立場を分けるのは、人間の「理性」への信頼度。大きな政府VS小さな政府を考える
おときた駿(東京都議会議員/北区選出)2016年01月03日
ではこうした「小さな政府」「大きな政府」への志向を分ける要素はいったい奈辺にあるのでしょうか?そのもっとも重要なものの一つが、「人間の理性への信頼度」です。
政府が課税や社会保障制度などを通じてコントロールをすれば、やがて格差や貧困はなくなっていくはず!と考える人々は、この人間の理性に重きを置いていると言えます。
一方で小さな政府を掲げる人々は、この「理性」に極めて懐疑的です。
きわめてクリアな所信表明である。
ただし、「この道」も、相当な覚悟がいる。
それは「弱者をどうするんだ?」「格差社会は!」みたいな話ではない。
「理性」を疑うのはいいとしても、じゃあ「神」はどうする?疑うのか?それとも信じるのか?、という神学(つまり思想)の話である。
中央政府の指導で平等な社会を築こうとした共産主義は腐敗にまみれて失墜し、わが国の社会保障制度はむしろ世代間格差などの新たな問題を生み出しました。
政府や官僚組織が不完全な人間によって構築されている以上、彼らの考え実行することには明白な限界や失敗があり、その権限が強ければ強いほどこうした「歪み」が大きくなります。
自由主義の大家であるハイエクは、理性に重きを置き社会をデザインしようとすることを「設計主義」と名付け、その傲慢を激しく批判しました。
不完全な人間の理性よりも、アダム・スミスが奇しくも名付けたような「神の見えざる手」といった人智を超えたメカニズムの方がよっぽど信頼に足るものであり、その結果、政府の介入は極小化した市場重視の考えに辿り着きます。
小さな政府主義者は社会保障のすべてを否定するわけではありませんが、そこにもなるべく理性≒恣意性が介入しないシステム、ベーシック・インカムや機械的な負の所得税を提唱するのも、上述の理由によるものです。「保守思想の父」とも言われるエドモンド・バークは、急進的に新しい社会制度を「設計」しようとするフランス革命に対して、そのような人工的社会が上手く行くはずがないと警鐘を鳴らし、蓄積された伝統の重要性を説きました。
実はこうした「理性への信頼度」は、いわゆる保守 / リベラルを分けるリトマス紙でもあり、保守=小さな政府
リベラル=大きな政府となる理由も、なんとなく理解できるのではないでしょうか。
私は政府のコントロール≒理性に懐疑的ですから、人々の自由を最大化するべきと考え、小さな政府を主張する立場を取ります。
大きな政府で国民を管理するな! 政府や官僚のやることを疑え!
という、この議員さんの思想を、現実社会に具現化すれば、こうなる。
CNN.co.jp : 武装した抗議集団、動物保護公園の建物を占拠 米オレゴン州
2016.01.04
米オレゴン州南東部のマラー野生動物保護公園内で、地主らの権利を主張する抗議集団が連邦当局の建物に立てこもり、長期間の占拠も辞さない構えを示している。
集団のメンバーで、昨年土地管理当局との対立が報じられたネバダ州の農場主クリーブン・バンディー氏の息子、アモン・バンディー氏(40)は3日午前、CNNとの電話インタビューで「市民の憲法上の権利」を連邦当局から取り戻すのが目的だと語った。
アモン氏らは、連邦当局が保護区を設置、拡大するため強制的に土地を取り上げ、売却を拒否した農場主らを不当に罰してきたと主張。2日にデモ行進を行い、公園内の建物に立てこもった。当局者らによると、現在使われていない建物で、内部に職員らはいないとみられる。
同集団はデモで、2001年に自分たちの土地に火をつけたとして禁錮5年の有罪を言い渡された別の農場主親子への支持を訴えた。この親子は密猟の証拠隠滅を図ったとされるが、本人たちは外来植物の駆除が目的だったと主張してきた。ただし弁護士によればこの親子は、アモン氏らの集団からの支援は望まないことを明言しているという。
アモン氏は「我々はテロリストではない」と強調。集団メンバーの人数は言えないとする一方、「必要な限り占拠を続ける」「武器を使うつもりはないが、攻撃されれば自衛する」と述べた。ただ、具体的な要求を尋ねる質問にははっきりした答えを示さなかった。
彼らはアメリカ憲法修正第2条の信奉者だろう。「銃で武装するのはアメリカ市民=ミリシア=民兵の権利だ!」「銃を奪おうとするワシントンのオバマはファシストだ!」ということになる。
彼らは、オバマや連邦政府を敵視している。彼らは「設計主義」=「理性」を信じない。ただし、「神」や「ジーザス」は信じているはずだ。
たとえば、彼らは「地球温暖化」なんて認めないだろう。
「理性」を認めないことは、「科学」を認めないことだからだ。
仮に、百歩譲って、地球温暖化が事実だとしても、それでも対策は認めない。そんなもんは必要無いからだ。
だって、そのうち、イエスが地上に降り立ち、最後の審判が始まる。いつかは判らないが、必ずそうなる。そのとき、地上は、地球は、いったん、チャラになる。
どうせ最後の審判が始まるんだから、地球温暖化対策は無意味だし不要なのである。
それに、イエスなら、一瞬で、簡単に、地球温暖化を解決してくださる。なぜなら神は全知全能だからだ。
「神の見えざる手」とは、そういう意味にもなるうるのだ。
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「理性に極めて懐疑的」、言葉でいうのは簡単だが、現実に適応すると、こういうことになる。こういう態度を覚悟することなのである。
つまり、「理性に極めて懐疑的」を、昨今流行の言葉で言えば、「反知性主義」ということだ。
「反知性主義」は、単なる「バカ」「アホ」「マヌケ」の言い換えではない。
神学であり、小さな政府に密接に関係する政治思想でもあるのだ。
いやいや、「理性」を信じないからって、「神」を信じるとは限らない、「神」なんて実在しない、嘘っぱちだ、、、ということになれば、理性も神も信じない「虚無主義=ニヒリズム」ということだ。
だったら、弱者が死のうが、国家財政が破綻しようが、日本が滅びようが、どうでもいいことになる。漫画「北斗の拳」である。
平成の日本人は、本当に、真の意味で、アメリカ福音派のように、「理性」を疑えるのだろうか?
そして、初詣ではなく、なんとなくではなく、比喩でなく、マジで「神」か「仏」の存在を信じきれるのだろうか?
政治思想というのは、
覚悟のいる話なのである。
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