この白羽織の御仁だって、伝統作法に則り、天照皇大神、八幡大菩薩、春日大明神の三柱の御前で、継承盃を呑んだはず。
たとえ出自が朝鮮民族であっても。それがヤクザの世界だ。
合田一家トップ逮捕、強制執行妨害疑い : 最新ニュース : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)
福岡県警と山口県警の合同捜査本部は12日、指定暴力団合田一家(本部・山口県下関市)トップで総長の末広誠こと金教煥容疑者(74)(韓国籍)らを強制執行妨害容疑などで逮捕した、と発表した。
ほかに逮捕されたのは、合田一家本部長の朴鐘吉容疑者(55)(同)、下関市の建設会社役員佐藤嘉太郎被告(36)(威力業務妨害罪で起訴)ら6人。
ヤクザの世界に在日朝鮮人、在日韓国人が多いのは、日本の任侠渡世が、堅気の世間よりもはるかに民族差別・出自差別が少ない、本人の運と実力で出世できる、インターナショナルでリベラルなソサエティだからだ。
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今回の事件、総長の本名が金さんであることは、別に珍しい話でもなんでもないので、どうでもいい。
それよりも「合田一家」という看板の方がはるかに興味深い。
この合田一家は、先日までブログに書いていた、花魁ヤンキー成人式とも、歴史的に無関係ではない。
昔、石炭。今、成人式~花魁とヤンキーは北九州に残された最後の希望。 - 在日琉球人の王政復古日記
なぜなら、成人式の北九州と、合田一家の下関は、関門海峡を挟んで隣同士の間柄だからである。
今、ヤクザといえば、一番有名なのは山口組であろう。
しかしそれは戦後になってからの話で、戦前は違う。
戦前は、神戸で沖仲士を仕切っていた山口組より、合田一家そのもの、じゃなくて、合田一家の源流である下関の「籠寅組」の方が、東京まで勇名が鳴り響いた、西日本有数の金看板であり、はるかに格上だった。
今はもう取り壊して存在しないらしいが、一枚のレトロモダンは建物の写真がある。
http://www.jmam.net/b/kindai-k/simonoseki.htm
戦前の警察署。施工は(合田一家の前身である)籠寅組。
つまり、ヤクザが警察署の建設を請け負っていたのである(笑)。
暴対法の平成では考えられない。施行を依頼した山口県土木部が逮捕だ(笑)。
ただし、サイト主には申し訳ないが、「明治9年築」というのはいくらなんでも疑問だ。早すぎる。明治9年は廃藩置県後なんで山口県は存在したが、水上警察まで存在したかどうか? さらに籠寅組自体がまだ誕生してないはず。おそらく大正か昭和の間違いではないかと愚考する。
仮に、大正、昭和だとしてもスゴイ。この下関の土建屋さんは、西欧風ビル(ビルヂングか)を建設できるだけの技術的ノウハウを自分のモノにしていたのだ。
下関水上警察署は単なる一例で、籠寅組は、他にも下関を中心にした各地に、歴史上、建築文化上、貴重な文化遺産であるレトロモダンな建築物を多数残している。
つまり籠寅組は看板だけのインチキ建設会社ではない。
現在でいうのなら、超高層ビルだの海底トンネルだのを作れるくらいの高度なテクノロジーを持ったホンモノのゼネコンだったのだ。
しかも、同時に、自他共に認める、正真正銘のヤクザだった。
土木建築とヤクザは歴史の上で切っても切れない密接な関係があるのだ。
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籠寅組の親分・保良浅之助も、当時の著名人であり、ウラ歴史であるヤクザだけでなく、オモテの歴史にもちゃんと名前を残している。なぜなら戦前の帝国議会、衆議院議員のセンセイなのだ。
当時の九州若松(今の北九州市)には、吉田磯吉という、これまた九州どころか、日本有数の「ゴッドファーザー」がいた。
吉田磯吉こそ、平成北九州の花魁&ヤンキー成人式の諸君の大先輩である(笑)。
東京の中央政界も吉田磯吉の実力を無視できず、利用価値を大いに認め、当時の大政党・憲政会が迎え入れている。
北九州成人式の花魁&ヤンキーたちの大先輩~九州石炭マフィア吉田磯吉。 - 在日琉球人の王政復古日記
となると、憲政会のライバル立憲政友会も対抗馬として、下関の大親分・保良浅之助を、なんと、元帝国陸軍大将・田中義一内閣総理大臣御自らが三顧の礼を尽くしてまで、議会に迎え入れたのである。
今で言えば、安倍ちゃんが名古屋へ飛んで、6代目司忍組長に参院選出馬を要請するようなもんだ(笑)。
吉田磯吉も保良浅之助も、地元では知名度もあるし集票力もあるし、実業家で経済力も抜群だ。しかしそれだけではなく、やはり「暴力の保有者」であることが重視された。
当時の大政党は「院外団」という組織を持っていた。
議会の外から、選挙応援や選挙妨害や恣意行動や暴力行為で、議会運営に影響力を行使しようとした組織だ。つまり戦前からSEALDsはあったのだ(笑)。
冗談でもなんでもなく、ナチスの突撃隊と同じである。右翼も左翼も関係ない。ワイマール時代のドイツ社会民主党や共産党も突撃隊ソックリの私設軍隊を持っていた。
日本の戦後でも、共産党の民主青年同盟は、そういう役割を期待されていた。
安倍ちゃんのお祖父さん・岸信介も、安保闘争当時、関東のヤクザ、テキヤ、博徒を組織化して、左翼運動に対抗しようと計画していた。
吉田磯吉も保良浅之助も、東京の政権争いに利用されていただけではない。
ヤクザとしての勢力争いがやはり大きな理由だった。
九州から本州に進出しようとする吉田磯吉、そうはさせじと下関に鎮座する保良浅之助。
戦後の、箱根の関を越えようとする山口組、関東の利権を守る住吉会・稲川会みたいな暗闘は、当時もあったわけだ。
保良浅之助の籠寅組は、若松の吉田磯吉だけでなく、神戸の山口組とも対立した。
今の山口組は6代目だが、戦前の2代目組長・山口登は、この籠寅組と当時のJ-POP(笑)である浪曲興行のシノギで対立し、ついには浅草で籠寅組に襲撃されその傷が元で死んでいる。
この籠寅組VS山口組の抗争には、大阪の興行師「吉本興業」も関わっていた。
六代目山口組直参・極心連合会にケツ持ちしてもらっていた島田紳助は特殊でも異常でもナンでもない。芸人とヤクザ、昔なら当たり前の付き合いだった。
下関の籠寅組は、
西洋風ビルを建てる大手建設ゼネコンだった、
と同時に、国会議事堂周辺で暴れるSEALDsの先輩でもあり、
また、SMAPで騒動になってるジャニーズのようなエンタメ産業だったし、
そして、トラブルを暗殺で解決するヤクザだったのである。
在日がどうのこうのより、こっちの歴史の方がよっぽど面白いと思うけど、如何でしょうか?