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在日琉球人の王政復古日記

NATION OF LEQUIO

《馬鹿映画列伝》「26世紀青年/IDIOCRACY」(2006年)~論語VS老荘~イワンの馬鹿、ポルポト、反知性主義。

ヨハネ福音書
1:1 初めに言葉があった。言葉は神と共にあった。言葉は神であった。  

 

 

さらに根本的なことを言えば、本を読むって、文字が読めるって、教養があるって、知識が広がるって、無条件で良いことなのだろうか? 人間は文字で幸せになったのだろうか?

 

《馬鹿映画列伝》「まぼろしの市街戦」(1966年)~ヨハネ福音書「言葉は神」VS創世記「善悪を知る木」。 - 在日琉球人の王政復古日記

の続き。

 

支那儒教教養主義である。

論語泰伯
08-08 子曰。興於詩。立於禮。成於樂。
子曰く、詩に興り、礼に立ち、楽に成る。 

そのアンチテーゼとして老荘思想がある。 老荘の系譜にこういう一説がある。

昔者蒼頡作書。天雨粟。鬼夜哭。 
古の昔、蒼頡という名の4つ目の神様が、漢字を作った。すると、天は穀物を雨の如く地上に降らせ、幽鬼たちは暗黒の闇の中で号泣した。

人間は、文字の発明によって、莫大な物理的富を得た。が、心霊的豊穣を喪失した。
何千年も前から、人間はその逆説に気付いていた。

 

創世記によれば、アダムとイブは、神の禁忌を破って「知恵の実」を食べ、恥を知る。しかし楽園から追放される。

産めよ増やせよ地に満ちよ、と、近代資本主義に通じるイケイケ志向の聖書にあっても、「知恵を持ったのが不幸の始まり」という発想はあった。

 

 

ただし、聖書の各パートによって、言ってることがサカサマになる。

新約のヨハネ福音書によれば「言葉は神」なのだが、

旧約の創世記では、知恵の実を食べるな!と神=言葉は命じる。

いったい、どっちが正しいのか?、結局、神は人間にどうなって欲しいのか?

クリスチャンではない私は知らない(笑)。

 

ロシアの民話に「イワンの馬鹿」というのがある。
主人公のイワンは朴訥な農民で教養はないが正直者で働き者だ。そこへ悪魔がやってきて「手足を働かせるより、頭を働かせるほうがもっと儲かるぞ!」と主張して、イロイロ騒動があった挙句、利口な悪魔は散々な目に会い、小賢しいことを考えずマジメに働き続けたイワンが勝利する。

 

本を読まない平成日本の大学生、高卒、高校中退者は、不幸なのか?
彼ら彼女らも生物である限り、必ず【合理的】に生きている。
必要なモノはちゃんと欲求する。
空腹になったら食事をする。食事に必要な日本円は、働くなり何なり、何とかして手に入れる。

不要なモノは欲求しない。
極少数のスカトロマニア以外、ウンコを食べたりしない。 
同じく、コーラン万葉集毛沢東語録も南総里見八犬伝も読んだりしない。それらの知識はウンコ同様に不要だからだ。

 

彼ら彼女らが日常に使用する単語が仮に500個くらいだとすれば、それで何も困っていないからそうしているのだ。別にガマンして努力して使用単語数を減らしているわけではない。

言い方を変えれば、500個の単語で生活に不便がない彼ら彼女らは、自分の生きている「世界」を単語500個の情報だけで認識できている。

さらに言い方を変えれば、彼ら彼女らの生きる世界は、単語500個だけで構成されている。

501個目の単語は彼ら彼女らの宇宙の外部にある。それで何か問題があるのか?

コーラン万葉集毛沢東語録や南総里見八犬伝が無くても何の問題もなく動いている世界に、コーラン万葉集毛沢東語録や南総里見八犬伝を持ち込む必要があるのだろうか?

もし世界認識に単語が1000個必要ならば、別に命令しなくても、彼ら彼女らは単語を1000個だけ、キッカリ覚えるだろう。生物はハラがへったらメシを食うのだ。

 

知識は善か?それとも悪か? 

最初に予告編を張った2つのコメディ映画も、この2大思想の激突である。

 

フランス映画「まぼろしの市街戦」(1966年)は、創世記や老荘思想やイワンの馬鹿の仲間だ。

第一次世界大戦のフランス。戦争で住民が撤退した空っぽの街では、置き去りにされた精神病院の患者たちが、楽しそうに思い思いの毎日を送っている。

そこに迷い込んだイギリス兵は、

人間の努力の結果、科学技術を極めた大量殺りく兵器で殺し合う、外の世界と、

知恵や学問から見捨てられたのに、誰も傷つけず笑っている、患者たちの街と、

どっちが、あるべき人間の姿なのか?

どっちが、真の意味で知恵がある世界なのか?

思い悩んだ末、イギリス兵は、戦友や祖国や今までの人生を捨てて、精神病院の門をくぐる。

 

しかし、厄介なコトに、本が無ければ、知恵を持たなければ、それで人間は幸せになれるのか?といえば、それもまた違う。

 

アメリカ映画「26世紀青年/IDIOCRACY」(2006年)は、ヨハネ福音書論語オバマ大統領の仲間だ。

アメリカ西海岸・東海岸民主党に投票しそうなインテリは、人生をキッチリ計画して、簡単に子供を作らない。子孫を残さず死んでいく。

しかし、中西部・南部の共和党バンザイのネッドネック、ホワイトトラッシュは、欲望のままに避妊しないでセックスして、無計画にボンボン子供を作る。

結果、未来の人口構成は、インテリ滅亡、馬鹿だらけになる。「本を読むなんて、オカマ野郎のやることだぜ!イエー!」の世界である。

それじゃダメだ。食い物すら無くなってしまう。ちゃんとマンガじゃない文字だけの本も読もう、そういう映画である。

 

人類は必死で勉強し、近代社会を作り、結果、人類を大量に殺せるようになる。

20世紀の「まぼろしの市街戦」はその結果に絶望する。

しかし、ちょうど40年後の21世紀には、馬鹿になっても幸せにはならないと、「26世紀青年/IDIOCRACY」が主張する。

 

上に書いたように、老荘思想旧約聖書の時代から「知恵は不幸の始まり」という考え方はあるが、それは近代以後にもある。トランプさんで有名になった「反知性主義」もその一つだ。

基本的に心温まる民話であるはずの「イワンの馬鹿」で、すでにイヤーな予感(笑)がビンビンするのだが、馬鹿なイワンが最終的に正しいことを証明するためには、利口な悪魔がヒドイ目にあう必要がある。

エデンの園、イワンの馬鹿、トランプのアメリカ、「無知のユートピア」が成立するためには、(間違って)知恵を持ってしまった人間をなんとか始末しないといけない。

 

「人間の不平等は《貧富》の格差から生じる」と同じように
「人間の不平等は《賢愚》の格差から生じる」のだ。

 

人間が平等に暮らすユートピアにおいて、「貧富の差」があってはいけないように、「賢愚の差」もあってはいけない。
その解決策が「みんなで金持ちになろう」「みんなで勉強しよう」というイギリスのサッチャー的方向ならば、実現は絶対不可能にしても(笑)、まだマシだ。

もしここで、「富は本質的に悪だ」という考え方があるように、「知は本質的に悪だ」という「エデンの園」「イワンの馬鹿」的考え方で解決策を練るとどうなるか?

 

金持ちは、財布から富さえ奪ってしまえば、貧乏人になれる。
しかし、文字を読める者は、本を奪っても、文盲にはならない。文字を読める能力は消えない。
文字を読める者を文盲にするには、大脳をカチ割るしかないのだ。

知識は悪だ、知識人は悪だ、知識を持ってる連中から知識を奪え、知識の詰まった脳みそをカチ割れ! そうやって死体の山を築いたのが、カンボジアポルポト政権であった。

 

チョコパイとマルボロ~「平清盛VSポルポト」の5000年戦争(その1) - 在日琉球人の王政復古日記

 

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こういう発想は左翼だけではない。アメリカのキリスト教原理主義者は、人間がサルから進化しただの、地球が太陽の周りをグルグル回ってるだの、聖書の教えに反する、ダーウィンガリレオを学校で教えるな! 学校では聖書だけ教えろ! クリスチャンは聖書だけ読んでれば良いんだ! 子供たちを同性愛者や中絶支持派が支配する学校に行かせるな! ということになる。

 

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というわけで、本を読む、読まない、の前に、どんな本なのか?という事が一番重要なのだ。

間違った本を読むと、このブログのように、ヤヤコシイ、ひねくれた発想が身に付いてしまう。やっぱり脳みそを使って考えることは原罪なような気がする(笑)。

アダムとイブを追放した神様、悪魔からの転職のススメを拒否したイワン、考え方も頭蓋骨も割り切りが早いポルポトたちの方が、基本的には正しいのかもしれない。