在日琉球人の王政復古日記

NATION OF LEQUIO

日米安保条約VS日本国憲法~砂川判決。禁酒法。統治行為論。日本司法の野合。

アメリカ合衆国憲法

修正第18条 第1節 本条の承認から1年を経た後は、合衆国及びその管轄権に従属するすべての領土において、飲用の目的で酒精飲料を醸造、販売若しくは運搬し、又はその輸入若しくは輸出を行うことを禁止する。

修正第21条 第1節 合衆国憲法修正第18条は、ここにこれを廃止する。

 

非常に危険である。

あ、危険といっても「軍国主義だ!」という方面の危険ではない(笑)。

自民党は、どうして、そんなに簡単に「安請け合い」ができるのか?

 

「憲法解釈の最高権威は最高裁」 自民・稲田氏:朝日新聞デジタル

憲法解釈の最高権威は最高裁憲法学者でも内閣法制局でもない。最高裁のみが憲法解釈の最終的な判断ができると憲法に書いている。

  

 安保法制 高村氏「老兵」の矜持 「100の学説より1つの最高裁判決」持論で反論 (産経新聞) - Yahoo!ニュース

 高村氏の理論は国会議員憲法尊重義務を負い、憲法は最終的な違憲審査権を最高裁判所のみに認めるとしたうえで、(1)最高裁は昭和34年の砂川事件判決で「わが国が平和と安全を維持し、存立を全うするために必要な自衛の措置を取り得る」と規定(2)国際情勢の変化で「必要な自衛の措置」に集団的自衛権も入るようになった-というシンプルなものだ。

 

立法府を止められなかった反対派が、今後は司法に訴える可能性が高い。

 

もしも、韓国の事例のように、最高裁が、政権の意向に逆らったら、集団的自衛権違憲と判決したら、自民党はいったいどうするつもりなのか? 即座に安保法案を廃案するのか? 

 

日韓基本条約VS大韓民国憲法~仏像、慰安婦、徴用工、個人請求権。韓国司法の逆襲。 - 在日琉球人の王政復古日記

の続き。

 

判決が出る前に、「100の学説より1つの最高裁判決」なんて大見得切ったら、「裁判所は違憲というけれど、たくさんの国際政治学者は合憲と言ってます!」なんて反論は不可能になる。

 

どうして自民党は自信満々なのか? 司法が自分たちを裏切らないと確信があるのか? 

そう、確信があるのだ。そして、それは事実でもある(笑)。

 

日本の行政(つまり自民党と官僚)と司法は、多少の対立はあっても、最終的にはツーカーである。

ぶっちゃければ、よっぽど無茶苦茶な行政で無い限り、下級審は別にしても、最高裁は常に自民党と官僚の味方だ。

なぜなら、立法、行政、司法のトップの面々は日本のエスタブリッシュメント(支配階級)として利害が一致しているからだ。

自民党長期政権、どころか、明治以降100年以上連綿と続く政治の人事的安定によって、日本の政治は、戦前と戦後の断絶すらなく、常に同じメンバーで担われてきた。 

 

彼ら、明治以降の日本エスタブリッシュメントの基本方針は、基本的にずっと「対英米協調」であり、特に戦後は「親米」に傾倒する。

これは皇室も同様であり、というより、近代天皇制こそがずっと英米協調・親米なのだ。そもそも近代天皇制とはそういう立場なのだ。

天皇制が欧米対抗・自主独立なんていうのは、残念ながら、小林よしのりみたいな右翼の片思いである。

逆に、昭和初期から大東亜戦争までの鬼畜米英のほうが、日本のエスタブリッシュメントとっては不本意な例外事態だった。だから彼らは「日本のいちばん長い日」を実行するのである。

 

昭和天皇を含む日本の統治機構の面々、行政も司法も、戦後日本のエスタブリッシュメントの基本は「親米」だ。

アメリカだけには逆らわない。アメリカだけとは常に友好を結ぶ。

 

ゆえに、日本国憲法の上位には、もう一つの基本法日米安保条約」がある。

日本国憲法が、日米安保条約を、規制する、のではない。

日米安保条約が、日本国憲法を、規制するのだ。

 

日米安保条約の精神に反しない範囲で、日本国憲法は運用される。

安保条約が、憲法9条違反なのではない。

憲法9条2項の方が、安保条約「違反」なのである。

 

言い方を変えれば、安保条約は「日本国憲法修正条項」であり、9条は冒頭で示した「禁酒法」みないなものだ。

アメリカ憲法修正21条が、修正18条を廃止したように、

安保条約が、憲法9条2項を廃止したのだ。

 

典型例が、自民党が持ち出す「砂川判決」である。

判決の意味を簡単に言えば、日本の司法は、日本の行政の邪魔をしない。アメリカの日本における政治軍事活動の邪魔はしない。つまり司法と行政のツーカーということだ。

 

なんだかズルイ感じもするが、これには中立的客観的、国民主権からの民主主義的な理屈はある。

三権というが、立法と行政は選挙があるのに、司法だけは「国民が選んでいない」という特殊性がある。これはこれでまた理屈がある。ズバリ国民の暴走・衆愚を防ぐためだ。もし司法を国民に選ばせると「むかつく連中をリンチにかけろ」を合法化してしまう。

 

司法は「民主主義の危険」から隔離された治外法権。 - 在日琉球人の王政復古日記

 

理由はともかく、三権のうち、司法だけは「非・民主的」であり、そんな非民主的機関が、民主的に選ばれた立法行政の行為の妨害をするのは国民主権に反する、特に外交や安全保障などの高度な政治判断は司法が介入するべきではない、ということだ。

よって安全保障と外交に関わる砂川事件で、司法は事実上判断を放棄したわけだ。

理屈はそうでも、政治的には司法が行政(=自民党=アメリカ)をサポートしたのである。

 

砂川事件は戦後の話だが、裁いた田中耕太郎裁判長は明治の生まれ。戦前の教育を受け、戦前の司法でメシを食ってきた人物である。彼が戦後憲法日米安保より優先する義理はなにもない。 

特に田中耕太郎は、反共・親米のクリスチャン。

麻生太郎さんがそうであるように、日本のエスタブリッシュメントにはキリスト教徒が意外に多い。そして彼らはなにかと皇室に関わる人脈だったりする。

庶民レベルの右翼とは違って、皇室と日本上層部のキリスト教徒はイロイロ深い関係があるのだ。

 

いくら最高裁長官が頑固でも、日米友好を願う「畏れ多いスジ」から阿吽の呼吸で「頼む」と言われれば、アメリカ関連の司法判断は、事前に予想がついてしまうのである。