今年は大統領選があるから、民主党シンパの多いハリウッドでは女性が活躍する映画が多い。中には女性大統領が登場するあからさまなモノまである。逆に、トランプ候補のような強硬なリバタリアンが活躍する映画はほとんどない。これは、かつてオバマ大統領が誕生する前、黒人大統領の出てくる映画がいくつか出てきたのと同じ現象である。
著名な映画レビューサイトらしいが、この部分はいただけない。
国内産業を守れ、国境に壁を作れ、不法就労者を追い出せ、なんてことを主張するリバタリアンはいない。
リバタリアンは徹底した自由競争の思想である。自国人だろうが、外国人だろうが、白人だろうが、黒人だろうが、ヒスパニックだろうが、働く人間・起業する人間を人種差別しない。
「リバタリアンが活躍する映画はほとんどない」というのも、間違いだ。
※コメントにてご指摘がありましたが、上記レビューは「今年は・・(中略)・・・強硬なリバタリアンが活躍する映画はほとんどない」という意味ですね。申し訳ない。
リバタリアン映画は、日本にもアメリカにも、「仁義なき戦い広島死闘編」「ロボコップ」「下妻物語」「エスケープ・フロム・LA」「砂の器」などなど、たくさんある。
(まとめ)リバタリアン映画列伝 - 在日琉球人の王政復古日記
というか、アメリカやイタリアが量産した西部劇というジャンルは、そのほとんどがリバタリアン映画だと言っていい。カウボーイやガンマンや賞金稼ぎはリバタリアンなのである。
というより、そもそもレビューしてる新作「ゴーストバスターズ」(2016)の元ネタ1984年版こそ、アメリカではリバタリアン映画の代表作とされているのだ。
さて、「ゴーストバスターズ」(1984)のどこら辺がリバタリアンなのか?
主人公たちの立ち上げたお化け退治は、ベンチャー企業なのだ。
そして、ニューヨーク市やユダヤ教・キリスト教などのライバルよりも、効率よくお化けを退治することができる。
世俗の強制力を持つ役所より、霊的能力を持つ教会より、ハイテクを持ったベンチャー企業の方が世の中を良くする、という自由市場経済バンザイ映画なわけだ。
ただし、個人的には「ゴーストバスターズ」(1984)は、製作者・出演者が「サタデーナイトライブ」というニューヨーク・テイスト濃厚なテレビ番組のコメディアンたちなので、リバタリアン映画というより、「ニューヨーク映画」として評価したい。
「ゴーストバスターズ」の主人公たちの最後の戦いは、ニューヨーク市からの依頼を受けた金儲け商売というより、自分たちの住む街・ニューヨークを守るためのボランティア=奉仕活動であり、リバタリアンというより市民=ニューヨーカーとしての行動だろう。
この映画で一番好きなシーンは、異変の起こったビルに、ゴーストバスターズが到着したのを、カトリックの神父とユダヤ教のラビが並んで歓声を上げてるシーンだ。
企業も市役所も教会も、リバタリアン思想的に対立しているわけではなく、みんなこの街に生きるニューヨーカーなのだ。
「得体のしれない超自然的な怪物が都市を襲う、人間が都市を守る」という意味では、「ゴーストバスターズ」と、皆さん大好きな「シン・ゴジラ」(2016)は、同じ構図である。
ただし、
ニューヨークの「ゴーストバスターズ」は、ベンチャー企業が孤軍奮闘して怪物を倒す。市役所は役立たずで、企業の邪魔ばかりする。
東京の「シン・ゴジラ」は、官僚と政府が主導して怪物を倒す。鉄道会社や薬品会社は官僚の命令で動く下っ端だ。
新作「ゴーストバスターズ」も、「シン・ゴジラ」も、「リケジョ=女性科学者」が大活躍するが、
新作「ゴーストバスターズ」のリケジョは、大学という非営利機関をクビになって、民間ベンチャー企業を立ち上げるが、
「シン・ゴジラ」で人気の尾頭ヒロミ(市川実日子)も同じリケジョだが、こっちは最後まであくまでも政府のお役人である。
こう比べれば、「ゴーストバスターズ」が「民間>>>政府」のリバタリアン映画であることがよくわかる。
「得体のしれない能力を持った犯人が都市を襲う、科学技術で都市を守る」という意味では、「ゴーストバスターズ」「シン・ゴジラ」だけでなく、映画版「機動警察パトレイバー」(1989)(1993)も同じ構図である。
「機動警察パトレイバー」の女性主人公・泉野明も、民間企業でなく、警視庁特車2課の警官であり、尾頭ヒロミと同じく役所に勤務する一種のリケジョである。
相手が怪獣か人間かの違いだけで、「シン・ゴジラ」と同系統である、というよりこの2作品のコンセプトは、そしてファン層も(笑)、ほとんど同じだ。
都市を襲う攻撃側が、お化けだったり、怪獣だったり、天才的プログラミング技術だったり、軍事テクノロジーだったり、これらが人知を超えた一種の「黒魔術」だとすれば、
都市を守る主人公側も、ハイテク企業だったり、リケジョだったり、機械操作技術者だったり、人知を超えた一種の「白魔術」である。
そういう意味では、映画にもなった荒俣宏の小説「帝都物語」(1988)も、東京=都市を巡る、黒魔術(魔人・加藤保憲)と、白魔術(リケジョ=理系女子ならぬ、マジョ=魔術系女子がたくさん登場する)のオカルト戦争であり、同じ構図といえる。
そして、テレビドラマだが、円谷プロの怪奇大作戦「京都買います」(1969)も、京都=都市を巡る、「魔術的科学」同士の戦いだ。
こっちは、攻撃側が一種の「マジョ」であった。
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