在日琉球人の王政復古日記

NATION OF LEQUIO

百姓の皆さん、のど自慢大会はヨソでやってください~ユニバーシティ(大学)は国旗や国歌を乗り越えるための場所。

なんで、日本人は、わざわざ、支那や朝鮮のレベルに堕ちたいのか?

日本は、欧米に、知性の面で、追い付き・追い越したくないのか?

 

文科相、国立大に国旗・国歌要請 大学自治巡り反発も :日本経済新聞

2015/6/16
 下村博文文部科学相は16日、東京都内であった全国の国立大学長らが一堂に会する会議で「国旗と国歌の取り扱いについて適切に判断いただけるようお願いします」と述べ、入学式や卒業式での国旗掲揚と国歌斉唱を要請した。「大学の自治」への介入とも受け止められかねない発言に、各学長から様々な声が聞かれた。

 

そもそも、国から「こんなこと」を強制しなければならないような、「なんらかの問題」が、現在の日本の大学や教育や国家に発生しているのか?

 

ユニバーシティ(大学)で、国旗を掲揚しなければ困る問題、国歌を斉唱しないとダメな理由が、ナニかあるのか?

たとえば、国旗や国歌で、大学の教育水準が上がるのか? 上がるというのなら如何なるロジックか?

 

それとも、ひょっとして、最近の日本の大学は「日本のワク」から逸脱しているのか?

もし仮に、日本の大学が、「日本のワク」から逸脱し始めてるのなら、それは素晴らしいことだ。

日本の大学が、正しく「ユニバーシティ」に成長したということではないか。

国家のワクすら超えられないような学問の府に、世界を変えるような知性の誕生なんて無理に決まってるからだ。

 

事態はまったく逆だろう。日本の大学が、「日本のワク」からなかなかハミ出せないから困っているんじゃないか。

国旗国歌と言ってる当の文部科学省が、同じ口で「大学のグローバル化」「世界に通用する大学」「世界中から知性や才能を集める大学」みたいなネゴトを吹聴してるじゃないか。

 

細かいことを言えば、「国旗」と「国歌」は同等ではない。

 国歌斉唱をしていない滋賀大の佐和隆光学長は「強制とは受け止めないが、(下村文科相が言うように)国歌斉唱が慣習になっているとは思えない」と否定的な見方を示した。

さすがは佐和隆光なご意見。

目は受動的だが、声は能動的だ。

国旗が掲揚されても、イヤなら見なければいい。

しかし、国歌を聴くのはまだマシにしても、歌わせるのは人間への強制である。

 

 下村文科相は要請後、記者団に「最終的には各大学が判断することで、大学の自治や学問の自由に抵触することは全くない。介入ではない」と強調。国旗国歌法の制定から15年以上が経過しているとして「国民が国旗や国歌に親しみを感じるようになってきた」と要請の理由を説明した。

 

日本国民が親しみを感じたところで、ユニバーシティ(大学)には何の関係もない。

だって、たとえ日本にあろうが、ユニバーシティ(大学)は、国民専用の施設ではない。

教える側も、教わる側も、外国人がいることが大前提のインターナショナルな施設ではないか。

国歌を斉唱させる対象は、教員・学生の全員か? 

外国から招聘したドイツ人教授や、わざわざやってきたインド人留学生にも、「君が代」を義務にするのか? 

アメリカ人やシンガポール人にも「チヨニヤチヨニ」と歌詞を覚えさせるのか?

 

それとも、外国人は免除か? 

「ジャパンのユニバーシティじゃ、国籍やエスニシティで差別がある」と世界中に自慢したいのか?

 

例えば外国でそういうことがあったら、どう思うか?

韓国の大学に招聘された日本人教授は、大韓民国の愛国歌を強制されるのか?

支那の大学で研究するフィリピン人留学生は、中国共産党の歌・義勇軍行進曲を歌わないといけないのか?

その強制が、なにか学問的に素晴らしいことにつながるのか? 

韓国や支那の大学を良くするのか? 

韓国や支那国益につながるのか?

韓国や支那に舞台を変えれば、その低劣さ、その馬鹿馬鹿しさが判る。

 

日本でしか通用しない、韓国や支那に舞台を変えればその恥ずかしさに気が付く、そうやって日本と韓国と支那を相対化できるからこそ知性なのであり、知性はナショナリズムを超えた場所にあるわけだ。

 

いわゆる近代の大学は、ヨーロッパに誕生した。

英語で「ユニバーシティ」、ラテン語で「ウニベルシタス」、元は「組合」を意味したらしい。いったい誰の組合か? 教師と学生の組合だ。もとから政府や国家や王様や民族や言語集団の組合ではないのだ。

宇宙をユニバースというように、宇宙や普遍を意味し、部分でなく全体を意味する。

国家や民族を超えた世界全体、時間や歴史を超えた普遍的存在、それがユニバーシティ(大学)である。

プロヴァンス地方でしか通用しません、シチリア人には理解できないことです、ゲール語特有の理屈です、君が代が歌えない人は入学させません、そういうのは学問とは呼ばないのである。

 

初期の大学には、キリスト教という「ワク」「強制」「制限」もあったが、真の知性は常にワクを破る。

「おいおい、キリスト教じゃないけど、アリストテレスってすげーじゃん!」

「敵だけど、イスラム圏の数学や天文学って、オレたちより進んでるよね?」

というふうに、自分たちのキリスト教世界自体を疑い出す、キリスト教の秩序を学問的に破壊する。それが近代への導火線であった。

日の丸の自明性を疑う、君が代の外側にも世界があると知る、日本人や日本国のワクを超える、それが学問だし、それがユニバーシティ(大学)の本来の使命だ。

 

ただし、ユニバーシティ(大学)とは「強者の論理」「差別」でもある。

頭が良くないとメンバーになれない。

お金がないと入学金が払えない。

タフでなければ学問は続けられない。

時間が自由に使えないと結果は出ない。

知性を身に付けるだけの「脳みそ」と「財産」と「タフネス」と「時間」の持ち主が集まる場所だ。

 

当然ながら、ユニバーシティ(大学)は、モノゴトを疑わない馬鹿を排除する、学問を継続できない貧乏人も排除する。

ユニバーシティ(大学)は、本質的に、不可避に、差別的な場所だ。

知的エリートの傲慢、それが「知性主義」であり、その格差・差別への怒りが「反知性主義」だ。

ただし、馬鹿と貧乏を差別するユニバーシティ(大学)は、「反知性主義」すら研究対象にする(受け入れる)メタ構造を持つ。それが「知性主義」の存在価値である。

 

《百姓》がマリア様!と祈ってるのに、マリア様の根拠は聖書に載ってないよ、そもそも聖書自体がイエスの時代に書かれたもんじゃない、と言い出すヤツは嫌われる。

悪い意味で《百姓》とは、生まれたムラの鎮守様を疑わない人々である。ムラは永遠に続くと思ってる。

いやいや、文献を調べたら、鎮守様って由緒が怪しいただのデッチ上げで、その神話は川向こうの異人たちのをバクって作った疑いがある、てなことを言い出すユニバーシティ(大学)を嫌う人々だ。

 

郷土を愛さないような、同じ歌を歌えないような、そんなヨソモノはむかつく! あいつらにも同じ歌を歌わせろ!

ネットでそういうことを書いてる、平成日本に住む《百姓》だって、もちろん、日本の教育制度上の「大学」に入学して卒業したかもしれないが、真の意味でユニバーシティ(大学)の門を潜ってはいないのだ。

 

同じ歌を歌わないヤツもいる、それは何故なのか?、を学問と呼ぶのだ。

同じ歌を歌わないヤツもいる、お前も歌え!、は学問ではない。

 

この日本には、ユニバーシティ(大学)ではない場所が他にいくらでもあるのだから、そこで《百姓》だけで集まって「のど自慢大会」をやればいいだけの話ではないか。

 ユニバーシティ(大学)側は、《百姓》の娯楽に介入しない。

 

小便や大便をするな、とは言ってない。

トイレでやればいい。

台所はトイレではない、というだけの、極めて判りやすい話である。

 

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