在日琉球人の王政復古日記

NATION OF LEQUIO

《アナキズム映画列伝》 「ファイト・クラブ」(1999年)《ファシズム映画列伝》~ブラッド・ピット、キングコング西野亮廣、リバタリアン西原理恵子。

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ファイト・クラブ (Fight Club) - YouTube

 

キングコング西野亮廣「お金の奴隷解放宣言」VSリバタリアン西原理恵子「金が無いのは首がないのと同じ」。 - 在日琉球人の王政復古日記

 

タリウム事件「人を殺してみたかった」~ルカ福音書「与えよ。さらば与えられん」~西郷隆盛「始末に困るものなり」~王翦。 - 在日琉球人の王政復古日記

 

の続き。

 

消費資本主義を疑え!カネに飼い慣らされるな!自由になれ!社会を信じるな!自分を信じろ!

  

こうしたアナキズム思想を、そしてアナキズムの極限にあるモノを、描いた映画が、デヴィッド・フィンチャー監督、ブラッド・ピッド 、エドワード・ノートンの「ファイト・クラブ」(1999年)である。

 

ファイト・クラブ」は、熱狂的ファンがついてるカルト映画なので、どんな映画なのか?はググってもらうといろいろ判る。

サブリミナル映像だの、ブラッド・ピットの正体だの、なんだの、そういう映画の王道的な話はマトモな映画マニアにお任せするとして、ここでは「政治映画」としての側面を書いていく。

 

エドワード・ノートンはエリートサラリーマン。カネはそこそこ稼いでいるので、あれこれモノを買うのだが、精神はまったく満たされず、不眠症に悩まされる。

彼が出会ったのが、破天荒な自由人・ブラッド・ピッドだった。

彼は、美容整形病院のゴミ箱から人間の脂肪を盗み出して石鹸を作ったり、社会に対してありとあらゆる悪ふざけをやり、夜な夜な世の中に不満を抱えた男たちを集めて、殴る蹴るのケンカマッチ「ファイト・クラブ」を主宰している。

石鹸作りも、ケンカマッチも、カネなんか不要なのだ。

ケンカマッチで殴られ蹴られ、ノートン肉体は傷だらけになるのだが、逆に気分は爽快、不眠症も治り、精神はどんどん満たされていく。

 

ファイト・クラブ」は勝敗を競っているのではない。勝つことではなく、傷付くこと、痛みを感じること、肉体を認識すること、カネや社会的地位という保護を取っ払った生身の自分を実感することが目的なのだ。

 

自己虐待、自己否定こそが、自己解放、自己実現になる矛盾。

 

ファイト・クラブ」のケンカで鍛え上げられ、カネも世間も痛みもへっちゃらになった男たちは、痛めつけて傷だらけになったマッチョな肉体を「黒シャツ」で包み、名前も生活も捨て、「スペース・モンキー」と名乗るテロリスト集団に成長していく。

西郷隆盛のいう「官位も金もいらぬ人は、始末に困るものなり」の誕生である。

そして「スペース・モンキー」は、カネカネカネの消費資本主義に汚染され腐り切った社会に対してテロ攻撃を開始する。

 

ファイト・クラブ」の主宰者ブラピも、参加メンバーも、社会の道徳やしがらみを無視して、自分のやりたいことを、自由にやっている。

そういう意味ではリバタリアンと同じだが、決定的に異なるのは、カネ=消費資本主義を嫌悪していることだ。だからリバタリアンではない。

自由を貴び、カネを嫌悪する、つまり、ブラピはアナキストであり、「ファイト・クラブ」はアナキスト集団なのだ。

 

映画も、前半はアナキズム映画なのだが、後半から徐々に変容していく。

カネなんかクソだ!痛みを信じろ!オレはオレだ!と肉体を誇っていた、アナキスト集団「ファイト・クラブ」が、

「黒シャツ」を着て、自分の名前を捨て、ブラピの命令に忠誠を誓い、集団行動する「スペース・モンキー」に変貌する。

 

これは何か? 「ファシズム」である。

 

「黒シャツ」は判りやすい、判りやす過ぎる象徴である。

人間の脂肪から作る石鹸は、ナチスアウシュビッツ名産品なのだ。

 

トランプVSトヨタ~トランプ&日本左翼のメキシコ人見殺し同盟~「国家主義+社会主義=ファシズム」 #猪野亨 - 在日琉球人の王政復古日記

コンサバ=ナショナリズムと、ソシアル=社会主義の合体。
つまり、国家社会主義ファシズムである。笑い事ではない(笑)。
ここから、そもそもファシズムって駄目なの?、という難問が浮上する。
さて、どうする?

 

もし、彼らが、肉体よりも、頭脳だ理論だ理屈だ、と言い出したら共産主義だが、理屈なんてどうでもいい、肉体だケンカだ、という集団なのだから、ファシズムなのである。

他人とは隔離された秘密結社、仲間同士の血の連帯、そしてケンカ上等(笑)。

イタリア・ファシズムも、ドイツ・ナチズムも、鍛え上げられたマッチョな肉体を重視した。黒シャツ隊も、突撃隊も、元々、路上乱闘、敵とケンカをするための組織だ。戦うための肉体信仰はファシズムに必須な要素なのである。

 

あらゆるものから自由になりたかったアナキストたちの選択した道が、

あらゆることが命令で動く、個人の自由のない、正反対のファシストだった。

これは、ファンタジーではなく、現実の話なのだ。

 

アナキストは黒旗、ファシストは黒服~「〇にA」はアナキストのシンボル~リアル「ファイト・クラブ」@ワシントン。 - 在日琉球人の王政復古日記

 

社会を笑い、道徳を笑い、ルールを笑う、イタリアのファシストやドイツのナチの連中の心は虚無に支配されていた。この世はクソだという「ニヒリズム」である。

この世を冷笑するアナキストが、自分自身まで冷笑するようになると、自由も虚無=どうでもいいことになり、自分の命まで虚無=どうでもいいことになり、社会と自分を破壊しつくす、一種の集団自殺、社会を道連れの無理心中=ファシズムに生まれ変わるのである。

 

一人ぼっちで孤立無援のファシストは、つまりアナキストなのだ。

アナキスト同士が意気投合して義兄弟の盃を交わすと、ファシストになる。

 


「兄弟仁義」

 

「一人ぐらいは こういう馬鹿が 居なきゃ世間の 目は覚めぬ」~安倍首相と左翼全共闘の「兄弟仁義」北島三郎。 - 在日琉球人の王政復古日記

親の血をひく 兄弟よりも 

固い契りの 義兄弟 
こんな小さな 盃だけど 

男いのちを 懸けて呑む 


義理だ恩だと 並べてみたら 

恋の出てくる すきがない 

後は頼むと 駆け出す露路に 

降るはあの娘の 涙雨 

 

俺の目をみろ なんにも言うな 

男同志の 腹の内 

一人ぐらいは こういう馬鹿が 

居なきゃ世間の 目は覚めぬ 

 

北島三郎「兄弟仁義」は、そのまんま、アナキズム精神あふれるファシスト義兄弟のテロリズム賛歌である。

 

《アナキズム映画列伝》東映「総長の首」(1979年)~ジョニー大倉カンフー!菅原文太ギロチン社!岸田森全裸!黄門様ガラス食い!白塗り東京音頭! - 在日琉球人の王政復古日記

  

アナキズムの極北は、ニヒリズムを経由して、ファシズムに極まる。

ファシズムの破壊願望も、ニヒリズムを経由して、アナキズムに至る。

 

どっちも、世間や他人とのコミュニケーションはテロリズムである(笑)。

そして、ファシストは黒シャツ。アナキストは黒旗。どっちもイメージカラーは「黒」なのだ。

 

《アナキズム映画列伝》東宝「太陽を盗んだ男」(1979年)~沢田研二VS菅原文太~「共産主義の赤」VS「無政府主義の黒」 - 在日琉球人の王政復古日記

  

政治思想として対極、最も遠い、正反対でありながら、アナキズムファシズムは、背中合わせのシャム双生児なのである。

 

対して、絶対自由の理想を巡ってアナキズムのライバルである、リバタリアンはカネだけは信じている。その一点で、他人を信じてるし、社会を信じているし、虚無=ニヒリズムに落ちないのだ。

 

《アナキズム映画列伝》「シティ・オブ・ゴッド」~自由と平等だけの「眠れない」世界(その1) - 在日琉球人の王政復古日記

 

《アナキズム映画列伝》「エリート・スクワッド」~自由と平等だけの「眠れない」世界(その2) - 在日琉球人の王政復古日記

 

《ファシズム映画列伝》「ヒトラー ~最期の12日間~」その1~「私は総統に忠誠を誓った」 - 在日琉球人の王政復古日記

 

《ファシズム映画列伝》「ヒトラー ~最期の12日間~」その2~「総統閣下、貴方はアーリア人ですか?」 - 在日琉球人の王政復古日記

 

《ファシズム映画列伝》「ヒトラー ~最期の12日間~」その3~失われた「マックス・ラーベの20世紀ドイツ」。 - 在日琉球人の王政復古日記