1995年10月4日、「新世紀エヴァンゲリオン」放送開始。
キーワードで見るオウム20年(2015年5月16日(土)掲載) - Yahoo!ニュース
その男が隠れていたのは、山梨県旧上九一色村にあったオウム真理教の第6サティアンの「隠し部屋」でした。その男とは、地下鉄サリン事件など数々の凶悪事件を引き起こしたオウム真理教の教祖、麻原彰晃(本名・松本智津夫)死刑囚。1995年5月16日、松本死刑囚は突入した捜査員によって逮捕されました。あれから20年。
戦後日本のサブカルチャーを10年刻みで表現するならば。
1960年代は「ソーシャリズム=社会主義」への夢があった時代である。
学生も労働者もデモをやっていた。いわゆる「60年安保」だ。
1970年代もその余波は続き「70年安保」と呼ばれるが、安田講堂が「落城」し、連合赤軍事件が発生し、社会主義への夢は壊滅する。
リンチせし者ら自ら総括す檸檬の滓を搾るがごとく(死刑囚坂口弘)~平成未成年リンチ殺人=昭和連合赤軍。 - 在日琉球人の王政復古日記
棺一基四顧茫々と霞みけり(東アジア反日武装戦線大道寺将司死刑囚)~”I Love MCR”マンチェスター・イスラム自爆テロ - 在日琉球人の王政復古日記
「安保」という表現は、一般的には、60年代、70年代で終わるが、もしサブカルチャーのトレンドを「安保」と表現するならば、それぞれの時代に「安保」はある。
社会主義が終わった後の1980年代、つまり「80年安保」とは、ずばり「キャピタリズム=資本主義」革命闘争であった。
今ではとても考えられないが、就職活動は超売り手市場。学生は神様、企業は土下座だった。
丸井、西武セゾンが象徴する消費資本主義全面肯定、プラザ合意、円高、バブル景気、地価も株価も天井知らず、ジャパン・アズ・ナンバー1、、、おそらく有史以来、日本人がもっとも幸福だった、不安が少なかった、爛熟の10年であった。
資本主義革命「80年安保闘争」~ #SEALDs の先輩はキャピタリズム革命の戦士だった。 - 在日琉球人の王政復古日記
東宝フジテレビ映画「私をスキーに連れてって」(1987)~「あこがれ」から「ボクたちの日常」へ。そして。 - 在日琉球人の王政復古日記
飛んで2000年代「00年安保」は「ナショナリズム」である。
2010年代「10年安保」もその余波でナショナリズムが続く。日韓関係、対支那関係はどこまでも悪く不安定だ。ただし、今のところ「ナショナリズム版連合赤軍事件」は発生していない(笑)。
60年安保、70年安保は「ソーシャリズム=社会主義」革命。
80年安保は「キャピタリズム=資本主義」革命。
00年安保、10年安保が「ナショナリズム」革命。
とすれば、90安保とは何か?
1990年代「90年安保」は、実は「オカルティズム」革命の時代だった。
90年代は、バブル崩壊=キャピタリズム敗北と、阪神淡路大震災の10年だった。
東京裁判より、こっちの「敗戦」の総括を!~NHK-BS 01/12(火)21:00〜「バブルへGO!! タイムマシンはドラム式」 - 在日琉球人の王政復古日記
バブル後/ネット前~東京は夜の七時(ピチカート・ファイヴ/1993)~留守番電話と潰れたレストラン。 - 在日琉球人の王政復古日記
その開始は、1989年の現人神・昭和天皇の崩御であろう。日本の「心霊空間」にぽっかり空洞が空いたのだ。
そこへ新たなオカルティズムが流れ込んでいった。オウム真理教も、アニメ「新世紀エヴァンゲリオン」もオカルティズム革命「90年安保」の象徴だ。
60年代、社会主義を信じ、その夢は連合赤軍が破った。
80年代、資本主義を信じ、その夢はバブル崩壊が破った。
90年代、行き場を失った日本人はオカルティズムに迷い込み、その夢はオウム事件が破った。
00年代、オカルティズムから追い出された日本人は、ナショナリズムに立て篭もる。
青林堂は日本を映し出す鏡~60年安保闘争「ガロ」(1964年)から、2010年安保闘争「ジャパニズム」(2011年)へ。 - 在日琉球人の王政復古日記
もちろん、これらは「サブ」カルチャーの話であり、日本の「メイン」カルチャーは戦後一貫して「日米安保」と「資本主義」である。
日本人は、新しい、しかし非常に取り扱い注意なオモチャ「社会主義」をもてあそんで、「連合赤軍」という陰惨な傷を負った。
「資本主義」というオモチャも加熱しすぎて「バブル崩壊」という大火傷を負った。
90年代、オウム真理教が登場した時、日本人は内心ではナメていた。ハッキリ馬鹿にしていた。面白半分で見ていた。
もともと戦後の日本人は基本的に宗教全般をホンキで信じなかったし、オウムはそれに輪をかけてどう見ても馬鹿馬鹿しかったからである。
だって、不精ヒゲの太ったおっさんが宙を浮き、象さんの帽子をかぶった集団が踊って歌って選挙に出るのである(笑)。
言い方は失礼だが、オウムは「マック赤坂」や「ふなっしー」と同じ扱いだったのだ。
しかし社会主義や資本主義が危険なように、オカルティズム=宗教はもっと危険だった。社会主義や資本主義はたかだか数百年、宗教はゆうに数千年である。年季が違う。
オウム事件の後、テレビや雑誌はオカルトモノや幽霊モノを自粛したが、喉元過ぎれば熱さ忘れる、それも長くは続かなかった。血液型占いに、星占いに、心霊写真に、パワースポット、メディアも消費者も何の反省もない。
パワースポット巡りと、おっさんの空中浮遊の間に、明確な境界線なんて無い。
本当の宗教であるはずの靖国神社のほうが、反対者も、実は支持者ですら【ホンキで霊魂なんて信じてない】単なる政治ゲームだから、まだ、危険性がないくらいである。
しかし、この世の中には「マック赤坂」や「ふなっしー」に命を賭ける人間が出てくるのだ。
アイドル応援やサッカー応援に年収をつぎ込み、挙句の果てに、ストーカー行為や暴力行為で逮捕される人間だっている。宗教であるオウムの危険は予測できていたはずなのだ。
そして、象さんの帽子をかぶって「ショーコーショーコー」と踊ってた連中が、世界史上初の化学兵器テロを引き起こした。
だから「ふなっしー」や、例えば、魚の帽子をかぶって甲高い声で喋る「さかなクン」は、本当は、恐ろしい存在なのである。
なぜなら、人間が恐ろしいからだ。