在日琉球人の王政復古日記

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法(刑法)VS法(ダルマ)~復讐と死刑VS仏教不殺生戒(その3)~鬼子母神、他力本願、最後の審判、儒教 #瀬戸内寂聴

瀬戸内寂聴が、死刑制度支持者を馬鹿呼ばわりして批判されているが、仏教の結論は死刑反対で間違いはない。仏教から死刑賛成の理屈はなかなか難しい。

 

法(刑法)VS法(ダルマ)~復讐と死刑VS仏教不殺生戒(その2)~生老病死、愛別離苦、怨憎会苦 #瀬戸内寂聴 - 在日琉球人の王政復古日記

の続き。

 

仏教は、殺人を解決する能力がない。というかそもそも関心も薄い。

 

古今東西、親と子の間に、そんなモノが見つかったことは一度もない。~少女A「佐世保女子高生バラバラ殺害事件」 - 在日琉球人の王政復古日記

鬼子母神
昔、インドに鬼子母神という名の鬼女がいた。
千人の子供を産み育てる母でもある彼女は、残虐無比な人喰い鬼でもあり、近隣の幼児を取って食べ、人々から恐れ憎まれた。
そこで釈迦は鬼子母神の末子1人を隠した。
鬼子母神は突然消えた我が子を嘆き悲しむ。
釈迦は「千人の内一子を失うもかくの如し。いわんや他人の一子を食らう時、その父母の嘆きや如何」と彼女を戒める。
鬼子母神は己の罪業を悟り、釈迦に帰依し、その後、安産と子育ての守護神となった。

他人の子供を殺してきた鬼女を、母と子の守護神にすえる・・・なんだ、そりゃ?
お釈迦様!それが何の解決になっているんだ?
それまで食い殺されてきた子供の命は帰ってくるのか?子供を殺された家族の怨みはどうなる?
どうしようもない。お釈迦様でもどうしようもない。

 

非力な釈迦は、鬼子母神の連続殺人で殺された無実の被害者を、超能力で生き返らせることはできない。遺族の復讐を成就させることもない。

ただこれ以上の殺人を止めさせたが、殺人鬼を裁くこともない。やりたい放題やってきた鬼子母神は死刑にならず、慈悲心の神に転職しただけである。

果たして、これが解決になっているのか? 遺族の怒りはどこへ行くのか?

釈迦は解決しない。なぜなら、それは釈迦の目指すものではないからだ。 裁いたって、涅槃にも解脱にも至らないからだ。

 

佐世保殺人少女の父親を殺したのは【この私】である。 - 在日琉球人の王政復古日記

親鸞唯円は私の言を信ずるか?言に背かぬか?」
唯円「お師匠を信じます。背きません」
親鸞「しからば唯円、今から人を千人殺してもらおう。そうすれば往生を保障する」
唯円「仰せではありますが、私の才では、一人といえど 殺せそうにありません」
親鸞「ならば、なぜ、私の言に従う、などと虚言を弄した?」
唯円「・・・」
親鸞唯円よ、分かるか。
もし人間が《自己決定》《自由意志》でのみ何事も可能だとすれば、目的にため必要のため合理的に千人でも殺せるはずなのだ。
しかし《因縁》(=外的条件=人間の外からやって来る「何か」)が無ければ、たった一人も殺せない。
人間は自己が善人だから正義だから殺さないのではない。
逆に、殺そうなんて夢にも思ってなくても、《因縁》があれば千人でも殺してしまう可能性があるのだ」

 

善人なおもて往生を遂ぐ。いわんや悪人をや。

親鸞(そして法然)の浄土信仰・他力本願が、菩提樹の下で独力で悟った釈迦の仏教と一緒なのかどうか?はかなり疑問がある。

ご本尊・阿弥陀如来は、釈迦の時代はもちろん、その後の仏教教団から発明されたモノではないらしい。

どうやらもっと西、イランあたりからやってきた光明神、釈迦の教えの外からやってきた外道の仏なのだ。ゾロアスター教の善神アフラマズダ、ローマ時代キリスト教の最大ライバルだったグノーシス神秘思想のミトラ信仰、さらにはユダヤ教のエホバにもつながる存在のようだ。本来の仏教にはない絶対神に近い性格がある。

 

しかし、愚禿親鸞が説く由縁も、かなり釈迦に近いと思う。

親鸞も、さらに阿弥陀如来も、人殺しは止められない。裁いて死刑にする権利も能力も語らない。

 

もちろん、人殺しが罰せられず野放しなんてことになったら、社会は無法地帯である。それは困る。しかし困るのは世俗の人々と世俗の権力であり、弥陀の本願にすがって、ただただ念仏を唱える親鸞ではないのだ。

彼には治安より復讐より大事なことがあり、それ=浄土への往生しか見ていない、見えないのである。

自分にできることなど何もない。他力本願の親鸞が、裁判や死刑や復讐に関心を持つわけがないのである。

  

親鸞は父母の孝養のためとて念仏、一返にても申したることいまだ候わず。(歎異抄

 

親鸞はただただ念仏する。生涯すでに何十万回唱えたかは知らないが、しかし彼は、父母の往生のために念仏したことは一度たりともない、と断言する。

すべての念仏は自分の往生のためのみである。何にもできない無力な私に他人の往生を念仏するなんてことは不可能だからだ。

親鸞も、釈迦同様、父母のための行動、家族の復讐を企てる意思は無い。

 

つまり、死刑賛成論は、家族に無関心な仏教とは相容れない。

そして、仏教が正しい保証もない。宗教は仏教だけではない。

 

仏教よりも、悪に対する壮大な復讐劇・最後の審判を欲望するキリスト教の方が、死刑賛成論に合致しやすいし、

 

または、親と子の間に流れる生命の連続性としての「孝」を重視し、また

 

或曰。以徳報怨。何如。子曰。何以報徳。以直報怨。以徳報徳。

論語・憲問第十四-36) 

「不義に対する報復を捨てて、寛容になれ」は間違いだ。寛容に対してのみ寛容であるべきで、不義に対しては「素直な気持ち(死刑や復讐を含む)」で応じるべきだ。

 

と主張する、儒教のほうがフィットするかもしれない。

家族を重視する儒教は、犯罪被害者の気持ちを汲み取り、死刑に反対しないだろう。

 

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