立花隆さん、取材後着信「立花です。またよろしくね~」心に響く「知の巨人」の優しさ…記者が悼む : スポーツ報知
2021年6月24日
戦後ジャーナリズムに大きな足跡を残した評論家・ジャーナリストの立花隆(たちばな・たかし=本名・橘隆志)さんが4月30日午後11時38分、急性冠症候群のため死去していたことが23日、分かった。80歳。
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そして「あなたが存在することに誰も関心がない、なんて人生はそんなにはない」と深遠な言葉を言った。
さらに続ける。「スポーツか…文春社員の時代ね、ジャイアント馬場との『この人と一週間』っていう取材は、初日に『ボク、この人はムリ!』って放り投げたなあ。代わりに行った三田佳子の取材は、移動中の車がびょ~んとひっくり返って田んぼに落ちちゃったんです。もう時効でしょ」。知られざる原点を知った。
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訃報を読んで、書こうと思って、忘れていた。
昭和プロレスファンにとって、 立花隆の名前はこの発言で記憶されている。
「私はプロレスというのは、品性と知性と感性が同時に低レベルにある人だけが熱中できる低劣なゲームだと思っている。そういう世界で何が起きようと、私には全く関心がない。もちろんプロレスの世界にもそれなりの人生模様がさまざまあるだろう。しかし、だからといってどうだというのか。世の大多数の人にとって、そんなことはどうでもいいことである」
私は、元・プロレスファンだが、立花隆も嫌いじゃない。
「中核 vs 革マル」「日本共産党の研究」は愛読した大好きな本。
彼の関心領域「宇宙」「脳死」「サル学」も私の趣味と重なる。
ただ、一番の仕事「田中角栄」は、読もうと思うほどの興味は無かった。
で、彼のプロレス評・プロレス感を読んで、「そりゃ、そうだろうなあ」と思い、怒ることはなかった。
もちん、批判はできる。
「そういう世界(宇宙の世界、サルの世界)で何が起きようと、私には全く関心がない。」
「だからといってどうだというのか。世の大多数の人にとって、そんなこと(宇宙、サル)はどうでもいいことである」
立花隆は、宇宙やサルに興味があり、彼の人生の大事な一部分である。
プロレスファンは、プロレスに興味があり、彼の人生の大事な一部分である。
しかし、宇宙も、サルも、プロレスも、興味がない人にはどうでもイイ話だ。
「プロレスというのは、品性と知性と感性が同時に低レベルにある人だけが熱中できる低劣なゲーム」
「宇宙とサルというのは、品性と知性と感性が同時に高レベルにある人だけが熱中できる高級なゲーム」
それでイイじゃないか。低劣も、高級も、脳死したら、同じだ。
ただし、報知の記事「あなたが存在することに誰も関心がない、なんて人生はそんなにはない」というセリフは、プロレスには適用されないのか?と思うと、少々寂しい(笑)。
報知の記事にもあるように、立花隆は、文藝春秋に入社するが、興味がないプロ野球の取材に回されて、すぐに退社した。「ナンバー」が出版されるずっと前だ。
立花隆はプロ野球に興味が無かった。そりゃ、プロレスの価値を認めないのも当たり前である(笑)。
なぜ、立花隆はスポーツに興味がないのか?
なぜ、立花隆は角栄、共産党、宇宙、サル、脳死に興味があるのか?
立花隆は「ノンフィクション=現実」に興味があったのだ。
角栄は、銀行を動かし、高速道路を作り、工場を立て、賄賂を貰う。
長嶋や王がホームランを打とうが、巨人が優勝しようが、自動車1台も製造しない。
スポーツは、ノンフィクション=現実から遊離したフィクションの世界なのである。
モノを生産しない。人の心を動かすだけだ。
モノを生産しない、という意味では芸能も同じである。虚業だ。
プロレスは、ノンフィクション=現実から遊離したフィクション=スポーツを、さらにフィクション=ケーフェイにした「二重のフィクション」つまりメタフィクションの世界であり、「虚業の虚業」である。立花隆からは、宇宙よりも遠い。
ご冥福をお祈りする。
「そっち」にいる田中角栄、ジャイアント馬場によろしくお伝えください。