「LGBT『生理的にダメ』と言えばいい」 熊谷・千葉市長の真意は? - withnews(ウィズニュース)
・「推奨するのと認めるのは違う話」
・「権利を特権に書き換えちゃう人がいる」
・行政がパートナーを認定する意味って?
千葉市が、同性のパートナーがいる市職員がパートナーとの「結婚」や介護時に休暇がとれる制度を、来年1月に始めると発表。この取り組みに対するツイッター上で「少子化を推進している。子供が出来ないカップルを奨励している」との批判に、熊谷俊人・千葉市長が反論したのです。
「本当に悩んでいる方々からすれば、社会が同性愛を認めなかったとしても、異性愛に行くというのは基本的に無理なわけですよ。そういう意味では少子化に直結する話にはならないと思うんです。そこはロジカルに、分解して考えた方がいい」
「異性愛には結婚制度や家族制度がある。国家も保護してくれる。しかし同性愛には結婚制度も家族制度もない。よし、同性愛は損だから、異性愛に転向しよう」なんて発想をする同性愛者はいないし、異性愛者もいない。
同性愛を認めても、少子化の推進にはならない。
だって、同性愛を認めなかったらといって、同性愛者が「よーし、しょうがないから、異性とセックスしよう。子供を作ろう」となるわけではないからだ。
認めようが、イジメようが、同性愛者は同性愛者であり、彼ら彼女らのセックスに授精はない。
同性愛と少子化は、ほとんど関係のない、全く別々の話である。
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「権利を特権に書き換えちゃう人がいる」
その後の市長の「社会・人はそんなに急激には変われません。嫌悪感の表明すら認めないのでは、かえって相互理解を阻害すると考えます」という投稿は、当事者への攻撃の容認になるという批判も受けました。
ここが、このニュース?の一番興味深い部分だ。
このニュース?へのコメントや意見がイロイロあるが、中に、この市長の発言を、まったく180度サカサマに正反対に解釈している人がいる。
千葉市長は、
・同性愛者の、現状の権利は、異性愛者に比較して、「不利益=マイナス」である。
・千葉市が同性愛者をサポートすることで、同性愛者の「不利益=マイナス」を、異性愛者と同じ「同じ権利=ゼロ」に回復することになる。
・しかし、(同性愛者ではなく)異性愛者の中には、千葉市のサポートが、同性愛者に、異性愛者を超えた、「過剰な利益=プラスアルファ」つまり《特権》を与えることになる!と《権利を特権に書き換えちゃう人がいる》。
・同性愛サポートで「過剰な利益=プラスアルファ」つまり《特権》なんてもんは発生しないし、そもそも同性愛者自身が「特権を獲得した!」なんて思うわけがない。
と言ってわけだ。
つまり「権利を特権に書き換えちゃう人がいる」という文章の《人》とは、同性愛者ではなく、同性愛へのサポートに反対している人、同性愛反対論者・懐疑論者のことである。
「権利を特権に書き換えちゃう人がいる」とは、
自分の権利を、自分の特権に、書き換えちゃう人、ではない。
他人の権利を、他人の特権に、書き換えちゃう人、のことなのだ。
同性愛者が、同性愛者の権利を、同性愛者の特権に、書き換えるのではない。
同性愛反対論者が、同性愛者の権利を、同性愛者の特権に、書き換えるのだ。
つまり「他人が、オレより、得をするのは許せない!」というジェラシーだ。
「権利っていうのが特権に書き換えちゃう人が一定数いる。その人たち(性的少数者)が不利益を被っていたことに対する理解が足りていないゆえに、プラスアルファを得たのではないかと思われてしまう」
この文章は、非常に誤解しやすい。
「書き換えちゃう人」=「その人たち(性的少数者)」と解釈することも可能だからだ。
しかし、前後の文章を読めば、
「書き換えちゃう人」は、「その人たち(性的少数者)」では、ない。
「書き換えちゃう人」とは、「(同性愛への)理解が足りていないゆえに、(同性愛者が異性愛者以上の)プラスアルファを得たのではないか」と誤解する人々、つまり同性愛反対論者・懐疑論者を指しているのである。
で、そういう誤解をしたまま、サカサマの、正反対の解釈で、
「同性愛者が、同性愛者の権利を、同性愛者の特権に、書き換えちゃう。同性愛者の利権だ!」
と受け取って、SNSやtwitterや掲示板などで、コメントや意見を書いている人がかなり多い。そして誤解してる同士がお互いにイイネ!をつけ合うのである(笑)。
そして、彼ら彼女らの意識の背後には、
「在日外国人は、権利を特権に書き換えちゃう。」
みたいな、おなじみの(笑)問題への応用がある。
しかし「在日外国人は、権利を特権に書き換えちゃう。」みたいな考え方こそが、
「権利っていうのが特権に書き換えちゃう人(在得会などのネトウヨさん)が一定数いる。その人たち(在日外国人)が不利益を被っていたことに対する理解が足りていないゆえに、プラスアルファを得たのではないかと思われてしまう」
と、千葉市長が批判する対象者なのである。
この千葉市長の認識が、正しいのか?、サヨクの妄言なのか?、は別にして、千葉市長の意見は、前後の文章を読めば、上記以外に解釈のしようはない。
「そうなると、なんでパートナーを支援するんですか?という議論に入ってくる」
行政がパートナーを認定する意味って?
一連のやりとりの後、「同性婚には賛成側」としつつ「行政がパートナーを認定する意味は何か」という悩みをつぶやいています。「そもそも婚姻に認めている権利、優遇、補助は何のためにやっているんだろうか。異性婚に関しては、子どもを生み育てる確率の高い母集団として、かつ相互扶助という、社会の安定性と社会の持続性という2面からおおむね社会全体の理解を得て支援が行われているわけです」
「これが、同性を支援した瞬間に、里親とかありますけど基本的には子どもが生まれない状態が大勢である状態を支援するの? そもそも、なんで行政に結婚認めてもらわなきゃいけないんだっけ? って話になってくる」
パートナーシップの制度を全国に広げるにあたり、熊谷市長は現状の婚姻に関連する制度が「相互扶助の支援」なのか「子育てをする人間の支援」なのか、行政が整理すべきだと指摘します。
ここが、政治学的には、最も重要な部分である。
ここを突き詰めれば、国家とは何か?、家族とは何か?、人間とは何か?、生殖とは何か?、生物とは何か?、政治学を超えて、文化人類学、生物学まで行きつくことになる。
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聖書の最初・創世記の始まりは、アダムとイブである。聖書は、原初の家族を「男女のカップル」と想定している。
日本神話の伊邪那岐・伊邪那美も、各地の神話も、天地創造は、男女のセックスから始まる。
男女のセックスから子供が生まれてくる不思議。古今東西、人間はこのフレームで世界を考えている。
本当にこの考え方のままなら、この世は男女平等であり、女性差別なんてないはずなんだが、そうではない考え方もある。
儒教の古典・論語には、孔子の息子が登場しても、奥さんは登場しない。
孔子には、息子がいたんだから、嫁さんもいたはずなのだが、儒教にアダムとイブの恋愛物語はない。
もちろん「本物の愛なら、遠距離恋愛も苦にならないはずだ」などと、孔子センセイが恋愛を語る部分もないわけではないが、論語に女性の影は非常に薄い。
名前入りで登場する女性は「南子」という淫乱悪女くらいである。ただし、その悪女の淫乱は、世のため人のための礼学よりも、はるかに世の中の人間=男を魅惑する、と孔子を嘆かせているのだが。
儒教においては、家族とは、「男女」ではなく、「親子」いやズバリ言えば「父-息子」である。妻も母も娘もそのオマケでしかない。
国家は家族の権利を保護してきた、というけれど、戦前の明治政府も、もっとさかのぼって前近代も、保護し権利を認めてきたのは、儒教と同じ、家父長制「父-息子」の継続であり、「男女」のラブストーリーではない。だからメカケを作ってもOKなわけだ。
それが真珠湾攻撃の結果、戦後になって、アメリカに洗脳されて、日本の家族制度も、儒教的「父-息子」から、キリスト教的「男女」に変わったのだ。
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21世紀、今度は少子化で、「父-息子」はさらに怪しくなりはじる。
同性愛の公認・容認で、ラブストーリーも「男女」限定ではなくなりつつある。
「父-息子」が絶対条件でないのならば、「男女」も絶対条件ではない。
「父-息子」につながらない「男々」「女々」のラブストーリーもOKになる。
男女の「愛=今その瞬間」か?、父と息子の「孝=生命の連続性」か?
人間の考える家族とは、この2つの原理の間で揺れ動く。
天皇制も、皇位継承も、皇太子妃雅子様批判も、生前退位も、要はこの話のバリエーションなのである。