在日琉球人の王政復古日記

NATION OF LEQUIO

『おなかすいた』(2) #植松聖 相模原障害者施設殺傷事件~障害者の娘、癌の父母VS無力な敗北者・孔子の慟哭。

『おなかすいた』(1) #植松聖 相模原障害者施設殺傷事件~障害者の娘、癌の父母VSエリート思想・釈迦の無慈悲。 - 在日琉球人の王政復古日記

の続き。

 

はたして、釈迦の理屈で、この、癌を患った父=夫は、癌で先立った母=妻は、真の意味の狂人に殺された障害者の娘は、救われるのだろうか?

 

釈迦という男は、個人的に苦しみから逃れたい、なんていう手前勝手も甚だしい理由で、社会的責任を放棄し、我が子を捨て、我が子を産んだ妻を捨て、親子の縁を切り、夫婦の縁を切り、出家した。

イロイロあって、やっと覚った後も、またヒドイ野郎である(笑)。

せっかく、宇宙の真理を発見したくせに、なんと、最初は、誰にも教えず、黙って死ぬつもりだったのだ。

 

釈迦という男は、自分のためだけに修行して、自分だけが覚ったのだ。最初から他人を救済するつもりなんて全く無かった。

もちろん、他人を害することも無かった男だったが、それでも、他人のために生きた人間では全く無かった。

お寺さんや仏教信者から反論がありそうだが、ここはいくら強調してもし過ぎることはない。ここが、仏教の、釈迦の思想の最重要部分なのだ。

 

この釈迦のエゴイズムに慌てたのが、インドの神様・梵天である。

 

菩提樹下でついに悟りを開いた釈迦「やったぜ!オレっちは宇宙の全てを覚ったぜ。これでもう生まれ変わることもない。苦しみの六道輪廻とおさらばさ」
梵天「あのさ、釈迦クン、覚ったのはめでたいが、早く衆生に真理を説法してくださいよ」
釈迦「ん?・・・梵天サマのご命令でも、そいつはムリ。何しろ宇宙の真理だ。オレっちのレシピはレベルが高すぎて、そこら辺のボンクラには理解できないっしょ(笑)。」
梵天「そこを何とか頼むよ、釈迦クン。君、これから他にやることでもあるの?」
釈迦「いや、オレっちは完成してしまったから、もう俗世でやることはない。やるべきことも、やりたいこともない。」
梵天「じゃあ、いいじゃん。ヒマならやってよ、説法」
釈迦「このまんま、菩提樹の下で朽ち果てようかと思ってたんだが、そこまでいうなら、寂滅までのヒマ潰しに説法してもイイか。でも、やるとなったら、ハンパはできないよ。ビシビシ行くよ!」
梵天「ああ助かった。まあ、固いことヌキで、よろしく!」 

 

これが「梵天勧請」である(笑)。

そして、他人に説法を始めた。苦しみから逃れるために、家族を捨てよ、社会を捨てよ、すべての縁を切れ、天涯孤独になれ、犀の角のようにただ独り歩め」、と説いた。

  

こんな人間嫌いの冷酷で薄情な教えを、母=妻を病で失い、障害者の娘を他人に殺され、自分も病で死のうとしている、家族思いの父=夫は認められるのか?

 

死後に「最後に抱っこしてあげられなかった。早く会って、抱っこしてあげたいなあ」と娘との再会の願う、おそらく母=妻との再会も願う、この父=夫は、釈迦の理屈では、愛と執着のかたまりであり、解脱もしないし、成仏も不可能だ。六道輪廻し、地獄に落ちるかもしれない。

 

父=夫は、釈迦の教えからは外れたのだ。仏教的には外道に落ちたのだ。

そして、この父=夫はそれでいいのだ。それが望みなのだ。

同じく、母=妻も、父母を慕った障害者の娘も、愛と執着のかたまりであり、成仏せず、苦しみだらけの六道輪廻の世界で、父=夫との再会を待っている。

お互いを忘れて離れ離れに成仏するより、親子3人が一緒なら、共に地獄に落ちても本望なのである。

 

釈迦よ。覚者よ。この父=夫の、救われぬ生き方=死に方に、文句があるか?

 

ナザレのイエスは愛を説き、キリスト教は「愛の宗教」だ、なんて言われているが、オオウソである。

ユダヤ人を痛めつけた、エジプト、アッシリアなど古代帝国への憎悪と復讐、

改革者イエスを受け入れず、迫害してきたユダヤ教主流派への憎悪と復讐、

キリスト教を弾圧し続けたローマ帝国への憎悪と復讐、

旧約聖書「創世記」「出エジプト記」「ヨブ記」「レビ記」、新約聖書ヨハネ黙示録」などに見る如く、キリスト教は、完全な「憎悪の宗教」である。

誤解されないように書けば、キリスト教「憎悪の宗教」だからこそ、人も救いうるのだ。

 

「予想通り少年院へ 泣き崩れる母 迷惑かけたのは俺なのに」~ルカ福音書~法華経「長者窮子」~日本書紀古事記「山幸彦海幸彦」 - 在日琉球人の王政復古日記

 

同じく、釈迦も誤解されていると思う。

仏教は「慈悲の宗教」だとよく言われる。そこから弱者救済の宗教だとも言われがちだ。確かに釈迦から外れた(笑)大乗仏教はそうかもしれないが、創業者の釈迦はぜんぜん違う。

 

釈迦の教えは、強者の論理、エリートの思想なのだ。

釈迦オリジナルの仏教は、愛する親や子や妻を捨てて、優れた友も財産も捨てて、天涯孤独に耐えられる、徹底したニヒリズムを完遂する、常人に不可能な強靭な精神力を持つ、強者・エリートでなければ、救われない宗教なのである。

 

インドの釈迦は既得権益でリッチな勝ち組エゴイスト~在家重視の大乗仏教を誕生させた太陽エネルギーの欠如。 - 在日琉球人の王政復古日記

 

この世に、他人からタダメシをおごってもらって生きてるくせに、そのタニマチ保護者に対して、あんなに偉そうな態度を取る、引き籠りニート集団は、釈迦のサンガ以外にはない(笑)。

 

そして、強者の論理、エリートの思想では、愛情に溺れる弱い男、障害者の娘をあの世でもう一度抱っこしてあげたいと願う癌病の父を救済できない。

 

復讐するは我にあり」愛の宗教=憎悪の宗教であるキリスト教の方が、殺人事件の被害者は救いやすいのかもしれない。

仏教は、こういう場面に無力だ。

不殺生戒の仏教は、殺人も認めないが、死刑もまた認めないからだ。

  

法(刑法)VS法(ダルマ)~復讐と死刑VS仏教不殺生戒(その1)~犯罪被害者遺族VS出家比丘尼 #瀬戸内寂聴 - 在日琉球人の王政復古日記

 

法(刑法)VS法(ダルマ)~復讐と死刑VS仏教不殺生戒(その2)~生老病死、愛別離苦、怨憎会苦 #瀬戸内寂聴 - 在日琉球人の王政復古日記

 

法(刑法)VS法(ダルマ)~復讐と死刑VS仏教不殺生戒(その3)~鬼子母神、他力本願、最後の審判、儒教 #瀬戸内寂聴 - 在日琉球人の王政復古日記

  

インドの仏教はダメだ。

じゃあ、日本の保守派やネトウヨのアイドルと化した、ケント・ギルバートさんから、最近何かと批判されてるらしい、支那儒教はどうか?

 

結論が早いが(笑)、儒教も、相模原事件の家族を救済はできない。

それは、孔子が、神の子・イエスでもなく、神通力を持った超人・釈迦でもなく、タダの俗人に過ぎないからだ。怪力乱心を語らない孔子に奇跡は起こせない。

しかし、救済はできないが、共感することはできる。寄り添うことはできる。ともに慟哭することはできる。

 

俗人・孔子は、自分から、家族を捨てなかったし、弟子を捨てなかったし、社会にコミットし続けた。

 

しかし、ある意味、家族の方から、彼を置いて去った。

母は、呪術を生業とする下賤な巫女であり、父とは正式な夫婦ではなかった。共に暮らしたこともなかっただろう。

孔子自身が長命だったせいもあるが、先立った息子の葬儀を出している。

釈迦が罪障とみなした、生命の連続性「孝」を貴ぶ思想を説いた孔子も、実生活は彼の思想を裏切っていた。

 

弟子もまた同じく、彼の元を、病で去っていく。

 

論語雍也06-08

伯牛有疾。子問之。自牖執其手。曰。亡之。命矣夫。斯人也而有斯疾也。斯人也而有斯疾也。

弟子の冉伯牛が死病に犯された。孔子は感染を恐れず彼の手を取った。「これが天命だというのか? 彼のような有徳の天才が、天罰とされる業病で死ぬのか?」 

論語先進11-08 

顏淵死。子曰。噫。天喪予。天喪予。

最愛の弟子・顔淵が、師匠の孔子よりも先に、若くして貧困に死んだ。孔子は天を呪って叫ぶ。「嗚呼、天は私の理想を滅ぼした!天は私の思いを見捨てた!」 

 

釈迦は病を見て出家し、孔子は顔回・冉伯牛を失って天命を恨み、ナザレのイエスは病を癒す。 - 在日琉球人の王政復古日記

 

一番弟子の子路も、師匠を残して戦死する。

人間の生き死にに関して、孔子は全くの無能である。

 

論語微子18-6
長沮桀溺。耦而耕。孔子過之。使子路問津焉。長沮曰。夫執輿者爲誰。子路曰。爲孔丘。曰。是魯孔丘與。曰。是也。曰。是知津矣。問於桀溺。桀溺曰。子爲誰。曰。爲仲由。曰。是魯孔丘之徒與。對曰。然。曰。滔滔者。天下皆是也。而誰以易之。且而與其從辟人之士也。豈若從辟丗之哉。耰而不輟。子路行以告。夫子憮然曰。鳥獣不可與同羣。吾非斯人之徒。與而誰與。天下有道。丘不與易也。

(意訳)

隠者の長沮と桀溺が、孔子の一行を揶揄する。

孔子センセイは、あらゆることを知ろうと知識を集め、世間に還元するために思想を練り、他人と関わり合い、世の中駆けずり回って、正しい社会を築こうと必死だが、一つでも成果はあったのかね? 世の中少しでも良くなったか? 

やめとめやめとけ。こんなクソみたいな世界は、理想を捨てて、俗悪にどっぷり染まり、畜生のように、おもしろおかしく、ただただ生きよ。

孔子は苦渋の表情でつぶやく。

政治を避けたところで、文化や社会システムを捨てたころで、人間は禽獣にはなれない。人間と生れたら人間と共に生きるしかない。

クソみたいな世界なら、ケンカ上等だ。私がそのクソをキレイにかたずけてみせよう。そのために戦い生きぬいてやる。 

 

孔子はクソみたいな俗世から逃げなかった。

もちろん結果は孔子の敗北に終わった。 

 

しかし、親子の情愛を社会の基本として重視した孔子なら、人間嫌いの釈迦と異なり、共に苦労した母=妻を失い、障害者の娘を殺され、癌病に命を削られる父=夫を見て、同じ父として無慈悲な天を恨み、同じ人間として理不尽な命に哭し、共感するだろう。

 

釈迦が拒否した、人間が人間であることを根拠とした共感性「仁」も、また孔子の思想の中核である。

 

『犭二』『犭犭』の発見~インドの感電サルVS支那の孔子。 - 在日琉球人の王政復古日記 

 

相模原障害者施設殺傷事件で一番印象に残っている記事は、まるまる1年前のこれだった。

 

意識回復の被害者「助けて」と叫ぶ 相模原殺傷 (朝日新聞デジタル) - Yahoo!ニュース

2016/07/27

 相模原市の障害者施設であった殺傷事件で、重体とされた男女4人が入院中の東京医科大八王子医療センターが27日、記者会見し、4人の意識が回復したことを明らかにした。
 病院側によると、26日午後に意識を取り戻した20代の男性は、人工呼吸のチューブが抜かれた後、「助けて」と声を上げた。看護師が「大丈夫だよ」「ここは病院だよ」などとなだめたという。男性は「犯人は捕まった?」と聞き、看護師が「捕まったよ」と伝えると落ち着き、「生き返った」「おなかすいた」と話したという。
 新井隆男・救命救急センター長は「恐怖の体験をしたんだと思う。精神科医など専門家のカウンセリングを受けられる環境を整えたい」と話した。

 

殺人鬼の凶行に恐怖する障害者。

捕まったから安心しろと宥める看護師。

障害者の最後のつぶやきが、私の胸をえぐる。

 

「おなかすいた」

 

1年間、これを説明しようと思って、できなかった。

 

誤解されるかもしれないが、意味不明かもしれないが、未消化のまんま書く。

 

人間の生命力にホッとすべきか? 

人間の欲望に暗い気持ちになるべきか?

惨劇の中の小さな救いか? 

救いの奥の救われぬ現実か?

童子の如き素朴さに微笑んでいいのか? 

おそらくこのまんまの状況判断能力で終わるだろう彼の人生にもう一度泣くべきなのか?

人間をこんな風に作った、自分の責任でもないのに確率的にこんな風になる可能性をわざわざ遺伝子に書き込んだ、性根の腐り切った邪悪な創造主に怒り、後から救済してやるとほざく無責任な救い主を呪うべきなのか?

 

私の感情は、喜怒哀楽のどれでもない。そしてどれでもある。

  

私は人間が大嫌いだ。

自分を含めて、人間という存在がホントに嫌いだ。

自分でも、自分を下種野郎、性格破綻者だという自覚はある。

 

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