在日琉球人の王政復古日記

NATION OF LEQUIO

オウム菊地直子逆転無罪に怒る日本人は、韓国人と同じ「国民情緒法」~対馬仏像、徴用工、五・一五事件。

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【菊地元信者無罪】オウム菊地直子元信者の逆転無罪確定へ 郵便物爆発事件、「過剰な推認」と最高裁が上告棄却(1/2ページ) - 産経ニュース

2017.12.27
 オウム真理教による平成7年5月の東京都庁郵便物爆発事件に関与したとして殺人未遂幇助(ほうじょ)罪に問われた教団元信者、菊地直子被告(46)について、最高裁第1小法廷(池上政幸裁判長)は、「間接事実の積み重ねを過剰な推認につなげている1審は不合理で、明らかな事実誤認がある」として、検察側の上告を棄却する決定をした。1審東京地裁裁判員裁判は懲役5年、2審東京高裁は逆転無罪としていた。菊地元信者の無罪が確定する。
 決定は25日付。5裁判官全員一致の結論。

 

裁判官5名全員一致の結論は、重い。

 

(略)
 同小法廷は、1審が認定した間接事実から、菊地元信者が「元幹部らの活動で人が殺傷されるかもしれない、と予想できた可能性がある」と推認することは困難と判断。その他の間接事実を踏まえても殺人未遂幇助の意思があったと認定するには「飛躍があると言わざるをえない」とした。
 一方、2審についても「1審の判断手法が適切でないと指摘しながら、結局、1審の判断過程に沿って検討している。どの点が不合理か具体的に示さないまま、異なる結論を出した」と指摘。無罪という結論についてのみ支持した。

 

有罪か、無罪か、は重要ではない。乱暴に言えば、どっちの結論でもいい。

有罪だろうが、無罪だろうが、マトモな裁判だっかのかどうか?だけが重要なのである。

 

どんなに極悪非道な被告でも、マトモな裁判で無罪の判決なら、無罪なのだ。

それが近代であり、その結果をグッと呑み込むのが、近代人(モダンマン)である。

どうしても呑み込めないのなら、あなたは近代人ではない。土人なのだ。

 

隣の国では、こういう判決があった。

 

対馬の仏像:韓国の寺に所有権 大田地裁判決 - 毎日新聞

2017年1月26日
 2012年に長崎県対馬市の観音寺から盗まれ、韓国内に運び込まれた長崎県指定文化財観世音菩薩坐像」の所有権を主張する韓国の浮石寺(プソクサ)が、仏像を保管している韓国政府に対して引き渡しを求めた訴訟で、大田地方裁判所は26日、原告側の主張を全面的に認め、韓国政府に対して仏像を浮石寺側に引き渡すよう命じる判決を言い渡した。
 日本政府は対馬市の観音寺への早期返還を継続して働きかけており、判決を受けて韓国政府が控訴せずに浮石寺に引き渡せば、日韓関係をさらに悪化させる要因になりそうだ。

 

泥棒しておいて、返さない。

日本人でも韓国人でもない第三者琉球人の目から見ても、無茶苦茶な判決だ。

 

【徴用工訴訟】三菱重工に1200万円賠償命令 元挺身隊員ら損賠訴訟判決 - 産経ニュース

2017.8.8
(略)
 日本政府は、当時の個人請求権は1965年の日韓請求権協定で消滅したとの立場だ。しかし、韓国最高裁が2012年、植民地支配に絡む被害に対する個人請求権は消滅していないとの判断を示した。その後、元徴用工や元挺身隊員が日本企業に損害賠償を求めた訴訟で、各地の地裁や高裁が最高裁判断に基づき、企業側に賠償を命じる判決を相次ぎ出している。

  

個人請求権は日韓請求権協定で消滅してない、というのは、完全に無理がある。

じゃあ日韓請求権協定は「何」を目的とした協定だったのか、意味不明である。

 

日本「戦犯」企業を弁護する韓国最大の弁護士事務所 : 政治 : ハンギョレ

2016-03-16

 国内最大のローファーム「キム・アンド・ジャン」が日帝日本帝国主義)強制徴用被害者が起こした訴訟で日本戦犯企業を代理していることが明らかになり、被害者の反発を買っている。 ほとんどが高齢の被害者が、日本戦犯企業に対抗してかろうじて進めている訴訟で、キム・アンド・ジャンを批判する声が上がっている。

(略)

 キム・アンド・ジャンの弁護は国民感情とも合わないと指摘される。 イ・サンガプ弁護士は「日帝戦犯企業の行為は韓日請求権協定論争とは別個であり、国際機構もいっせいに非難している犯罪だ。 韓国を代表するローファームが、日本戦犯企業の行為を弁論するのは、日帝強制占領期間の親日附逆(反民族的な親日)知識人の行動と変わりがない」と批判した。 これに対してキム・アンド・ジャン側は「裁判が進行中の事案に対して立場を明らかにすることはできない」と答えた。 

 

「被告の弁護をするな。」

これが普遍的人権の尊重を看板に掲げた、韓国のリベラル新聞の記事だ。

近代法体系よりも、ナショナリズムを優先する。

ハンギョレ新聞はナチスと同じである。

 

こういう無茶苦茶な司法判断を、韓国名物「国民情緒法」というらしい。

憲法より、刑法より、外国との条約より、優先される国民情緒。

 

でも、こんなの、韓国だけの話じゃない。

 

1932年(昭和7年)5月15日、海軍青年将校たちが、首相官邸に乱入、昭和天皇の大命降下を受けた犬養毅内閣総理大臣を銃殺した。

まあ、刑法上も、軍法上も、極刑に値する。しかし、そうはならなかった。

なぜなら、日本津々浦々から、約70,000通もの減刑歎願書が法廷に殺到したからだ。中には、血染めの血書、血判、切断した小指まで添えられたものまであったそうな。

正義を挙行した愛国軍人を救え!、帝国臣民の減刑運動は過熱し、その圧力の前に、泣く子も黙る軍法会議も、日和ってしまう。

被告への判決は、最高で禁錮15年、軽微な者は禁錮4年だった。

首相を殺しておいて、死刑になった者も、無期刑になった者もいない。

これが、五・一五事件の顛末である。 

 

首相を殺したことも重大だが、もっと致命的だったのは、国民が騒げば、判決が左右されてしまうことが明白になったことだ。

これが二・二六事件の引き金を引く。そして真珠湾に突っ込む。

 

日本も「国民情緒」の国だったのだ。

 

それは戦前の話ではない。

 

オウムだろうが何だろうが、マトモに審理して、判決が出たのだ。

その過程に、国民情緒の余地は見えない。

裁判官5名全員一致の結論は重い。おそらくマトモな判決である。

 

有罪判決でもいい。無罪判決でもいい。重要なのはマトモな裁判だったかどうかなのだ。

オウムがどれだけ極悪非道だったにせよ、ちゃんと裁判をやって、無罪なんだから、少なくとも、この件では無罪なのである。

 

「無罪はおかしい! なぜなら、オウムは悪党だから。」

こんな、情緒的な根拠(か?)で無罪に反発している日本人は、

「戦犯国イルボンのやることは、なんでもかんでも許せない!」

対馬の仏像を返さない、徴用工を蒸し返す、韓国司法と同類である。

何も違いはない。

 

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