在日琉球人の王政復古日記

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人の嫌がる軍隊に志願で出てくる馬鹿もいる~中野区洗濯屋さんの人生80年~電通鬱病過労死自殺。

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可愛いスーチャン

 

「長年の相棒のアイロンを…」 洗濯業65年、閉店あいさつが胸を打つ

2018/04/19
クリーニング店に貼り出された「閉店あいさつ」が、ネット上で注目を集めています。
 今から65年前、10歳以上年の離れた弟たちのため、入って1カ月だった高校を中退した青年。鹿児島から鈍行列車を乗り継いで上京し、クリーニング店に住み込みで働きました。22年前に自分の店を構え、今年3月末に閉店。これまでの思いを込めて貼り出したあいさつ文が、ネット上で注目を集めています。家族と一緒に書いたという文章について、話を聞きました。

長年の相棒のアイロンを

 今月中旬にツイッター投稿された画像。そこに写っているのは、都内のクリーニング店のシャッターに貼られた文章でした。

 御礼
 第一クリーニング商会先代であるおじの元に 鹿児島から一人、電車を乗りつぎ出て参りました。
 十五歳の時です。
 無器用なもので 他の事は何ひとつ出来ません。
 只々、この仕事をひたすらに続けてきました。
 人生は、あっという間ですね。
 今年で八十歳になります。
 この辺りで長年の相棒のアイロンを置こうと思います。
 お陰様でまだまだ元気でありますので 残りの人生 家内と二人、楽しんでいこうと思います。
 長きに渡り当店を御利用頂き、ありがとうございました。
 心より御礼申し上げます。
 第一クリーニング商会 古江勇雄
 平成三十年 三月 三十一日

東京都中野区にあります
 この投稿に対して、「素直に泣けてくる」「ピンスポットに照らされたアイロンが見える」といったコメントが寄せられ、現在も拡散が続いています。
 貼り出したのは、東京都中野区にある「第一クリーニング商会」。今から22年前、店主の古江勇雄さん(79)が、母の兄が営んでいた店を引き継ぐかたちでオープンさせました。
 「私が地元の高校に入学したとき、弟2人は3歳と1歳でした。家計が苦しかったこともあり、1カ月で辞めて、母の兄を頼って上京してきました」と勇雄さん。
 母親からは「長旅だから急行に乗りなさい」とお金をもらいましたが、3日かけて鈍行で上京。浮いたお金はそのまま母に返しました。
 勇雄さんの妻・順子さん(77)は、勇雄さんの母親からこの時の話を聞かされたそうです。
 「『あのお金でお米を買ったの。お米があればなんとかなる時代。本当に助かった』と、とても感謝していました」
仕事が趣味でした
 兄弟子3人と同じ部屋で生活。親戚だからといって特別扱いされることはなかったそうです。
 「兄弟子の布団の上げ下ろしもして、自分は押し入れの中で寝てました。丁稚奉公ってやつですよ
 なかなかアイロンを触ることができず、お古を自分で修理しながらこっそり練習したそうです。
 10年ほど経ったころ、近くで働いていた順子さんと知り合い結婚。子ども2人に恵まれました。勇雄さんのまじめな仕事ぶりは変わらなかったそうです。
 順子さんは「働くだけの人生、仕事が趣味、と言ったらいいんですかね。お店は日曜休みでしたが、その日じゃないと受け取れないというお得意さんのところに、原付きで配達してましたよ」と振り返ります。
 順子さんの実家がある千葉に行っても、他の親族が泊まっていくなかで、勇雄さん一家だけはいつも日帰り。翌日の仕事のためでした。
(略)

 

つくづく運の良かった人だ。

「神に祝福された」というはこういう人のことを言うのだろう。

 

もちろん、誠実な人、努力の人、でもあるが、いくつも重なった幸運という要素の方がはるかに大きい。
世の中には、彼くらい誠実で努力の人はたくさんいる。それでも同じような幸運な人生を送れなかった人の方が多いだろう。

 

幸運その1「健康」。


65年働いて、80歳を迎えて、まだ手足が動いて、頭がボケてないのは、健康あればこそ。
誠実な努力の人でも、40で癌、60で脳梗塞、なんて人生はたくさんある。
しかも、奥さんや子供まで健康だったのは、幸運以外なにものでもない。
健康あっての仕事、健康あっての家族、なのである。

 

幸運その2「業種」。


たまたま就いた仕事が、構造不況業種、または、過当競争業種、ではなかった。

彼の親戚がたまたま洗濯屋だったからこその幸運である。
これが八百屋だったら途中でスーパーの出店に潰されていた可能性がある。酒屋だったらコンビニに、洋服屋だったらUNIQLOに、本屋だったらamazonに、潰されていただろう。

 

幸運その3「住所」。

 

たまたま住んだ場所が「東京都中野区」というのも、羨ましい限りの幸運である。
同じ洗濯屋でも、企業が逃げた地方都市、炭鉱が閉山した過疎地域だったら、いくら個人で頑張っても、シャッター商店街じゃ、幸せな仕事と人生は難しい。

 

幸運その4「相性」。

 

またまた、偶然にも、洗濯屋の仕事が、彼と「相性」が良かった。
彼に言わせれば、学歴もないからこれしかなかった、他に選択肢はなかった、好きで始めた仕事じゃない、と言うかもしれないが、65年延々と続けられたのは、たまたま偶然、その仕事と「相性が良かった」のである。

 

幸運その5「時代」。

 

今から65年前。大東亜戦争が終わって10年後。戦後経済高度成長の時代。 

苦労はあっても、貧乏でも、徴兵に取られることはない。空襲もない。少なくとも餓死はない。景気は平均して良かった。

 

昭和の彼より、平成・令和の皆さんのほうが、はるかに豊かで、はるかに選択肢が増えた。
しかし皆さんが「相性が良い」仕事に巡り合えるかどうかは、天に運を任せる部分が今でも非常に大きい。


東大を出て、天下の電通に入って、平均サラリーマン以上の給料と将来を保証されても、1年経たずにクリスマスの日に自殺した女性だっている。

 

高橋まつりさん母「娘失った苦しみ癒えることない」 電通過労自殺5年で手記 - 毎日新聞

2020年12月25日
 電通の新入社員だった高橋まつりさん(当時24歳)が過労自殺して25日で5年になった。母幸美さん(57)が代理人の弁護士を通じて手記を公開した。「最愛の娘が生きた24年間の一瞬一瞬をひと時も忘れることなどできません。失った苦しみは一生癒えることはありません」と思いをつづっている。全文は以下の通り。

 

その上、フェミニストの皆さんは関係ない!と怒るかもしれないが、彼女は美人ですらあった。タテマエでなく、ホンネでは、美醜も(特に女性にとっては)人生の分岐点だ。

戦争の無い国、無い時代に生きて、肉体は健康で、頭が良くて最高の大学を卒業して、しかも美人。

「神に祝福された」というしかない女性が、苦しみぬいて、「神に祝福された」聖夜の死を選んだ。

 

洗濯屋と電通。何が違うのか?といえば、精神的疲労度、つまりは「仕事と本人の相性の良し悪し」としか言いようがない。

65年働いた中野区の洗濯屋さんだって、電通だったら65日、どころか、65時間で病院行きかも知れない。

 

世の中には、乗り鉄撮り鉄、という趣味がある。 好きな人は何の苦もない。一生続けられる。
しかし、鉄道に何の興味もない人に、同じ行為を長期間続けさせたら、ストレスでおかしくなるだろう。
波しぶきが叩きつけられる岩礁に座って何時間も、 または、夜明け前から大揺れに揺れる小舟に乗って何時間も、じっと釣り糸を垂れて待つ。
釣り人にはたまらない快楽だろうが、興味のない人には拷問である。

 

陸軍に比べて、スマートなイメージのある帝国海軍も、

鬼の山城 地獄の金剛 音に聞こえた蛇の長門 

日向行こうか伊勢行こか いっそ海兵団で首吊ろか  

と歌われた、平成ワタミも裸足で逃げ出すブラック企業だった。

 

それでも、 

お国のためとは言いながら~人の嫌がる軍隊に~志願で出てくる馬鹿もいる~

という人も、軍隊生活が性に合う人も、確かにいたのである。 

 

労働生産性なんていう数字は、人間の相性や幸・不運までは計算できない。

漁師のオッサンが、5年間必死で勉強したら、ITエンジニアになれる。「数字」の上ではそうかもしれないが、現実のオッサンには不可能だ。
計画経済=ソ連共産主義の失敗(の1つ)も、ここに原因がある。

 

人間は「相性」「幸・不運」で生きていく。
健康=人、場所=地、相性=天。まさに「天地人」というわけだ。

 

昭和の中野区洗濯屋さん・人生80年。

平成の電通東大美人女性・人生24年。

 

中野区の洗濯屋さんはこれ以上ない幸運の持ち主だった。

神は常に不公平である。

 

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