在日琉球人の王政復古日記

NATION OF LEQUIO

「またも負けたか八連隊」~本来の大阪はヤクザ&ヨシモトではない~上品で軟弱な文楽人形浄瑠璃&宝塚歌劇。

そもそも大阪人自身こそが、自分たちの本来の性格・歴史を誤解しているのだ。

 

大阪人のカン違い~商業ブルジョア「細雪」から、吉本興業&山口組「岸和田少年愚連隊」へ~大阪VS沖縄琉球 #土人 - 在日琉球人の王政復古日記

の続き。

 

全国の平成の皆さん、昭和も後半の皆さんにとって、

大阪で盛んなエンタメ芸能と言えば、近年USJもあるが、まあ思い浮かぶのは吉本や松竹の漫才を中心とした「お笑い」だろう。

 

しかし、大阪のエンタメ芸能はお笑いだけではない。こういうのもある。

 

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100年の歴史を誇る、菫の花咲く頃の宝塚歌劇だ。

 

そして、戦後高度経済成長以前からさかのぼって江戸時代まで、関東人がイメージする「大阪特有のエンタメ芸能」と言えば、まずは「これ」だったのだ。

 

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文楽人形浄瑠璃である。

歌舞伎や落語は、上方にもあるが、江戸にもある。

しかし文楽に関しては、やはり大阪が中心地だった。

 

文楽といえば、一時期、橋下時代に、文楽に税金を使う使わないでもめたけど、橋下さんの他の分野の評価は別にして、あの時、「平成の新しい大阪」が、「江戸時代から昭和までの本来の大阪」を潰しかけたのだ。

自由市場優先のネオリベ思想から言えば、橋下さんが正しかったかもしれないが、歴史と伝統を保守する立場ならば、本来のオリジナルの大阪文化を滅ぼしかねない危機だった。

 

宝塚歌劇にしても、文楽人形浄瑠璃にしても、まあどう見ても、お笑い専門じゃないし、ガラの悪いヤクザテイストな娯楽でもない(笑)。

大阪のイメージとは、本来、こういうモノだったのだ。

 

《鉄》VS《ヅカ》~撮り鉄無間、乗り鉄天魔、スジ鉄亡国、蒐集鉄国賊。 - 在日琉球人の王政復古日記

 

宝塚歌劇を支えたのが、戦前の京阪神モダニズム

文楽を支えたのが、江戸時代からの大資本商人。

つまり、大阪は、日本初かつ日本最大の、おハイソでリッチでノーブルでエレガントな商業資本ブルジョアの街だったわけだ。

本来の大阪は「お上品」なのである。

それこそ「宵越しのゼニは持たねえ」だの「火事と喧嘩は江戸の華」なんてヤクザ気質を自慢していた、江戸=東京の方が、よっぽど下品で乱暴な街だった。

 

昔の大阪は、お上品を通り越して、あきんど根性、計算高い、軟弱、というイメージすらあった。喧嘩上等のヤクザとは正反対だ。

 

平成の皆さんには旧石器時代の大昔だが(笑)、1960年代、戦後高度経済成長の漫画「いなかっぺ大将」。1970年にはTVアニメにもなった。作者の川崎のぼるは大阪出身である。

主人公は青森出身。田舎者なので都会の東京で大騒動を巻き起こす。

物語のパターンとしては「ドラえもん」と同じ。われわれの日常に言動思考の変わった異世界の主人公がやって来る。当時、作者の大阪人そして読者の東京人が当時の青森や東北をどう見ていたか?どう差別していたか?がよくわかる(笑)。

この漫画には主人公のライバルとして大阪出身の少年・西一(にしはじめ)が登場する。彼も平成の皆さんに解かりやすく例えると「ドラえもん」のキャラにソックリである。誰か?スネオである。金持ちなのにケチ、軟弱で臆病、お調子者で陰険(笑)。

大阪出身の作者そして日本中の読者にとって、当時の大阪人のステレオタイプは、粗暴ヤクザなジャイアンではなく、軟弱で計算高いスネオだったのである。

 

大東亜戦争直後の映画に登場する大阪人も同じだ。

 

《慰安婦映画列伝》新東宝「暁の脱走」(1950)~GHQ「慰安婦はエロチックだから映画にしちゃダメ!」 - 在日琉球人の王政復古日記

余談だが、この慰問団の斡旋業者(本当は、慰安婦を管理していた女衒軍属)、なぜかコテコテの大阪弁なのだ(笑)。

「またも負けたか八連隊」ではないが、大阪人は根っからの商人で、軍人には向かない、というイメージが1950年代にも残っていたのである。

 

戦前には日本にも徴兵制があったわけだが、徴兵されて配属されるのは地元の連隊が原則だった。だから連隊内は同じ地域の出身者ということが多かった。つまり戦前の陸軍は「郷土軍」的色彩も濃かったのだ。

 

大阪にあったのが歩兵第八連隊

そして、この大阪八連隊は、他の連隊にはないユニークなイメージがあった。

八連隊の連中は大阪出身。

彼らの先祖は、武士ではなく剣も振るわず、農民でもなくクワも担がず、ソロバンより重いモノを持ったことがない商人と丁稚だらけ。体力も根性もない。損得勘定に長けて勇気に欠ける。

ということで、全国的に大阪八連隊には「日本一弱い連隊」というイメージが付いてしまった(笑)。

そして、こういう戯れ歌まで作られた。

 

♪ またも負けたか 八連隊 ♪
♪ それでは勲章 九連隊(くれんたい) ♪
♪ それでは陣屋も 十連隊(取れんたい) ♪
♪ 大阪鎮台 ヘボ鎮台  ♪
♪ それでは戦(いくさ)は 八連隊(やれんたい)  ♪

 

しかし史実の八連隊はそうではない。鹿児島西南戦争の時代からの歴戦の連隊で、決して弱くはなかったのだが、ここで史実はどうでもいいのだ(笑)。

重要なのは、大阪人自身が「日本一弱い八連隊」というイメージに、不愉快を感じたり、憤激したりしていないことだ。

 

たとえば、九州男児なら軟弱と言われれば怒るだろう。東北・会津人なら維新の賊軍・朝敵というイメージは許せないだろう。どっちも名誉回復を主張するはずだ。

 

しかし大阪人は、軟弱という汚名を雪ぐどころか、面白がって、自分たちで「またも負けたか♪八連隊♪」と歌い出す始末だった(笑)。

商人マインドの大阪人は、軟弱を不名誉と思ってなかった。ヤクザ気質とは正反対である。

 

ただし、こういう自虐・諧謔は、都市住民の精神であり、後のヨシモト全国制覇につながる「お笑いの遺伝子」は確かにあったことになる。

  

戦後高度経済成長「大阪VS東京」3連敗~「白い巨塔」「華麗なる一族」「不毛地帯」~大阪VS沖縄琉球 #土人 - 在日琉球人の王政復古日記

へ続く。