん日本だけでなく、世界中にある。ホモ・サピエンスに多様性は無いのだ。

コロナ同様、異人歓待は伝染病の危険もあるが、遺伝子や財をもたらす存在、または、虐待すると復讐に来る祟り神でもある。

ただ、歓待すれば良いことがある、という説教がわざわざ残っているということは、現実には、他所者がやってきても拒否したり、殺したりすることの方が多かった証拠だ。

 

こんなサンタクロースの「兄弟たち」は、世界中に、日本中にいる。

 

(その2)日本の #サンタクロース たち~世界の #なまはげ #獅子舞 兄弟~クリスマス・冬至・正月・春節の来訪神。 - 在日琉球人の王政復古日記

に続く。